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正しいという息苦しさと共に生きるー断片的なものの社会学(岸政彦)


本人の意思を尊重するという搾取、本人を心配する、というかたちでの押し付けがましい介入。社会は良くないものを含んで成り立ってしまう。
ラベルを貼られる側の立場に負荷がかかりすぎている。その土地、その性別、生まれ、その環境を選んだあなたの責任。この世界に出口はないのか?

本書には犬のエピソードが出てくる。気付いたら泣いてしまっていた。
著者が可愛がっていた犬が、彼の外出中に死んでしまった。それを他の人は、死に際をあなたな見せたくなかったからだよと慰めてくれたと。しかしそれに対して著者は本気で怒って否定した。そんなことない、犬はただただひとりぼっちで死んでしまったんや。ただそれだけや、と。
誰かが死んだこと、いなくなってしまったことに対して物語を付けることで人は癒される。でも同時に、ただその事実をありありと受け入れる必要もあるのだ。
自分は無力だったと。

自分はつくづく、断片的で平面的なものしか知らないし見ていないと思う。
そんな私でも、少しずつだけれど、周囲の気圧がどんどん上がっていることを感じる。
結婚、子供、仕事、住む家、食べているもの、それらを表現することは自由だ。でもそんな時ふと息苦しくなる。これは正しさの押しつけではないか?と。

近い人には見る目が甘くなり、遠い人には厳しくなるのが人間だと本書にはあった。まさしくその通りだと思う。私もきっと少し遠い存在から、煙たがられたり近い人にはあらゆることを仕方ないよ、なんて言ってもらえている。それが人生なのかもしれない。

自分の(周囲も)気圧が上がっていることに気づいたら下げてみたり、下がっていたら上げてみたり。

社会を知ることは自分の"偏り"を知ることだ。

どこに傾きやすいかを理解してバランスを取りに行くことって忘れてはいけない。
バランスなんか存在しない社会の中で生きているんだから。

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