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🔶私の好きな奈良:仏隆寺 空海が唐から伝えた大和茶発祥の地 茶臼と千年桜

タイトル写真は桜の季節の仏隆寺(佛隆寺:ぶつりゅうじ)です。

奈良県宇陀市榛原赤埴(うだしはいばらあかばね)にある真言宗室生寺派の寺院で、室生寺の南門として本寺と末寺の関係にあります。

室生寺については、過去記事で書かせて頂きました。

この室生寺と仏隆寺、いずれも山峡にある寺で、それぞれ近鉄榛原駅、近鉄室生口大野駅あたりから別々のルートで自動車を山に向かって走らせたところにある寺ですが、実は両者は山道で繋がっており、室生寺から南西方向に5.5㎞ほど歩くと仏隆寺に至ります。

室生寺は東西南北に「門」を設けており、仏隆寺には室生寺の南門として栄えた歴史があります。
これが室生寺の南門と呼ばれる所以です。


ところで、日本茶の由来はご存知ですか?

平安時代のはじめ、最澄(伝教太師)、空海(弘法大師)、永忠らの遣唐使僧が、唐から茶を日本に持ち帰ったのが、我が国における茶の始まりと考えられています。
仏隆寺は、空海が唐から持ち帰った最古の茶を栽培した場所といわれており、大和茶発祥の地としても知られています。


また、4月上旬には奈良県の天然記念物で、県最古とされる古木「千年桜」が開花し、多くの人で賑わう寺でもあります。

私は、2024年4月上旬にこの仏隆寺を訪れました。
ちょうど千年桜が満開の時期だったので、本日はその際の写真と共に仏隆寺を紹介させて頂きます。

歴史

参道の桜の木の脇に立つ案内板によると、平安時代前期の850年に、空海(弘法大師)の高弟・堅恵(けんね)により創建されたと伝わっていますが、一方で、それ以前に興福寺の別当・修円が創建したとの説もある様です。

参道の石段脇にある説明板

開祖とされる堅恵は、空海が第16回遣唐使として入唐した際に随行し、唐の徳宗皇帝より茶臼と茶の種子を授けられました。

高野山には茶畑が確認されておらず、空海は持ち帰った茶の種を高弟・堅恵に与え、茶の製法を伝えました。それが今の大和茶の起源と言われます。
現在も境内には、大和茶発祥伝承地にふさわしく野生化した丸葉の茶樹が自生しています。

また、空海が唐から持ち帰ったとされる茶臼は、この仏隆寺に寺宝として残っています(後述)。

境内

本堂

境内に至る石段は197段で、春は桜、秋は彼岸花に囲まれます。
このは、室生寺、談山神社とともに県下三銘段の一つと言われています。

石段を登った境内には、本堂、鐘楼堂、求聞持堂、辻堂などが軒を並べています。

石段を登りきった正面に本堂がある

正面に位置する本堂には、本尊として聖徳太子作とされる十一面観音立像や弘法大師像、堅恵坐像などが安置されています。

また、空海が唐から持ち帰ったとされる茶臼は、戦前・戦中は奈良国立博物館に出陳されていましたが、現在は寺宝としてこの本堂内に保管されています。
下の写真は、奈良寺社ガイドのウェブサイトから拝借したものです。

空海が持ち帰った茶臼
奈良寺社ガイド nara-jisya.info より

重さは約25kgで、側面には麒麟が彫刻されています。

宇陀松山藩主・織田長頼が、茶会に借り受け返却を滞っていたところ、茶臼に彫られた麒麟が寺に帰りたいと暴れ、怒って投げ棄てた際に欠けてしまったと伝わっており、黄金色の金継ぎのあとが見られます。

本堂前には「大和茶発祥伝承地」の記念碑が建っています。

堅恵の廟

本堂から右奥方向に進むと、貞観年間に造られた石室があります。

左側が「堅恵の廟」

宝形屋根を榛原石で積み上げたもので、羨道と玄室から成ります。内部には開祖・堅恵の墓と伝わる鎌倉時代の五輪塔があり、「堅恵の廟」として1914年に国の重要文化財に指定されました。

千年桜

仏隆寺を有名にしているもののひとつに、参道の石段に枝を垂らす「千年桜」があります。

千年桜 枝が組木により支えられている

この桜は推定樹齢900年とされ、根回りは7.7mもあります。「仏隆寺のヤマザクラ」として1978年に奈良県の天然記念物に指定されましたが、その後の鑑定でヤマザクラとエドヒガンの雑種であるモチヅキザクラであることが判明しています。

参道の石段を本堂側から見下ろす

参道の石段脇にある桜の古木は、枝が大きくなりすぎて、最近では木組みにより支えられています。

ヤマザクラは200年程度の寿命、エドヒガンザクラは1000年を超えるものもあるということですが、いずれにしてもかなり御歳を召された木の様です。
できればこの先も何十年何百年と、きれいな花を咲かせてほしいものです。

彼岸花

また、仏隆寺はもともと彼岸花でも有名で、2010年頃までは彼岸花の名所とされていました。

ところがその後、シカとイノシシが出没するようになり、食害によりほぼ全滅してしまいました。2015年以降、食害対策の柵やボランティアによる栽植により、参道の両側から少しずつ復活しつつあります。

秋の彼岸花
奈良寺社ガイド nara-jisya.info より

伝統行事を継承する古刹

千年桜、大和茶の始まりに象徴される様に、長く重要な伝統を引き継いできたこの古刹には、伝統文化や風習も残されています。

毎年1月7日には、修正会の行事として、「乱上」という新年厄除祈願の法要が行われています。
これは、地域の人がこのお寺に集まり、棒で竹をたたき割って一年の平穏や五穀豊穣(ごこくほうじょう)を願うというものです。

ちょっと珍しい、見た目にインパクトのある行事なので、NPO法人メディアネット宇陀さんのYouTube動画を貼らせて頂きます。

とても貴重な伝統行事ですが、高齢化や人口減少などにり、こういった伝統行事の存続が難しくなってきているというお話は、各地至る所で耳にします。

大切な千年桜を木組みの支柱で支えている様に、人々が伝統を理解して、支える努力をしていかないといけないのだと感じます。

境内から見た山門と鐘楼堂

もうすぐ桜の季節です。

やや交通アクセスの悪いところで、現地へは自家用車かタクシーを利用する方も多いかと思います。
ピークシーズンは駐車場の確保に苦労するかもしれませんので、行かれる際には曜日や時間を考えた方が良いかも知れません。

歴史的に大変重要で、かつ花の美しいお寺です。是非訪れてみて下さい。



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