小説「名曲」
「ねえ、ベートーベン、よりもさ、ベートーヴェン、の方がいいかも。…そう、ウに点々のヴ。わかる?」
娘はうなずきながら消しゴムで「ベン」の部分を消して、「ヴェ」と書き直した。
夏休みが始まって、まだ1週間も経っていないのに、娘はプリント類の宿題はすでに終わらせ、自由研究に取りかかっている。何故そんなに早く宿題を全て終わらせてしまいたいのか……。そういうタイプといってしまえばそれまでだし、ありがたいと言えば本当にありがたいし、娘とはいえ、逆によくそんなことできるよね凄いなぁ…という気持ちも湧いてくる。
あれ、何を気にしていたんだっけ…?そうそう、そんなに早く宿題終わらせなくてもいいのでは?ってことだった…。親としては後で暇そうにされても困るし、それに今この瞬間も…自由研究となると…いや、ふだんの宿題もそうか……。
とにかく質問されてもわからない時があるのだ!小5にもなると、とくに算数とか難しくなってくるのである!もう娘にもそれがバレていて、「算数は一応ママにも聞くけど基本的にはパパ。国語はママ。」な~んて、使い分けてるんだろおまえ!という感じである。女の子はしっかりしている、とはよく聞くが、こういうことなんだろうか。それにしても、ベートーヴェン、でほんとにいいんだよねえ?ヴェートーヴェンは「ヴェ」が重複するからなんか変?だし……。
今年の夏も暑い。エアコンをつける。ありがとう涼しい風を届けてくれて。でもさ宿題に関してはさ、額に汗状態なのだよ……とか思いながらぼーっとエアコン付近を見つめてしまう。
「ママ、何見てるの?どうしたの?」
「い、いや、宿題とかさぁ、ちゃんと正しいこと教えたりするのって、けっこう難しいなって。ママも別に、何でもわかるってわけじゃないからさぁ…。」
「それな!よく、パパにも聞いて!って言ってるもんね。」
「それな!」
と、同じように返してみるも…とうとう娘も「それな!」とか言うようになったか…。複雑というか感慨深いというか。「じゃね?」っていう語尾にもよくなってるし、というか、わたしもそういう言い方になる時あるんじゃね?……なるべく、ふつうの話し方にするのだ。うむ。
「ねぇママ、ベートーヴェンって、耳聴こえなくなるんだよね?」
「そうだね、有名な話だよね。」
「それでも作曲続けたんだ。」
「うん。なんか運命とかさ、第九とかも、そういうことを念頭に聴いちゃうよね。」
「でもベートーヴェンはどうだったのかなぁ…?」
「そうだねー…どうだったんだろう…交響曲って長いからね…うーん……。」
娘はしばらくの間、真面目な顔つきで頬杖をつき、何か考えているようだった。
「運命と第九、youtubeで聴いてみる。」そう言って、自分の部屋に行ってしまった。
ベートーヴェンかぁ……。吹奏楽部だったけど、あまり演奏しなかったな。わたしはリビングのCDラックを見に行った。これから、かの名曲をあらためて聴けると思うと、少しだけわくわくした。