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家族とはチーム

おむつがはずれプールに行ける

敬老の日を含めた三連休、妻の土日は資格取得のため終日講座受講、月曜は仕事。あまりに忙しい。

普段から土日は何をして過ごすかが課題で、ワンオペで過ごす週末はなおさら。一緒に食料品の買い出しに行ったり、図書館で絵本を借りたり、市内近隣のイベントを冷やかしたり、散歩したり。最近、ここに新たにプールと温泉が加わった。

3歳になるのを境におむつを卒業し、幾度かのおねしょを経て、夏に入ってからは完全に尿意便意をコントロールした息子は、今や自分で「おしっこ出そう」「うんち」と言ってトイレに向かい排泄する。すばらしい。
そして尿意をコントロールできるとどうなるか。プールと温泉に入れるのだ。

お盆休みにはおじいちゃんと一緒に温泉に行ったし、先週からはプール施設で泳ぐという選択肢が増えた。
父的に温泉は何回入ってもいいものなので、ワンオペ中の予定としてはもってこいである。プールも安く安全に時間と体力を使うことができて効果的である。ついでにおっさんの運動にもなる。

徐々に夫婦になる

結婚式をした際、妻宛に手紙を書いて披露宴の最中に読むことになった。
詳細は忘れたけど、「結婚したらすぐさま夫婦になれるわけではなく、時間をかけて徐々に夫婦になっていくのだと思う」ということを書いた気がする。
これは結婚式をするに至っても全然、夫婦になるとはどういうことなのかわかっていなかったため、その気持ちを素直に書いたのだと思う。

夫婦として一緒に暮らしていても、お互いを尊重さえしていれば、個々人が好きなようにしていてもおおむね問題ない。家事の分担などあれば自分の担当をこなせばよい。そんな感じに思っていた。
ところがそのうち、疲れ果てて気持ちも沈んで、今日はもう飯の用意も洗濯も、何もできません、という日がやってくる。そういうとき、妻に「今日はもう何もしたくない、できない」と伝えてみたら、全部引き受けて俺を休ませてくれた。逆の日もあった。

1人暮らしの場合、どんなにくたびれていても、自分の面倒は自分でみなければならない。自分の夕飯を用意してあげる必要があるし、明日着る服がないなら自分で洗濯するしかない。
後からこのことを振り返ってみて、お互いの得意分野で相手の苦手なことを補ったり、どちらかが不調や多忙のときはサポートしたりする、夫婦というチームとして生きていくのだと理解した。
自分一人の生活が夫婦のチーム戦になった。

チームの拡大

そして息子が誕生した。
チームは「夫婦」から3人の「家族」になった(夫婦も家族だが)。

夫婦で二人のころ、生活の中心は夫婦の中間にあるイメージでバランスが取れていた。
現在、息子の成長にともない、生活の中心は息子になってきている。家族三人が対等な三角形ではなく、明らかに息子に重心が寄っている。
本当は子どもができた瞬間からそうなっているけど、時間を経るにつれより強制力が高まり、ようやく自覚してきた。

夫婦ともに自分自身のためだけに時間を使えることはほとんどなくなり、初めに書いたように「子どもとどう過ごすか」がほとんどである。
これはなにも遊ぶ時間とかに限った話ではなく、資格の勉強などポジティブな自己啓発に割ける時間も同じように減る。
どこから時間を捻出するのか。
ワンオペをする。
自分の両親などに頼らず家族の中だけで時間を作ろうとすると、我が家の場合はそうなる。

ワンオペをしている、本来夫婦で分担する家事育児を俺一人で担わされているのだと思っていた。事実としてはそうなのだが、
一時的に自分の担う比重を大きくすることで、チームを支えているのだと思うようになった。自分の担当作業だけを終わらせてあとは知らない、という態度では、家族全体で良い方向へ進んでいくことができないから。
しかも妻の場合遊んでいるわけではなく資格や仕事のために時間を使っており、それは最終的に家族に還元される。これもある意味チームのためである。
ここには感謝や持ちつ持たれつの気持ちが欠かせない。自分もやりたいことをやる時間をもらって感謝している。

破綻する家族は自分たちがチーム戦をしなきゃならないことに気が付かなかった、もしくはできなかった、というふうに見えるようになった。

ところで、家族の中に1人、チームプレーを考えずやりたい放題の人がいるんですよ。
息子です。
でもまあ、息子からすれば親のほうが勝手なことばっかり言ってるんだろうな。

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