まだ1年半、だけどもう1年半。涙と笑顔で溢れた日々を振り返って。
人間歴1年半。
タイ生まれの我が子は少しずつこの世界に馴染みながら、あっという間にコップで水を飲み、家の中を走り回り、覚えたての言葉を元気に叫ぶようになった。なんて愛らしいんだろう。
タイでの出産、そして夫との二人三脚
日本での里帰り出産ではなく、タイで産むことを選択した。私の中で、夫と子を引き離したくない気持ちが大きかったからだ。
ただ、誰かが日本から応援に来てくれることはなく、親業初心者の2人でなんとかやらなければならない状況は予想以上に大変だった。なぜ、退院すると子は寝なくなるのだろうか?夫と2人、ヘトヘトになったことを今でもはっきり覚えている。
振り返ると、あの頃は「生まれたての子を守らなければならない」という本能のみで生きていた気がする。
産後1か月が経ち、今雇っているアヤさん(サポーター)が午後から家事をメインに来てくれることになった。おかげで、張り詰めていたものが少しホっとした。
痛む傷とホルモンバランスと睡眠不足
帝王切開からの回復は人それぞれと聞く。インターネットの海には「私は1週間で家事育児全て1人でしていました。あなたは甘えです。」といった謎のマントが散在されるが、痛いもんは痛い。実際痛かった。
突然全身悪寒で震えだしたり、子を抱っこしたまま眩暈で倒れたり。とにかく3か月ほど体調が悪かったのを覚えている。また、眠りが浅く寝不足状態が10か月少し続いた。(子は起きることなくグーグー寝ているのに、ホルモンのせいで眠れぬ日々・・・)
子は可愛い。でもそれとは違うベクトルで心身ともに辛かった。
趣味が写真の私は、撮り歩く時間も気力もなくストレスの発散方法が分からない。これまで大人中心だった生活は一変し、心が追い付かない日々。何度泣いただろうか。
時にこの2つを混ぜて説教してくる人がいるのだが、子は可愛い、体は辛い、精神的にも辛い、じゃダメなのだろうか?と今でも思う。
それらを超える愛らしい存在、そして体力の復活
ここまで「痛い」「辛い」しか言ってないじゃないか。そんなことはない、我が子というものは恐ろしく愛らしい。「ダッダ(抱っこ)」と言われると、10kgを越えて重いはずなのに抱っこせずにはいられない。
可愛い可愛いと真っすぐな気持ちで愛でることができるようになったのは、体力の復活とスーパー父親でありスーパー夫の存在が大きい。おかげで、子どもと正面から向き合う心の余裕が生まれた。
それまでは早く仕事がしたいと思っていた。ただの母親になった自分は無価値に思え、早く自分という存在・価値を感じたい一心だった。それが今では、なるべく長く一緒にいて一瞬の成長も見逃したくないと思う。抱っこがいいならなるべく応じてあげたいし、遊びたいなら一緒に遊んであげたい。
もちろんどうしようもなくイライラする時、体調が悪い日、タスクが山積みでどうしようもない日があるが、それでも子が笑いかけるとスーっと心が和らいでいくし、「ギュー」と言いながら抱き着いてくると癒される。
バンコクの地で、多くの人に可愛がられながら育つ子
夫婦二人で始まった子育て。気づけば多くの人に支えられ、あっという間に1年半が過ぎた。
アヤさんをはじめ、子育ての集まりで知り合ったママ友やご近所さん、近くのお店屋さん、電車で乗り合わせた人たち、街で出会う人たちまで、多くの人が温かい眼差しで子どもに接してくれる。そのおかげか、我が子は外に出るといつもニコニコご機嫌でいることが多い。
時々、通勤ラッシュ時に電車に乗らなければならないことがある。数駅で降りるので、どうか仕事に行く人に座っていてほしいのだけど、『ここ、座ってください』と、伝言ゲームのように声をかけてもらうことが多い。ああ、なんて優しい世界なんだ……と、これまで何度も泣きそうになった。
子が人間歴1年半なら、私たち親も親歴1年半。この1年半、数えきれないほどの喜び、大爆笑、そして挑戦があった。少しずつ、ゆっくりとお互いに成長しながら進んできた日々。この先も、きっとこんなふうに続いていくのだろう。そして、いつかは親を越えて、もっと大きく羽ばたいてほしい。