自己を知ったオイディプス王
登場人物
オイディプス:ナーヤカ(ヒーロー)。ライオスの子
イオカステ:ナーイカ(ヒロイン)。ライオスの妃
ライオス:テバイの王
クレオン:イオカステの弟
ポリュボス:コリントスの王
メロペ:ポリュボスの妃
ホシオン:ライオスの従者
行商人:後にポリュボスの従者となる
学友:コリントスの貴族の子弟
老人:テバイ市民の長老
巫女:デルポイのポイボス・アポロン神殿の巫女
テイレシアス:盲目の修行者
スフィンクス:魔神
ヘスティア:犠牲の火の処女神
序幕
舞台中央に蓮華の花。座頭と女精霊(Bhūta)登場。座頭は聖杖で周囲を払いながら歩き回る。座頭が杖を振るたびに鐘の音とともに女精霊が座頭の頭上から花びらをまく。座頭と女精霊中央に立つ。
座頭「敬虔で、慎みあり、健全な自己を保つ紳士淑女の皆さん。劇が始まります。ですから、心のついたてを片付けて、劇の意味を注意深く鑑賞しましょう。そして類推による普遍化によって、全ての生き物を抱擁しているような、万物の幽玄な味わいのような、非世間的な感動に身を委ねましょう。そのとき、私たちはひとつとなれることでしょうから」
女精霊「座頭様、それで劇って、どんな劇なんですか?」
座頭「これは精霊さん。それはですな、"自己を知ったオイディプス王"という劇です」
女精霊「何だか聞いたことがある名前の王様ですね」
座頭「そりゃあそうでしょうとも、あの有名なテバイのオイディプス王ですから」
女精霊「読めましたよ座頭様、さては劇団があんまり貧乏なものだから、有名な劇を剽窃して、一山当てようって魂胆ですね?」
座頭「精霊さんにはかないませんね、いいでしょう、我が劇団が貧乏なのは認めましょう。でもそれは大げさな宣伝や扇情的で下品な劇に走ることなく、皆さんのためになる劇、親しみと歓喜を生み出す劇のみを慎ましく上演しているからなんです。だてに"チャールダッタ座"と異名をとっていませんよ。この劇にしたって、確かに有名な劇の翻案ですけれども、剽窃だなんてとんでもない。それどころか、元の劇の変なところを改良して、少なくとも私たちバーラット人にとっては、ずっとずっと善い劇になりましたよ」
女精霊「確かに元の劇は、イオカステが自分の赤子を殺されたことになんの悲しみも抱いてない様子だったり、オイディプス王が育ての親の死を聞いてもなんら悲しむ様子がなかったり、ひとりオイディプス王の身の上なんかより、苦しんでいるたくさんのテバイの人々がどうなるかが私たちの関心事だったのに、オイディプス王が追放されたことでテバイの人々が幸せになれたのかどうか、一切語られなかったり、バーラットの私たちには変なことだらけです。それに、終幕のラサ(劇的感動)がカルナ(悲しみ)やバヤーナヤ(恐ろしさ)だなんて、私たちには考えられないことです。終幕のラサはアドブッタ(驚異)かヴィーラ(英雄的)か、シャンティ(安らぎ)でなければなりません。大団円でなければなりません。それからそれから、自己を知ったことで破滅するなんていう筋は、私たちには到底受け入れられません。私たちにとって自己を知る省察に励むことこそ人間の義務であり、全ての人間がその務めを果たし慎みを獲得することでようやく世界は善いものとなるのです」
座頭「さすが精霊さん、わかってらっしゃる。そこなのです。元の劇は、確かに驚いた美の極みですけれども、善さが足りません。私たちバーラット人の肌には合いません。それで我が劇団がちょちょっと手直しした、というわけです」
女精霊「そういうことでしたか。それなら楽しみです」
座頭「ご理解いただけたようで安心しました。実は怒られないかとひやひやしていたんです。だって西洋では演劇の中の演劇、古典の中の古典とも称されるものを、大胆にもバーラット風に改作しちゃったんですからね」
女精霊「寛容さこそ美徳の山のいただきです。あれ、どなたか見えられましたよ」
座頭「おお、あれこそが劇の発端、テバイの王ライオスです」
第1幕 ライオス神託を聞く
場所:デルポイのポイボス・アポロン神殿
ライオス登場。
ライオス「テバイからデルポイまで3日もかけてやって来たが、まったくくたびれた。これで良い神託が聞けなければ、とんだ骨折り損ないというものだ。妃のイオカステにもう子が生まれるから、慣例通りに生まれる子についての神託を伺うべきだなどど評議員たちに促されて来たものの、そんなことにならなければよいのだが。それにしてもずいぶん待たせるな、デルポイの巫女は。おや、ようやくお出ましだ」
巫女「テバイ王ライオス、神託が下ったぞ」
ライオス「して、なんと?」
巫女「お前はイオカステが生む息子に殺されるだろう」
ライオス「なんだって?」
巫女「聞こえなかったか? テバイ王ライオス、お前はイオカステが生む息子に殺されるだろう」
巫女大笑いして退場。
