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自然災害を引き起こす異常気象の犯人

漫画『ONE PIECE』の世界には、「ひとつなぎの大秘宝(ワンピース)」を目指すうえで重要な「偉大なる航路(グランドライン)」という航路がある。

グランドラインでは、季節・天候・海流・風向きのすべてがデタラメで、さまざまな超常現象が発生するのだ。

ところで、今年のわが家の夏の電気代は、昨年と比較して安かった。そう言えば、この夏はぼくの住む地域は雨が多く、ここ例年に比べて平均的に涼しかったような気がする。子どものお庭プールも2回しかしていない。

温暖化は止まったのか?と一瞬思ったが、8月下旬に真夏日を記録しているところを見ると、気象が異常なのだ。

本来なら雨が少ない季節に雨が降るようになり、涼しくなるタイミングに暑さが襲ってくる。

ぼくたちの世界は、グランドラインを形成しつつあるのかもしれない。

気象災害は50年間で5倍に

世界気象機関(WMO)は2021年8月31日、暴風雨や洪水、干ばつといった世界の気象災害の数が過去50年間で5倍に増加したと発表した。

WMOが発表した、災害の規模を示す最新の評価によると、1970年から2019年までの50年間で1万1,000件以上の災害が発生。200万人以上が死亡し、経済損失は3兆6400億ドル(約400兆円)に達したという。

WMOのペッテリ・ターラス事務局長は、次のようにコメントしている。

気候変動の影響で、世界の多くの地域で気象や気候、降水量における極端な現象が増加しており、今後その頻度と深刻さは増すだろう。
これは、欧州や北米で最近観測されたような熱波や干ばつ、森林火災が増加していることを意味する。また、大気中の水蒸気量が増え、極端な降雨や致命的な洪水の悪化につながっている。海水温の上昇は、最も激しい暴風雨の発生頻度や発生地域に影響を及ぼしている。

WMOの報告では、災害による死者数は過去50年間で減っていることも確認できる。

ターラス事務局長は、「複合災害の早期警報システムの改善により、死者数は大幅に減少している。簡単に言うと、私たちはこれまで以上に人の命を救えるようになっている」と、死者数の減少から「希望のメッセージ」を受け取っている。

しかし注目すべきは、気象災害による死者の90%以上は、発展途上国で確認されているということだ。

それらの国や地域では、「複合災害の早期警報システムの改善」が図れないからこそ、被害を受けざるを得ないのだ。気象災害の原因の大半が先進国にあるとしても、である。

これが「グローバルサウス」という問題だ。

気候変動の原因は「人間」である

WMOの報告が出される少し前の2021年8月9日、「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)」は、第6次評価報告書(第1作業部会報告書 気候変動2021:自然科学的根拠)を発表した。

IPCCは、世界中から何百人もの科学者を募り、気候危機に関する長年の研究成果をまとめている国連機関である。そしてIPCCの報告書は、IPCCに加盟する195カ国の政府の承認を受けた上で発表されることになっている。つまり、IPCCの報告書は、国際的に非常に高い合意がなされた内容が報告されているのである。

そのIPCCの報告書が、はじめて次のように断定した(以下は、文部科学省及び気象庁の翻訳からの引用)。

人間の影響が大気、海洋及び陸地を温暖化させてきたことには疑う余地がない。

1850年以降の世界平均気温の変化は、少なくとも過去2000年間に前例のない速度で進んでいる。そして、それは「人間の影響」だというのだ。

人間の影響というと抽象度が高いため、噛み砕いていうとぼくたち人類の生活様式が、もっと踏み込んでいうと産業革命以後の大量生産・大量消費・大量廃棄という資本主義的な生活様式が、地球環境の危機的な状況を生み出しているのである。

そして残念なことに、過去及び将来の温室効果ガスの排出に起因する多くの変化は、100年から1000年の時間スケールで不可逆的であると断定されている。

IPCC報告書によれば、どんなシナリオを採用したとしても、少なくとも21世紀半ばまでは世界の平均気温は上昇を続けるという。

向こう数十年の間に二酸化炭素及びその他の温室効果ガスの排出が大幅に減少しない限り、21世紀中に地球温暖化(産業革命以前と比較した世界の平均気温上昇ー引用者注)は1.5℃及び2℃を超える。

地球温暖化が進めば進むほど、異常気象による災害のリスクは高まる。1.5℃や2℃という目標は、そのリスクを低減させるための努力目標なのだ。

目標を達成し、地球温暖化を抑制するためには、どうすればいいのか?

結論はすでに出されている。

自然科学的見地から、人為的な地球温暖化を特定の水準に制限するには、CO2の累積排出量を制限し、少なくともCO2正味ゼロ排出を達成し、他の温室効果ガスも大幅に削減する必要がある。

しかしながら、この結論は認識的一致とは裏腹に実践に移すことが難しい。

というのは、国も企業も市民も、CO2を排出し続ける資本主義的な生活様式にどっぷり浸かっており、その生活様式をできる限り変えたくないと切に願っているのである。

必要なのはキュアなのか?ケアなのか?

だが、地球温暖化を抑えるためには、CO2の排出量を削減しなければならないという事実からは逃れられない。

資本主義的な生活様式を変化させることなく、CO2の排出量を削減する。この課題を弁証法的に解決しようとしているのが、地球工学(気候工学)という分野だ。

地球工学とは、地球という惑星の居住可能性を工学的な手法によって改善ないしは維持することを目的とした学問分野のことである(Wikipediaより引用)。

例えば、ハーバード大学の研究チームは、気候変動問題に対処するため、成層圏に微粒子を散布して太陽光を宇宙に反射する太陽地球工学の研究に取り組んでいる。

しかし、こうした手法に対して、地球環境への影響、生態への影響を懸念する声は後を絶たない。

いまぼくたちに求められているのは、対処療法的に行う地球工学的なキュアなのだろうか?

キュア的な発想では、きっと危機の本質を剔抉てっけつすることはできまい。

キュアではなく、ケアこそが必要である。

ケアは相手が何を大切にしているかを重視する。人間以外を含めて、お互いのことを尊重し、配慮することこそが必要なのだ。

誤解を恐れずに言えば、エコバッグやマイ箸といったブームは、地球温暖化を抑えることはできない。SDGsビジネスでハッピーエコライフと多くの人が考えるのであれば、経済思想家の斉藤幸平が指摘しているように「SDGsは大衆のアヘン」となるだろう。

抑えなければならないのは、莫大なエネルギーを消費している企業や富裕層のCO2排出量なのだ。

地球温暖化に関するぼくたち一人ひとりの日常生活における努力は、企業や富裕層の大量消費の現実を前に限りなく無力に近い。

だから意味がないということを言いたいわけではない。

そうではなく、やりようによっては、SDGsブームの中から地球環境を考え、お互いをケアする文化を醸成することは可能だと考える。

ケアする文化から、国や企業を根本的に変える人材は生まれる。

すでにティッピング・ポイント(臨界点)は超えており、手遅れなのかもしれない。

もとの状態に機能を回復し、機能喪失以前と同じ生活を送れるようにすることがキュア的発想だ。

それに対して、原状復旧はできないけれども、残っている可能性を引き出し、再構成を行い、よりよい生活が営めるようにすることがケア的発想ではないか?

だとすれば、「あきらめる」ということは、ケアの文化には馴染まない。

この夏のプールを片づけながら、そんなことを考えていた。

いつだってそうだ、まずは気づいた人から始めるしかない。

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