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三流も活躍できる社会へ

市場における労働資本としての自己価値を高めるために、多くの人が自己啓発本やビジネス書を読みあさり、資格を取得し、一流を目指す。

今日において市場価値があるともてはやされるのは、一流やスペシャリストと言われる人たちだ。

そんな世の中にあって、「三流でいいや」といってしまえば、ルサンチマンや諦観だと批判されるのがオチだ。

能楽師という肩書を始めさまざまな活動を行っている安田登は、著書『三流のすすめ』において、「三流いい」と主張する。

安田によれば、「いろいろなことをする人」というのが三流の本来の意味である。一流とは「一つのことの専門家」、二流とは「二つのことの専門家」だという。

熱しやすく、冷めやすい性格のぼくは、一つや二つのことに長期的に集中することができない。そんな自分をいつもどこか不完全な状態であると認識してきた。

ようやく40歳を前にして半ば諦め気味に、いろんなことをしながら楽しんで生きていければと考え始めていたとき、『三流のすすめ』に出会った。

三流の特徴

安田は、三流の特徴をいくつも紹介しているが、その中でぼくにあてはまるのは次の特徴だ。

❶飽きっぽい
スポーツに音楽、カメラにDIYとこれまでに手を出したことは星の数ほどあるが、すべて長続きしない。いまのところ長期的に続いているものはといえば、読書くらいだ。いろんな世界に出会うことができる読書は、飽きっぽいぼくにぴったりの趣味になるというわけだ。

❷ものにならない
長続きしないから、ものにならない。資格一つとっても、1級まで到達したものは一つとしてない。

❸役に立たない
ものにならないから、役に立てることも少ない。特に労働市場における価値は、極めて小さい。

❹目標がない
目標はないし、目標を立てるのが苦手だ。だから、仕事で目標管理が必要だなんて言われると、「明日のことなんてわからないのに」なんて、ぼくの中の天邪鬼が顔を出す。初詣に行ったって(それだって毎年行くわけでもないのだが)、健康に過ごせますように以外は願を懸けることなどないのである。

❺火がつかなければ行動を起こせない
行動力の起爆までの導火線が長い。けれども一度火がつくと、その瞬間瞬間にそれなりの成果を生み出すことができる。

有用な人間になるための方法

新自由主義的な資本主義社会において、有用な人間になるのは簡単だ。

それは三流を目指すことなく、一流を目指すことに尽きる。

あらためて一流とは、自分の得意なことだけに集中し続けるということだ。

一流であれば、市場価値があると評価され、他者の欲求を満たすことができればできるほど、高収入を得ることができる。

ぼくだって、わかってはいるのだ。

しかし、頭で理解できても、身体は動かない。

だって三流だもの。

三流も活躍できる社会

一流を批判したいわけではない。

社会にとって一流は必要だ。

一流は、他人にとって大きな価値をもつ。だからこそ得られる報酬も大きいとされる(ただ青天井の報酬ということになれば、ぼくは批判的な立場だ)。

自分のやりたいことと他人にとっての価値が一致するなら一流を目指せばいいと思う。

しかし、ぼくのように、そうではない人もたくさんいる。

本当は一流をめざすことができないのに、周囲の期待に流されてめざしちゃったりする人もいます。本当は人生を楽しむことが一番得意な人なのに、毎日がとてもつらくなる。そういう人は一流をめざすことはきっぱりやめて、三流にシフトした方がいいと私は思います。

安田の主張に同意する。

いい社会とは、三流も活躍できる社会だ。

というのは、三流が活躍できる社会が、一人ひとりの可能性を最大限に大切する社会を意味する限りにおいてそうだ。

まだまだ三流は肩身が狭いと感じる。

三流も活躍できる社会へと、いまの社会をつくり変えていきたい。

一流になれないことへの自責感が完全に消えたとき、ぼくはきっとこう思うに違いない。

「ぼくがぼく自身を生きられている、いい社会だ」、と。


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