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人間の葛藤。
出来ないこと、乗り越えたいこと、諦めなきゃいけない事
そんな葛藤や試練から挑む野望や芯から望むことが見えてきたりするもの。
コンプレックスやしがらみがあるから反骨心が生まれて成長に繋がっていくと思う。
自分で自分の限界を決めてしまっては成長も前進も曇ってしまう気がする。
学生時代の私は高校を卒業する頃までどちらかというと、自己肯定感も低く自信がなくて自分の限界を決めてしまうタイプでした。
それは行動にも表情にも表れていたように思います。
(ボヤーっとしていましたw)
友人たちの個性が強過ぎて(笑)
羨ましかったのと同時に自分にはなんの個性も輝きも無いと後ろ向きなネガティブ思考でした。
まだ自分が何者かもわからない歳の頃のこと。
語る夢は本当にまだまだ夢であり、自分の進むべき道なんて見えておらず、ただひたすら必死に毎日を生きていました。
モヤモヤしながらもできるだけ楽しく。
思えばその生きてきた道が経験値となり、自分の糧となり自信に繋がって。
取材やインタビューをご依頼いただくときなどに語らせていただくと何一つ無駄なことは無かったんだなと実感できるようになってきました。
〜〜〜綴るアルバム〜〜〜〜〜
私の祖父は戦時中、軍の中でも第一線で戦闘を担う戦士ではなく、彼らの食事を手配したり準備を担う給仕的な仕事をしていたと聞いたことがあります。
幼い頃、朝食や晩御飯の用意をしてくれるのは主に祖父でした。
祖母は体調も優れないことも多く、祖父にほとんどを任せてサポート程度でした。
祖父は日々台所に立って私たちの食事を作ってくれて、自然と姉や私も子供ながらに手伝うのが当たり前になっていきました。
私がお店を始めたのは自分の実家もなくなってしまい、拠点(地元とか)という場所も持たなかったために「自分のお城(居場所)を築きたい」という願いもありました。
料理も中学、高校生頃からしていますが、最初は本当にヘタクソでした。
「母の味」はうる覚えなので「姉の真似」だったり「祖父の味」だったり「友人の母の味」だったり私のDNAにはさまざまな「味」が混在していました。
22歳で上京し、いろんなカフェやレストランで働くうちに「基本」を学び、自分の中に落とし込むことができ、当時、仕事が終わってからも自宅で友人たちに披露してたくさん食べてもらいました。
そんな中でもずっと頭の中にあったのはいつも祖父が後押ししてくれている気がすること。
私がタフにやって来れたのは祖父が導いてくれたのかなと感じています。