ライオス「なんということだ、なんと悪い神託だろう。否、そうではない。これは良い神託だ。ポイボス・アポロンは私を憐れんで、私を救うために良いことを教えてくださったのだ。さあ、私はなすべきことをしよう」
暗転。
第2幕 母の純粋な愛
場所:テバイの宮殿のイオカステの部屋
イオカステが赤子を抱いて乳を飲ませている。
イオカステ「かわいい我が子。愛しい我が子。母はあなたのものです。だから安らかでいてください。幸せでいてください。なにも恐れることはありません、私とあなたはひとつなのです」
ライオス登場。
ライオス「妃よ、生まれたのか」
イオカステ「陛下、いまお戻りになられたのですね。はい、昨日生まれたのです。さあ、あなたの子です。抱いてあげてください」
ライオス「男か、女か」
イオカステ「お喜びください、男の子です、後継ぎが生まれたのです」
ライオス、赤子を乱暴に奪い取る。
イオカステ「陛下、どうなさったのですか」
ライオス「ホシオン、ホシオン」
ホシオン登場。
ホシオン「陛下、ここに」
ライオス「こやつを荒野へ連れて行き、殺してこい」
ホシオン「とんでもないことでございます」
イオカステ「陛下、陛下は狂ってしまわれたのですか?」
ライオス「妃よ、ホシオンよ、わしは狂ってなどいない。わしはデルポイの神託を聞いたのだ。ポイボス・アポロンはこの息子がわしを殺すと教えてくださった。ポイボス・アポロンはわしを憐れんでくださり、そうなる前に、この子を殺すべきことを教えてくださったのだ。さあ、ホシオン、もうわかっただろう、早くこやつの足を、銅の釘で棒に差して運び、殺してくるのだ。もしもお前が断るというなら、いいだろう、わしが自分でこやつを殺すが、その前にお前を殺してやるとしよう」
ホシオン「お方様、お許しください」
ホシオン、赤子を連れて退場。
ライオス「これでよい。ああ、これで安心だ」
イオカステ号泣。
イオカステ「陛下、あなたは暴虐です、不敬虔です。ああ、私のかわいい赤ちゃん、私の愛しい赤ちゃん」
暗転。
第3幕 敬虔な行為
場所:キタイロン山麓
ホシオン、かついだ棒に赤子をくくりつけて登場。赤子の足から血が滴る。
ホシオン「私はライオス王にお仕えしてもう長いが、思えばあの方に優しくしてもらったことなど一度としてなかった。そしてついにこんな役目まで負わされている。とうに気づいていたことだが、あの方は暴虐だ。不敬虔だ。おお、かわいそうに、こんなに泣いて。足が痛いのだろう。この上は、早く楽にしてあげるのが慈悲というものだ。ああ、キタイロン山の麓まで来た、この辺りには誰もいないし、もういいだろう」
ホシオン、棒と赤子を地に置き剣を抜く。振りかざすが剣を鞘に戻す。
ホシオン「とてもできない。こんなむごいことは私にはできない。この赤子にはなんの罪もない。この子を殺すなんて、ポイボス・アポロンが許しても、私は許さない」
ホシオン、赤子の足の釘を抜き赤子を抱いて号泣。女精霊によってホシオンの頭上から花びらがまかれる。行商人、荷車を引いて登場。
ホシオン「おや、あれは行商人だな? テバイの方から来たから、きっと山を越えてコリントスの方へ行くに違いない。私は神々よりも人間を信じよう。あの男の敬虔さを信じよう。私は赤子をあの男に渡し、陛下には赤子は殺したと報告しよう」
行商人、ホシオンに近づく。
行商人「あんたはこんなところで何をしているんだ? それにその赤子は足から血を流してそんなに泣いて、なんてかわいそうなんだ。いったい何が起こっているんだ?」
ホシオン「私はテバイのホシオン。訳あってこの赤子を殺すように命令されてここまで来たが、私にはとてもできない。さあ、この子を受け取ってくれ」
行商人、赤子を受け取って抱く。ホシオン、走り去る。
行商人「おい、待て、こら。ああ、お前はいったいなんてひどい目に会ったんだ、よし、よし、もう大丈夫だよ、おじさんがついてる。あの男はきっとやむに已まれぬ事情で私にお前を託したに違いない。私の敬虔さを信じてお前を委ねたに違いない。この上は、私は人間としての務めを果たさなければならない。そういえば、いつも親切にしてくださっているコリントスの王には子がない。そうだ、この子の足を手当てして、コリントスまで連れて行き、王に差し上げよう。それが私のなすべきことなのだ」
女精霊によって行商人の頭上から花びらがまかれる。暗転。
第4幕 贈られたもの
場所:コリントスの宮殿の王の間
ポリュボス王とメロペ王妃が椅子に座っている。
ポリュボス「私もそなたももう老齢となったが、ついに子ができなかった。神々の思し召しがそうなのだから、仕方がないことだ」
メロペ「陛下がそばめを置かれなかったからでございます」
ポリュボス「そうかもしれない。だが私のそなたへの愛がそうさせなかったのだ」
メロペ「承知しております。ですがコリントスの民のことを思えば、陛下ももう意をお決めにならなければなりません」
ポリュボス「養子のことを言っているのだな? だが子は誰にとっても愛しいもの。親から子を引き離すようなことは気が進まない」
