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感想文「大魔人怒る」を観て

 先日、「大魔神」を観ての感想文を書きました。

   今日は(7月22日)録画しておいた「大魔神怒る」を観たので、引き続き感想を書きたいと思います。

 わたしが前に一度観たのは、「大魔神怒る」の途中からだったんだ、ということがわかりました。

 今回、最初から観てみたら…またまた細かいストーリー展開や登場人物はイマイチわからないところも多かったのですが…映像が「大魔神」より綺麗でした(4Kだから?)。

 始まり方も、起承転結の「転」から始まるような感じで、いっきに惹きこまれました。

 あらためて思ったのは、ふだんの大魔神は、埴輪とか、土偶のようで容れ物みたいだなーということと、怒った時は、不動明王のようだということ。

 「怒る」というと、動詞ですが、大魔神が怒った時って「何かに突き動かされて、怒らせられてる」というか、むしろ受け身というか、ホントだったらこんな風に怒りたくない、でももう怒らざるを得ない、みたいな感じもして、深い悲しみも伝わってくるかのようでした……。同時に、怒っているのはいったい何?誰?という不思議な感じもしました。

 そういえば、やはり今回も壊されてましたー…。…。………。壊せばいいってもんじゃないだろう……。鐘も湖に落としちゃってさ。それだけじゃなくて、男女関係なく魔女狩りみたいなシーンもあって、なんだかなぁ~とか、うんざり、と、見事に思わせてくれたのでした。

 1966年の作品で、わたしが生まれるずっと前の映画なので、大魔神がカッコいい、という気持ちもそれほどないし、どこが味わいどころ・見どころなのかもあまりわかってないような気がしますが、平和に暮らしたいという人間の願いは普遍的なものだなと思い、鐘の音が響きわたるラストに、じーん……としたのでした。

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