![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/149256512/rectangle_large_type_2_63749941e7b45bf68c90ed1276f4147f.jpeg?width=1200)
私が『自分軸に戻る』まで〜その1〜
我ながら、とてもいい子だったと思う。
3姉妹の長女として生まれ、
共働きで忙しい両親と祖母(父の母)の6人家族で育った。
勉強もよくし、先生にも従順、友達とも比較的仲良くし、
大人の言うことにも比較的従う、、。
ほんとにいい子だったと思う。
逆に
「あんたは特になんの問題もなかったから、どんな子だったかの記憶がない」
と、母に大人になってから言われるほど
特徴のない子だったとも言う。
𓂅
そんな幼少期から「いい子の私」ができあがったのは、
私の中に自分に対する痛烈な思いがあったから。
しかもそれは、あまりにも幼い頃から備わっていた為に
(それが私の多くの行動に影響を与えたにも関わらず、)
それがあることすら、最近まで気づかなかったほど
奥深くにしっかり居座ってたものだった。
幼少期 自己喪失
「いい子の私」を作り上げた 自分に対する痛烈な思い
それは『 私はダメなんだ 』って思い
それにまつわるエピソードを最近思い出した
幼い頃、
私にとって 家の空気が居心地よくないと感じることがあり
(今なら分かる。それってよくあること)
当時の私にとって
家族は自分の世界の大半でもあったから
私はそれを なんとかしたいと思った。
多分いろんな働きかけをしたんだと思う。
必死で。笑
でも結局、ダメだった。
(今なら分かる。それは私がどうにかできることではない。笑)
悲しさと無力感でいっぱいになって
そしてその気持ちを抱えきれなかった私は思った。
『 私はダメなんだ 』って。
(今なら分かる。いやいや、そうじゃない、って。笑)
でもこんな感じで
「自己否定」は、幼い頃から私の通常装備だった。
自分はダメだと思っている(=自分を認めれない)
→他の誰かに認めてもらおうとする
→いい子になる
という図式ができあがる。
(それは 他人軸のはじまりでもあった)
でも、
いくら
100点をたくさんとっても
学級委員をやっても
下の子たちの面倒をみても
家の手伝いをやっても
その度に褒められても、
やってもやっても足りない気がしたし、
安心できなかった。
でもその感じがなんなのか、って
自分の心を覗く発想なんてもちろんなく、
魚が水中でエラ呼吸できることを忘れて
水面に口を出して必死に呼吸してるような、
そんな感じで、
私の意識はいつも表層でアップアップしながら
外のものに必死に対峙していた。
今なら分かるけど
自分の心はすっかり置いてきぼりのまま
自分ではない、他の誰かになろうとしていたのだ。。
18歳 自己探究のはじまり
そんな私に
大きな意識の転換が起こったのは18歳の夏。
高校の夏休みに読書感想文用の課題図書を読んだ時のことだった。
それは、作家さんが自分の半生を記したもので、
その内容は私にとって衝撃だった。
衝撃過ぎて、号泣した。
晩御飯が食べれなくなるくらい、泣いて泣いた。
なんで自分がこんなになってるのか わけが分からなかったけど
その本は、作家さん自身が、日々自分に丁寧に・真摯に向き合う様を綴った内容だった。
「私、自分の気持ちを全然見てなかった」
「私も、自分に向き合って生きたい」
そう思った私は、そこから「自分と向き合う」ということをはじめる。
それが、私の自己探究のはじまり。
𓂅
と言っても、やり方が分からない。笑
とにかく考える
とにかく心の声を聞こうとする
とにかくぼーっとする
とにかく本を読む
とにかく人と話す
とにかくしたいと思ったことをやってみる
とにかく ピンときた学びの機会に参加する
みたいな感じで
自己流の歩みを進め
その間拒食症にもなったことで(21歳〜)
否応なしに自分の過去とも向き合い、
自分のことが少しずつ見える(理解する)ようになる。
「自分を知る(理解する)」ことは、日々の感覚や人との関係を変えた。
いつもベールがかっていたような現実が、少しずつ鮮やかになっていく。。
その変化に感動しつつ、
同時に
一人一人がイキイキと自分を生きる世界になったらいいな、
という思いが増していく。
続く・・・・・・
𓇠𓇠𓇠𓇠𓇠𓇠𓇠𓇠𓇠𓇠𓇠𓇠𓇠𓇠
私が自分軸に戻るまでの年表
[幼少期]自己喪失
↓
[18歳]自己探究のはじまり
↓
[25歳頃]自分を生きてるつもり
↓
[42歳]つもりだった!と気づく!(2018年)
↓
[なぅ]自分を生きれるようになった(ほぼ)
𓇠𓇠𓇠𓇠𓇠𓇠𓇠𓇠𓇠𓇠𓇠𓇠𓇠𓇠𓇠