メロペ「もっともなことです。ではどうしましょうか」
行商人、赤子を抱いて登場。
行商人「ポリュボス様、メロペ様、お久しぶりでございます」
ポリュボス「おお、そなたはいつも諸方から良い商品を届けてくれる行商人殿ではないか。さてはまた良い品を運んできてくれたのだな? おや、その赤子はそなたの子か?」
メロペ「なんてかわいらしい子でしょう」
行商人「いいえ、この赤子は私の子ではないのです。この子はキタイロン山に捨てられていて、足を怪我していたので手当てして、ここへ連れてきたのです。それというのも、ポリュボス様、メロペ様、あなた方にお子がなく悲しんでおられたのを、思い出したからでございます。さあ、この子をお受け取りください」
メロペ、立ち上がって赤子を抱く。
メロペ「ああ、かわいい赤ちゃん。私の愛しい赤ちゃん。」
ポリュボス「行商人殿、没薬も乳香も金も、この赤子には遠く及ばない。私はそなたの無私の奉仕に報いたい。どうか私の従者となってほしい」
行商人「ありがたいことです、そういたしましょう」
メロペ「ああ、こんなに足が腫れて、かわいそうに。もう大丈夫ですよ、私のオイディプス(腫れ足)ちゃん」
女精霊によって全員の頭上から花びらがまかれる。幕。
第5幕 疑惑の発端
場所:コリントスの宮城。
女朗唱
16年過ぎ去りて 知勇備えたコリントス王子オイディプスここにあり
生みの親と育ての親の愛に違いありかなきか
神々といえども定むることあたわず
ただ親と子のみぞ知る
オイディプスと学友がワインを飲んでいる。
オイディプス「君が勧めるから初めて酒を飲んでみたが、これは決して善いものとは言えない。確かに最初は楽しい気がするが、だんだん不快になってきた」
学友「酒の善さがわからないだと? オイディプス、お前はディオニュソスを冒涜するんだな、そういうことなら、ディオニュソスに代わって、お前に教えてやろう」
オイディプス「おいおい、君、だいぶ酔っているようだぞ」
学友「酔っていたって知っていることは知っているのだ。いいかオイディプス、お前は私生児だ」
オイディプス「なんだと?」
学友「だから、お前はポリュボス様とメロペ様の子ではなくて、拾われ子なんだよ」
オイディプス「でまかせだ」
学友「でまかせじゃない。お前のその両足の傷がその証拠だ。お前は銅の釘で足を刺されて、棒にくくりつけられて、山に捨てられたんだ。その傷はそのときの傷なんだよ」
オイディプス「誰にそれを聞いたのだ」
学友「親父さ。お前が拾われてきたときに評議員だった者はみんな知ってることだ。まあ、ポリュボス様かメロペ様に聞いてみるがいいさ。いいや、あのおふたりは本当のことを教えてくれないかもしれない。それよりも、デルポイの巫女に尋ねる方がいいかもな。ポイボス・アポロンは、嘘をおつきにはならないだろうからな。ふう、さすがにちょっと酔ったかな」
学友、千鳥足で退場。オイディプス退場。ポリュボスとメロペ登場。
ポリュボス「オイディプスはもう学問を治め、あの年齢にしてはそれなりに美徳も身に着けた。武芸では並ぶ者とてない。もう私が退位してもよい頃合いだろう」
メロペ「ええ、そうかもしれません」
オイディプス登場。
オイディプス「父上、母上、お聞きしたいことがあります」
ポリュボス「どうしたオイディプス、そんなに取り乱した様子で。心を落ち着けなさい。お前はもうじきコリントスの王となる身。そんなことではいけないよ」
オイディプス「ごもっとも。ですが、いま私は心を落ち着けることができないのです。それというのも、学友が言うには、私は私生児であって、父上と母上の本当の子ではなくて、山に捨てられていたのを拾われたのであり、この両足の傷がその証拠だということです。父上、母上、本当のことを教えてください。私はあなた方の本当の子なのですか? それとも私は山に捨てられていたのを拾われたのですか?」
ポリュボスとメロペ、顔を見合わせてうなずく。
ポリュボス「何を言うのか、我が子オイディプス。お前は私とメロペの本当の子だ」
メロペ「その通りです、我が子オイディプス。あなたは私が産んだ子です。私たちの愛が、実の親のそれと異なっていると、あなたは感じたことがありますか?」
オイディプス「ありません。でも、それをお聞きしても、私の心に何かがうごめいています。私はデルポイに行きます。巫女にポイボス・アポロンの神託を尋ねます。私の本当の父と母が誰なのかを尋ねます」
メロペ「オイディプス、いけません」
ポリュボス「いや、オイディプス、そうするがいい。船を用意しよう」
オイディプス「父上、ありがとうございます」
オイディプス退場。
メロペ「陛下、どういうおつもりですか」
ポリュボス「メロペ、偽りは決して真理とはならない。そして真理は人間を守り、人間として保つ。もしも、オイディプスが真理を正しく見て、正しい道を進むのであれば、そのようなことが起こるだろう」
