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⬛︎読書記録 これからの男の子たちへ(太田啓子)


これからの男の子たちへとタイトルにはあるが、これは決して男の子だけの話ではない。
そして、子育てをしている人だけに対する本でもない。
世間からジェンダーの観点で向けられるまなざしに対して、少しでも違和感を覚えたことがある人にはぜひ読んでほしい。
幼い頃から意識し、刷り込まれる"男ならこうあるべきだろ!"という『有害な男らしさ』に対して切り込み、向き合う背中を押してくれる本だ。

今の社会は、男性に生まれるだけで「特権階級」だと、本書は伝えている。
これは、先日読んだ『差別感情の哲学(中島義道 著)』という本にも指摘があった。『男』『女』という言葉を普段から私たちは普通に使っているが、その言葉の裏にも差別感情が含まれていることがほとんどであること、みな理解しているだろうか?と。
例えば、
・いい男=仕事ができ、性格のいい男性
・いい女=(男性にとって)気立てが良く、性的魅力のある女性
(もちろんそういう意味で使わない人もいるが、一般的に使われる意味として書かれていた。)

本書は夫と母にも読んでもらったのだが、
若い頃にバブル期を経験した母は
『男は奢ってくれるのが当たり前であり、女は奢られる女でいなければならない。そして結婚すれば家事育児を引き受ける必要がある』という価値観を持っていた。
夫は、小学生〜大学まで野球部に所属しており、『力こそ全て』という男の社会で生きてきた。そこに女は存在しないし、出来なかった。
世代は約30年違うのに、ジェンダーによる価値観は、何も変わってないのだ。

このように、本人が知らぬ間に『有害な男らしさ』が刷り込まれる社会になっていて、知らぬ間に次世代にも繋げてしまっているのだ。

わたしには息子がいるが、息子が差別的なことや暴力に対して、共に怒り、闘う人に成長できるように支援したいと心から思う。
今後もし娘を授かれるとして、自分の娘に将来、"わきまえた"生き方をしてほしくない、とも思う。
子供達が将来、私たちの世代がこれまで経験したことをもう一度経験すると考えるだけでゾッとしたからだ。

しかし、そのためにはどうすればいいのか?
差別をなくしましょう、自分と人を大事にしましょう。そんな言葉をかけるだけでは、ずっと、何も変わらなかったのだ。
今からでも遅くないやり方はあるだろうか?

それはやはり、『差別感情の哲学』にもあった、"自己批判精神"と"繊細な精神"を持つことだと思う。
気付かぬうちに一人一人が、男であること、女であることを理由に自然と"わきまえて"しまってるだろう。
そのほんの少しの"わきまえ"が、この差別的な価値観が根底にある社会を助長させているのだ。
そのわきまえにはどんな感情が隠されているのか?不快?それとも嫌悪、軽蔑?もしくは優越感、自尊心、向上心なのかもしれない。
それぞれの感情をよく観察し、様々な立場の側から自分をよく見てみるのだ。
きっと、醜く虚しい優越感や自尊心が見えてくるはずである。辛く苦しい時もあるだろう。でもそれが人間であるのだから、抑えつけてはいけない。抑えるのではなく、対話するのだ。
自分と、できるだけ様々な他者との対話を怠らず、生きる限り対話を続けていくのだ。

世界を大きく変えられなくても、自分や家族、身近な他者と一緒に新しい常識を作っていくことはできる。それは今からでも遅くはないはずである。

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