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三人の女たちの抗えない欲望(リサ・タッデオ)

これはただの官能小説ではない。
今もどこかで、意外と近くで起きている人間の欲望のリアルだ。
そして、社会的価値に振り回されて生きている人間のリアルだ。

人はみな、愛し愛されたいと思っている。
その欲望が、当たり前のように女にもある。
そして当たり前のように性欲もあるのだ。
しかし、女が男に選ばれるためにはそもそも容姿端麗で海外で言うとHotな女でないといけない。性的に魅力的に映るように着飾り、誰からも愛されるキャラクターで居なければならないしーーーーかと言って誰にでも股を開くような女ではいけないのだーーーー慎ましさとともに、秘めた性的魅力を持ち合わせていないといけない。
そんな風に、この世に生まれた瞬間から女であることで価値観を植え付けられ、愛し愛されたいと願う三人の女性が登場する。

本書に登場する三人の女性たちは、みなこのロマンチックラブストーリーに固執している。
高校の既婚者教師と秘密めいた関係に永遠を求めるマギー。学生時代のレイプ経験等で心に傷を負い、心も体も満足できる結婚生活を送れておらずW不倫を始めるリナ。そして、容姿端麗・優れたビジネスセンスを持ち夫婦でレストランを経営しているが、ある日夫から他人とセックスする姿を見せて欲しいと要求されるスローン。

みなアメリカ人だが、それぞれの全く違う背景で育ち、年齢もバラバラだ。
しかしわたしが思うに、全員に一致することが一つだけある。
全員が、まるでロマンチックラブを求める思春期の少女のような心を持っているのだ。
マギーは、人間と吸血鬼が恋に落ちる『トワイライト』シリーズが大好きだ。トワイライトの2人のように、障害が大きいからこそ盛り上がるし、先生とは最終的には結ばれるのだと信じていた。
リナは、今の夫と添い遂げたいと思っているが、夫はセックスをしてくれない。一生、俗に言うラブラブでいちゃいちゃできるカップルとして添い遂げたいと思っているのに、お互いの性欲をぶつけ合いたいのに。
スローンは、家父長制の要素が強い家庭で育ち、幼い頃実の兄から性的暴行を受けかけ、将来はトロフィーワイフとなるよう教育され、男性から愛された記憶がない。唯一愛してくれた今の夫とずっと一緒にいたいのだ。だからこそ、他人とのセックスは断れない。男性から愛情をもらうためには自我を抑え込まねばいけないという信念が彼女にはあるのだ。

要因は何だろうか。なぜもう変わってしまった愛や恋を目の前にしても、自分を苦しめるこのイデオロギーに気づけぬまま、ただ愛を求めてしまうのだろうか。

みなそれぞれが保守的な、古い価値観を持つ州に住む人たちであること、そしてカトリックなどの宗教的に禁欲性が高く閉鎖的であることは考えられるだろう。

ただ、ここで一つ、最近読んだ『昔話と日本人』という本からの学びを落とし込んでみることができそうなので記す。
ユング心理学の権威である河合隼雄先生はこの本の中で、物語が文化や人格に与える影響を説いた。

そもそも西洋においては、"結婚こそがハッピーエンドである"と刷り込むような物語に溢れている。
グリム童話しかり、ギリシャ神話しかり。代表的なディズニープリンセスたちはみな王子様と結婚して幸せになるのだ。結婚して、めでたしてめでたし、なのだ。
一方、日本の昔話は、結婚がスタートでありゴールではないことが圧倒的に多い。結婚で話が終わることが稀なのだ。鶴の恩返しや浦島太郎のように、結婚してから待ち受ける悲劇やもののあはれを描く物語がほとんどを占める。
西洋人からすると、え?それで終わり?となるらしい。西洋の物語には、"これこそが価値!"と言わんばかりの強烈なオチが存在する。みんなで大きな敵を倒す、その後にお姫様と結婚するなど。勇者英雄のハッピーエンド物語だ。

昔から当たり前のように、刷り込まれてきた価値観はそう変わらない。
しかも、物語はメタファーなので、直接的ではないが無意識に対して大きく働きかけることができる。みな自分のこととして、脳内で勝手に受け取り、そして簡単に学んでしまうのである。
自分も、人生成功したければ何かを勝ち取り勇者英雄お姫様になることだ、と捉えてしまう人がいてもおかしくないだろう。

今や日本の子供たちも、小さい頃から触れる物語は、ディズニーなグリム童話が多くなってきているのではないだろうか。

話を本書に戻し、考えをまとめたいと思う。

西洋の文化においてロマンチックラブイデオロギーが起きやすいことは間違いなく、現実起きてしまっている三人の女性の話を読むと、胸が痛いのだ。
しかし一方で、自分にもある感情や価値観を三人を通して気付くのだ。
実際にわたしは、なぜか27歳で結婚する。30歳までに子供を1人産んで…などと、14歳の頃には考えていたのだ。そして、それこそが幸せだと思っていた。大好きな人と家族を作り、子供を育てることがわたしの人生における"幸せ"になっていたのだ。

わたしは今、夫と息子に出会えたことに感謝している。
しかし、"家族を作ることこそが幸せである"という価値観が、もはやこれがいつ、どこから、何故そう思ったのかが、わたしにはわからないのだ。わたしは、それが怖いのだ。
自分で決めたと思っていた幸せは、誰かによって作られた幸せなのかもしれない…?
そう思うと、どうにも胸のざわつきを抑えられなくなる。

社会的な価値はすぐに変わる。
もはや10年後には、ロマンチックラブなど馬鹿馬鹿しいと言われる世の中になっているかもしれない。
社会的価値に、自分の人生を振り回されることのないよう、高い感受性とある程度の批判精神を持ち合わせつつ、今を生きていける人になりたい。そんな風に思うのだった。

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