メロペ「私は愚かでした。その通りでございます」
女精霊によってふたりの頭上から花びらがまかれる。暗転。
第6幕 オイディプス神託を聞く
場所:デルポイのポイボス・アポロン神殿
オイディプス「いやはや、船の旅とは素晴らしいものだ。海面も、潮風も、海鳥も、海の全ては美しい。しかし私の心のこのざわめきはどうだろう。疑惑とは恐ろしいものだ、いつのまにか人の心を覆いつくして、美しいものの輝きをも失わせてしまう。ああ、巫女は神殿にこもってもうだいぶたつが、神託はまだ下らないのだろうか。しかしあるいは、私はこの神託を聞かない方がいいのかもしれない。だが、聞かなければならない気もする。おや、巫女が出てきた」
巫女「コリントスの王子オイディプス、神託が下ったぞ」
オイディプス「して、なんと?」
巫女「お前は父を殺し、母と結ばれるだろう」
オイディプス「いまなんとおっしゃいましたか? 私がポイボス・アポロンに尋ねたのは、私の本当の父と母が誰なのかだったのですが」
巫女「聞こえたはずだ。コリントスの王子オイディプス、お前は父を殺し、母と結ばれるだろう」
巫女大笑いして退場。オイディプス立ち尽くす。暗転。
第7幕 生存への執着
場所:ポキスの荒野
オイディプス登場してふらつきながら歩く。何度も転ぶ。
オイディプス「あんな神託を聞いたあとで、どうしてコリントスへ帰ることができるだろう。どうして父上と母上に近づけるだろう。私は真理を求めて旅立ち、悲嘆を得た。いったい真理とは人を不幸にするばかりのものなのだろうか。この上は、私はいっそ死んだ方がいいのだろうか。さて私はどこへ向かって歩いているのだろうか。私には全てがわからない。おや、馬車がやってくる」
馬車と御者、冠をかぶった男が登場。
冠をかぶった男「砂埃にまみれた汚い男よ、お前は奴隷か? それとも盗賊か?」
オイディプス「私は神々が定めた運命、そして疑惑と悲嘆の奴隷です。そして私は汚れた行為によっていのちを盗む盗賊です」
冠をかぶった男「卑しい者よ、ならばひれ伏せ」
オイディプス「お断りします。私がモイライの奴隷であったとしても、あなたの奴隷ではないのです」
冠をかぶった男「聞こえぬか。ひれ伏せ、下郎」
オイディプス「お断りします」
冠をかぶった男、剣を抜いて振り下ろす。オイディプス顔を切られて倒れる。
オイディプス[独白]「私は死にたくない。私は生きたい。私の心の生存への執着にいま火が灯った」
オイディプス、立ち上がって叫び剣を抜く。冠をかぶった男、剣を抜いて馬車から降りる。
オイディプス[独白]「この男は傲慢で暴虐だ。そして私を侮辱し攻撃した。私にはこの男を殺す権利があるはずだ」
オイディプス、冠をかぶった男を組み伏せて剣を胸に刺す。
冠をかぶった男「ぎゃあ」
オイディプス、恐れおののいて飛びのく。
オイディプス「この男の断末魔の叫びが私の目を覚ました。この男の生存への執着は、私の心の内のそれと同じものだ。私は自分が痛みに苦しむ思いがした。ああ、私は自分と戦い、自分を殺したのではないだろうか」
オイディプス顔を覆って泣く。御者逃げ出し退場。暗転。
第8幕 そばに座る
場所:ポキスの森
剃髪したテイレシアスが樹下に足を組んで座り目をつむっている。
テイレシアス「何かが私の省察を乱している。何かが近づいてくる。諸々の事物に執着した者が近づいてくる。しかし彼はひどい悲しみと苦しみにもがいている。彼がここへ来たなら私は、母が子を愛し守るように、尽きることのない慈しみの心で愛し守ろう。それが平安の境地に達した者の務めなのだ。全てのいのちは幸せであれ」
女妖精によってテイレシアスの頭上から花びらがまかれる。オイディプスふらつきながら登場。
オイディプス「我を失い歩くうちにこんな森の奥まで来てしまった。おや、樹下に座って目をつむっている老人がいる。犬のように森で暮らす哲学者がいると聞いたことがあるから、きっとそのような人のひとりに違いない。それにしてもあの人の表情は穏やかで明るく、体つきは若々しく、ほっそりと整って清らかだ。さては立派な哲学者に違いない。私はいったいどうしたらいいのかさっぱりわからないのだから、この方に教えを乞おう。ちょうど干し葡萄を持っているから、この方に施そう」
オイディプス、テイレシアスに近づいてそばに座る。
オイディプス「犬儒さま、この干し葡萄を受け取ってください」
テイレシアス「これはありがとう。いただきます」
テイレシアス干し葡萄を受け取る。
オイディプス「私はオイディプスです。あなたはなんというお名前ですか? あなたがずっと目をつむっておられるのはなぜですか?」
テイレシアス「私の友オイディプスさん、私はあなたの友テイレシアスです。私は生まれつき盲目なのです」
オイディプス[独白]「私のような未熟な若者を友と呼んでくださるとは、なんと謙虚で慈しみ深い方なのだろう」
