
Photo by
fishnude
詠むための一首評の練習(3) - 元日すでに薄埃あるテーブルのひかりしづかにこれからを問ふ/荻原裕幸
元日すでに薄埃あるテーブルのひかりしづかにこれからを問ふ
荻原裕幸「不断淡彩系」 荻原裕幸発行『短歌ホリック 第1号』(2016年)より
年の暮れには大掃除をするという人は少なくなかろう。一年の始めに限らず物事の始めは、綺麗にあるいはそもそもゼロから始まる/始めたいというのは自然な感覚だ。その綺麗にしたばかりのテーブルにもう微かな埃が光っているというのである。そして既に薄埃が溜まり始めていたという時間の経過に気づく時、一年の初めに「これからどうしようか」と自問させられるということか。私としては、一年の初めだからということではなく、純粋に時間と言うものを見せつけられ、「続いていく時間/生きていく自分とどう付き合えば良いのか」という問いかけと取りたい。
時間を薄埃で表現しているところが秀逸であり、初句の7音のたたみかけるリズムも緊張感があって繊細な描写をむしろ生き生きさせ、それが下の句の「しづかにこれからを問ふ」で薄埃のイメージに収斂していく。
---
「日々のクオリア」の評を読んでみた。一首評よりも周辺の情報が多い文章だったが、評者は時間の速度に着目されていただけで下の句との関連は触れずじまい。下の句をどう読むかを言葉にうまくできなかったので、楽しみに読んだが何もなかった。まだまだ多く読んでいない私にはどういうものが一首評なのか分からないのだが、歌自体をあまり評していないように思った。
(練習の題材として過去に砂子屋書房のWEBサイトに掲載されている「日々のクオリア」で取り上げている短歌を使わせていただいた。日々のクオリア自体が一首評の記事だが書く前には読まぬようにしている。誰がどんな歌を詠んでいるのか、初学者にとって歌集を買うのに大変に参考になる記事である)