お前はもう死んでいる

このセリフは、北斗の拳で、主人公が相手に対して、秘孔を突いて技を決めたときに言ってる言葉だ。

実際に、北斗の拳が少年ジャンプで掲載されて、僕は中学時代からリアルタイムで読んでいた。

当時、任天堂からファミコンが発売されたのだが、まだまだ、遊ぶというのは、テレビゲームが主流ではなかった。

そして、何より、僕たちは、この北斗の拳をこよなく愛読していたんだよな。

そして、アホみたいに、適当に身体の一部を突いては、お前は、後、50年後に死んでいるとか言ってた。

こうして、振り返ってみると、他愛もない、ノホホンとしたのどかな遊びだったとも言える。

しかしながら、中学時代といえば、13歳から15歳ということやから、50年後と言えば…

63歳から65歳になる。

あながち、間違ってはない設定なんよね。言わば、次元装置がついてる呪いともとれる。

ここからが、本題になるんやけど、この呪いというものについて個人的見解を述べる。

まず、呪いは実在するのかと聞かれれば、実在すると断言出来る。

なら、効力はあるのかと聞かれれば、あると言える。

人の想いや念は、想像以上に強い。

例えば、密かに想いを馳せている人や、パートナー、恋人、はたまた、子供のことを、心から案じて、幸せを願うのであれば、それは、幸福を呼び込むキッカケともなる。

逆の場合も然り。

相手のことを、心底、憎しみ嫌っていれば、不幸を呼び込むのである。

前者は、漢字で表すと祝いとなり、後者は呪いとなる。

呪術廻戦という漫画がある。
アニメ化もされていて、タイトルくらいは聞かれたことはあるだろう。

僕は、この呪術廻戦が流行る前から、平安時代に活躍してた安倍晴明やら陰陽道について、好きだったので、色々と調べてた。

また、時代背景もあり、世紀末ということで、僕が物心つく前には、ノストラダムスの大予言という本が発売されて、終末思想もあった。

その上、米ソの間では冷戦で、いつ核戦争が起きてもおかしくないという風潮もあった。

そのため、冒頭にも紹介した北斗の拳も、最初は、199X年、核戦争が起こり、荒れ果てた地での覇権争いから勃発する荒廃した社会での闘いが描かれてる。

随分と話が逸れたが、1970年代後半からは、オカルトブームにより、ユリゲラーのスプーン曲げや、心霊番組など乱立してた。

その中で、陰陽師の存在というのが、やたらと気になったんよね。鬼や魑魅魍魎が跋扈していて、政にも陰陽師が関わっていたというくらい、人々の生活に浸透していたということやから。

ここで、呪いのメカニズムを簡単に言うと、要するに、呪っている相手に、自分は呪われてると認識させればいいだけのこと。

つまり、何か、不具合なことが起きれば、これは呪われてるせいやと思わせることが肝要なんやね。

所謂、暗示にかけるということ。

つまり、呪いの藁人形は分かりやすい。何故、丑三つ時に、神社の木に、五寸釘で打ち付けんとあかんのか?

それは、深夜、静まり返った中で五寸釘を打とうものなら、大きな音が響き渡る。つまり、今、藁人形を打ってますよと伝えようとしてるもんやね。

でも、この藁人形を打ってるということを、誰かに見られたら、その呪いは自分に返ってくるということ。人を呪わば穴二つという言葉があるように、そうそう、誰も彼もが呪いを頻繁にやられては困るからという認識が存在してたんよね。

そう考えると、いつの時代も、社会というのは閉塞的で、ガス抜きが必要なんやね。時代によって、その形は変わるけど、根底に流れてるんは、人の想いや念なんやろうね。

これからの時代、あなたは何を想って生きていく?


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