オイディプス「私の友テイレシアスさん、あなたの表情は穏やかで明るく、体つきは清らかです。あなたはどうやってその幸せを獲得されたのですか? どうすればそのような安らぎに憩うことができるのですか?」
テイレシアス「私は29歳のとき、善を求めて家を出ました。それから50年の間、体と心を省察し続けてきました。そうして私は目によってではなく心によって見て自己を知り、いま幸せと安らぎに憩っているのです」
オイディプス「私もまた自己を知ろうとしたのですが、そのためにかえっておのれの出生を疑い、運命におののき、生存への執着から人を殺しました。私は悲しみと苦しみにもだえています。お慈悲ですから、あなたの省察の技を教えてください。私は幸せと安らぎを得たいのです」
テイレシアス「若い友よ、私の省察の技を学んでください」
オイディプス「そうしましょう」
テイレシアス「足を組んで座り、体をまっすぐに保ち、目をつむりなさい」
オイディプスそのようにする。
テイレシアス「息を吸うときは息を吸っていることをよく見なさい。息を吐くときは息を吐いていることをよく見なさい」
オイディプスゆっくり深く呼吸する。
テイレシアス「呼吸から始めて、自分に起こっている物理的現象にしっかりと心をとどめなさい」
オイディプス呼吸する。暗転。
第9幕 非二元性
場所:テバイの宮城前の辻
イオカステとクレオン登場。Steve Reich "The Cave" Act 2 Interior of the caveとチベット様式の倍音の朗唱が大音響で轟いている。
クレオン「姉上、もうだめです。スフィンクスが宮城に降り立ってからもう3日、誰もあの謎を解けずに食われてしまったし、この唸り声を聞いているうちに、テバイの市民はいよいよ頭が狂ってしまいました。町のそこかしこで強盗が横行し、人々は殺し合っています。我らだってもうどうかしそうです。さあ、市民とともにいずこなりとも逃げましょう」
イオカステ「いけません、クレオン。ライオス王亡きあとはやひと月、私とあなたは共同で統治してどうにかテバイを守ってきました。そもそもあの魔神がやって来たのは、私たちの力が及ばず、王の不在を好都合と見て、テバイの人々が悪徳に染まってしまったからなのです。テバイの市民が平気で嘘をつき、弱いものを虐げ、酒におぼれ、欲得を貪ったためなのです。彼らは常に怒っています。悪徳が魔神を呼び寄せるということは、誰もが知っていることです。こうなった責任は私たちにあるのですから、逃げてはなりません。さあ、ふたりでスフィンクスに立ち向かうのです」
クレオン「ですが姉上、姉上と私にあの謎が解けるのですか? "お前は誰だ"」
イオカステ「名前を答えた者は食われました。人間と答えた者は食われました。生き物と答えたものは食われました」
クレオン「そうです。きっと正しい答えなどないのです。デルポイのポイボス・アポロン神殿に刻まれている通り、この謎は神々以外に答えることなどできないものなのです。自己を知るなどということは、人間には決してできないことなのです。そのため我らは神託を聞くのではないですか」
イオカステ「そうかもしれません。でもかつて私の息子、あなたの甥はその神託のために殺されました。もしも神託を聞くことで人が幸せになるとしたら、私のこの苦しみはなんなのですか?」
クレオン「姉上、今は議論をしている場合ではありません。そうかと言って、デルポイまで神託を聞きに行く猶予もありません。さあ、市民を集めてどこかへ避難しましょう」
イオカステ「それで、どこへ?」
クレオン「どこへでしょう?」
途方に暮れるふたり。剃髪し椀を持ったオイディプス登場。
クレオン「おや、姉上、向こうから乞食がやってきます」
イオカステ「あの方の表情は穏やかで明るく、体つきはほっそりとして清らかです。あの方は乞食でしょうがきっと立派な哲学者様です」
クレオン「それでは我らはあの方に尋ねてみましょう。あなたはどなたですか? あなたは自己をご存じですか? と」
イオカステ「そうしましょう」
イオカステとクレオン、オイディプスに近づく。
イオカステ[独白]「なぜでしょう、私はこの凛々しい方をよく知っている気がする。この心に沸き上がる愛のときめきは、いったいなんなのでしょう」
オイディプス[独白]「なぜだろう、私はこの美しい方をよく知っている気がする。私は心を制したはずなのに、この心に沸き上がる愛のときめきは、いったいなんなのだろう」
イオカステ「あなたはどなたですか? あなたは自己をご存じですか?」
オイディプス「私はコリントスに生まれ育ち、訳あって家を出て遍歴している犬儒オイディプスです。私は自己を省察して自己を知った者です」
イオカステ「素晴らしいことです、ありがたいことです、犬儒オイディプスさん。この唸り声を聞いてください。テバイは魔神スフィンクスに憑りつかれ、滅びようとしています。スフィンクスは謎を発し、正しく答えられければ食ってしまいます。お慈悲ですから、スフィンクスの謎に答えて、テバイを救ってくださいまし」
オイディプス「私はかつて罪を犯し、いまその償いをするために生きています。その私が苦難にあえぐ人々を、どうして助けないでしょう。それにそもそも、私は遠くからこのまがまがしい唸り声を聞きつけて、ここまで歩いてきたのです。おや、あの怪物がその魔神スフィンクスですな」
スフィンクス唸りながら登場。オイディプス、スフィンクスに近づき足を組んで座り、目をつむる。
クレオン「市民の皆もよく見るがいい、犬儒オイディプスがスフィンクスを退治してくれるぞ」
テバイ市民数名がやがやと騒ぎながら登場。
スフィンクス「お前は誰だ?」
オイディプス沈黙。
クレオン「姉上、どうも様子がおかしいですよ。オイディプスさんはなぜ答えないのでしょう。このままでは食われてしまいますよ」
イオカステ「クレオン、静かにしなさい。オイディプスさんはいまスフィンクスと、いいえ、自己と闘っておられるのです」
スフィンクス「お前は誰だ?」
オイディプス沈黙。
スフィンクス「これで最後だ。お前は誰だ?」
オイディプス目を開く。
オイディプス「私はかつていのちの始祖であった。私はかつて太陽であった。私はそれである」
スフィンクス叫びつつもんどり打ってもがき苦しむ。
オイディプス「いまや私は自己の来歴と所属とを知り、物理的現象の構造を私は見た。生ずる性質あるものは滅する性質あるものである。私の心の悪徳の原因は滅びたのだから、ここにそなたの住処はない」
スフィンクス「彼は私を知っている。彼は彼を知っている。彼の心に私の住処はない」
スフィンクス退場。テバイ市民喝采。イオカステとクレオン、オイディプスに駆け寄る。
クレオン「オイディプスさん、素晴らしいことです、ありがたいことです。魔神を退治した者は王となるのが古来からの慣わしです。どうかテバイの王となってください」
小鳥たち(女妖精が操作する)がオイディプスの周囲にまとわりついてさえずり祝福。
オイディプス「私は遍歴して修行している身、王などとんでもないことです。ご辞退いたします」
女妖精によってオイディプスの頭上から花びらがまかれる。イオカステ両手を頬に当てる。
イオカステ[独白]「なんて謙虚な方なのでしょう。なんて美徳高き方なのでしょう。小鳥たちですら幸せそうに祝福している。この方の頭上から花が舞っているようにすら見える。ああ、私はこの方に恋をしてしまった」
クレオン「それは残念なことですが、それではせめて今日だけでも宮城で休んでください。我らの感謝の気持ちを受けてください」
オイディプス「それではそういたしましょう」
暗転。
第10幕 激しく純粋な愛
場所:テバイの宮城。イオカステの部屋。ベッドが置かれる。
オイディプスとイオカステが座っている。
イオカステ「さあ、オイディプスさん、肉料理を食べてください」
オイディプス「イオカステさん、私は肉を食べません」
イオカステ「なぜですの?」
オイディプス「憐れみから」
イオカステ[独白]「動物をすら慈しみの目で見ていらっしゃるのだわ」
イオカステ「これは無思慮にも、失礼をしました。それではこちらの豆料理をどうぞ」
オイディプス「いただきましょう」
イオカステ「ワインはいかがですか?」
オイディプス「やめておきましょう」
イオカステ[独白]「やはり慎みある方」
イオカステ「それでは牛の乳があります」
オイディプス「いただきましょう、贅沢なごちそうですが」
オイディプス、食べ、飲む。
イオカステ[独白]「ああ、見れば見るほど凛々しく気高い美丈夫。それにこの方の近くにいるとこみ上げてくるこの切ない愛の気持ちは、抑えることができない激流のよう。さあ、どうしましょう。この恋心をどうお伝えしたらよいでしょう。遍歴の修行者ということだけれど、どんなわけがあって家を出られたのでしょう、また恋をしたことがおありなのでしょうか。そうそう、罪を犯したとおっしゃっていたけれど、それはいったいどんな罪なのでしょう。それからこのお足の傷は、いったいどうされたのでしょうか」
オイディプス[独白]「それにしてもイオカステさんは美しい方だ。それにこの方の近くにいるとこみ上げてくるこの切ない愛の気持ちは、抑えることができない激流のようだ。どうやら私はこの方に恋をしてしまったらしい。しかしどうしよう、この恋心をどうお伝えしたらいいだろう。しかしイオカステさんは弟のクレオンさんと共同でテバイを統治しているということだが、ご主人はおられないのだろうか」
イオカステ「オイディプスさん、あなたはどういうわけで、家を出られたのですか?」
オイディプス「罪を犯しその悔恨からです」
イオカステ「その罪とは、どのようなものなのですか?」
オイディプス「口にするのもはばかられる恐ろしい罪です」
イオカステ[独白]「これ以上問い詰めるのは、およそ敬虔な人間のすべきことではありません」
イオカステ「それでは、そのお足の傷は、どうされたのですか?」
オイディプス、衣で足を隠す。
オイディプス「母は小さい頃に負った火傷だと言っておりました」
イオカステ「それは痛ましいこと」
オイディプス「私もお尋ねしてもいいでしょうか」
イオカステ「なんなりと」
オイディプス「イオカステさんはご主人はいらっしゃらないのですか」
イオカステ「私はテバイの先王ライオスの妃でした」
オイディプス「ライオス王は亡くなられたのですか? いつ?」
イオカステ「ひと月ほど前です」
オイディプス「お子さんはおられなかったのですか?」
イオカステ「おりません」
オイディプス「そうですか」
ふたり沈黙。
イオカステ[独白]「不思議なことです。あの子のことを考えたら、私のこの方への愛がますます抑えがたい奔流となりました。ああ、私はもう抑えることができません」
オイディプス[独白]「ライオス…そう聞いてイオカステさんのお顔が私の心に満ち渡ったのはなぜだろう。そういえば、スフィンクスと対峙して黙想したとき、私は母の胎内に入り、母の愛に満たされた気がした。あの感じと、いまイオカステさんのそばにいることで私が感じているものは、なにか同じもののような気がする。ああ、私の心から愛が溢れ出しそうだ」
イオカステ、オイディプスに近づく。
イオカステ「オイディプスさん、あなたは恋をしたことがおありですか?」
オイディプス「ありません」
イオカステ「それではこれを言いましょう。もうどうしても抑えることができないのです。私はあなたに恋をしています」
オイディプス「私も抑えることができません。私もあなたに恋をしています」
ふたり、抱擁して接吻しベッドに倒れる。女精霊によってふたりの頭上から花びらがまかれる。幕。インターミッション。
第11幕 オイディプス王の灌頂
場所:テバイの宮城。謁見の間
オイディプスとイオカステが並んで立っている。イオカステは腹が大きい。傍らにクレオン。評議員たち数名が並ぶ。能の所作で灌頂の儀礼が進行する。
男地謡
美徳並ぶ者なく 自己を省察したる者オイディプス
美しき寡婦イオカステと 激しくも純粋なる恋の果てに結ばれて
いま灌頂してテバイの王となる
クレオン、オイディプスの額に水をそそぐ。オイディプス、イオカステ能舞。
男地謡
イオカステの腹にオイディプス王の子種あり
いのちの始祖から続く営みの 純粋なる愛の果ての結晶といえども
神々のご思慮やいかに
暗転。
第12幕 貪りの果報
場所:テバイの宮城
クレオン、思案顔で歩き回る。
クレオン「スフィンクスの災厄が去り、オイディプス王が灌頂され、テバイは幸せであった。オイディプス王の仁政の賜物だ。町は栄え豊かになった。しかしいまやどうだろう、人々は豊かさに狂い、夜遅くまで食べ、こうこうと灯りを焚き、酒を飲み、昼過ぎになってから起きる始末だ。テバイの市民はほぼ全員ひどい太りようだ。そして常に怒っている。しかも人々は怠慢で、掃除もしようとしない。家々は不潔で、辻に糞尿が散らばっている。ついに疫病が起こってしまったが、早くどうにかしなければ。ああ、テバイはまたしても滅びの危機にある。いったいどうしてテバイにはこうも災厄ばかり起こるのか」
オイディプスとイオカステ登場。
オイディプス「弟よ、疫病は広まっているのか」
クレオン「兄上、疫病は広まっているのです。今日もたくさんの死体が郊外で焼かれました」
イオカステ「どうにかしなければなりません」
クレオン「私にひとつ考えがあります。デルポイのポイボス・アポロン神殿へ行き、神託を伺うのはどうでしょう。テバイの災厄の原因は何なのか、この災厄を鎮める方法はなんなのかを」
イオカステ「また神託! もうたくさんです」
オイディプス[独白]「ポイボス・アポロンは私の尋ねたことには直接答えてくださらなかった。そしていま私は愛しい人と出会い、かりそめかもしれないが幸せだ。いま思えば、あるいは深いご思慮があってのことだったのかもしれない。今度も、正しい道を示してくださるかもしれない。何よりも、テバイの市民が苦しみから解き放たれるかもしれないのだから、王たる私がなすべきこととはまさにこれなのだ」
オイディプス「いや、愛しいイオカステ、よいかもしれない。クレオン、さっそく出発してくれないか」
クレオン「それではそうしましょう」
暗転。
第13幕 クレオン神託を告げる
場所:テバイの宮城の前。
テバイの市民たち、嘆願のしるしとして羊毛を巻いたオリーブの枝を捧げ、ひざまづいている。オイディプス、イオカステ登場。
オイディプス「市民の皆さん、皆さんの望みは承知しています。ですがこうして集まってこられた以上、皆さんは私に、不満であれ、怨嗟であれ、いかようにも訴えるべきです。そこに慎み深い作法で立っておられるご老人、あなたはここに集まった人々の代表としてふさわしい方ではないかと思います。ですから、さあ、心にあることをそのままにおっしゃってください」
イオカステ「さあ、おっしゃってください。それを聞くことが私たちの務めなのです」
老人「賢明さの家長オイディプス王、慈悲の水源イオカステ王妃。それでは申し上げます。テバイの誰もが知っていることですが、疫病はすでに町全体に広まりました。人々は苦しみにもがいています。恐れにおののいています。もちろん、私は知っています。かつてスフィンクスがテバイにやって来たのは、私たちがおごり高ぶり、自然との調和を忘れ、貪りに狂ったことによるものでした。王様はその省察の技によって自己の来歴と所属を解明され、スフィンクスを滅ぼされました。それを見た私たち市民は目が覚め、テバイは幸せと安らぎを取り戻したのでした。しかし今では、私たち市民は再び、同じ過ちを繰り返し、この疫病を呼び寄せて、テバイに吹く風は苦しみと悲しみの響きを鳴らしています。全ては私たち市民自身の行いの果報です。そうは言っても、人間とは生まれつき貪欲で凡俗なもの、私たち自身ではどうすることもできません。それにひきかえ、おふたりは全ての美徳を備えた賢明な方。どうかお慈悲ですから、かつてスフィンクスの災厄を祓ってくださったあのときのように、その徳ある行いによって、私たちを救ってくださいますように」
市民「私たちを救ってくださいますように」
オイディプス「愛しいテバイの皆さん、皆さんの嘆願はしかと聞きました。皆さんと同じように、私とイオカステの心もまたこの災厄に苦しみ、皆さんへの憐れみから、解決の道を思案したのです。それで皆さんもご存じのメノイケウスの子クレオン、すなわち我が聡明で徳高き義弟に、災厄の原因と災厄を鎮める方法とについて、ポイボス・アポロンの神託を伺ってくるようにと、デルポイにつかわしたのです」
イオカステ「それにしても、クレオンが旅立ってからもう6日が経ちます。もう戻って来てもよさそうなものですが」
老人「おや、あれこそがそのメノイケウスの子クレオン様ではないですか?」
クレオン登場。
クレオン「兄上、姉上、そして憐れなテバイの皆さん、喜んでください。ポイボス・アポロンは私たちに良い神託を与えてくださいました」
一堂喝采。
オイディプス「クレオン、大儀であった。してその神託とは?」
クレオン「巫女はこう申しました。テバイには汚れが住んでいる。これが災厄の原因である、と」
イオカステ「それから、それから。災厄を鎮める方法は?」
クレオン「さればテバイから汚れを追い払うべし。もしくは死をもって死を清めるべし、と」
オイディプス「はて、汚れとはなんのことだろう? 死とは何のことだろう?」
クレオン「私は神託を聞いてすぐに了解しました。汚れとは、先王ライオスを殺した者のことであって、それが人知れずテバイに住んでいることを指しているのではないでしょうか。従ってこの神託が意味するのは、その罪人をテバイから追放するか、殺すことによってこの災禍が止むということに違いありません」
市民「理にかなっています」
市民「きっとその通りです」
市民たち「罪人を見つけて捕まえましょう」
オイディプス[イオカステにささやいて]「なんだか強引な気もするが」
イオカステ[オイディプスにささやいて]「でも市民の皆さんがこうも盛り上がってしまってはもう後には退けません」
オイディプス「皆さん、わかりました。それではそのライオス王殺しの下手人を探しましょう。しかし私は先王ライオスが亡くなったことは知っていましたが、殺されたとはいま初めて聞きました。イオカステ、教えてくれないか? どうしてそれを私に言わなかったのか」
イオカステ「むごいことだからです」
オイディプス「無理もないことだ。弟よ、君はどうして私にこのことを言わなかったのか」
クレオン「兄上と姉上とが激しい恋に落ちたのを見た私が、そんな不吉なことを言えるとでも?」
オイディプス「敬虔な君たちに馬鹿なことを聞いてしまった。しかしいまは詳しく教えてもらわなければならない。ライオスはどこで殺されたのか? テバイにおいてか?」
クレオン「いいえ、ライオスは神託を聞きに行くためにデルポイへ旅立ち、そのまま戻らなかったのです」
オイディプス[独白]「もしや私が殺したあの男がライオスだったのだろうか」
イオカステ「陛下、どうなさいました」
オイディプス「いや、なんでもない。それでライオスが殺されたことを、君たちはどうやって知ったのだ」
イオカステ「ライオスが乗っていた馬車の御者が、テバイに逃げ帰り、そのことを知らせたのです。古くからライオスに仕えていた従者でした。その者が言うことには、ライオスは3人の盗賊に襲われて殺されたということでした」
オイディプス[独白]「私はひとりであった」
クレオン「ですから、その3人の下手人を探して捕えなければなりません」
オイディプス「これは話が早いではないか。その者にその3人が誰なのかを尋ねればよいということになる。と言うか、君たちはライオスが殺されたと聞いて、なぜすぐにそうしなかったのか?」
イオカステ「それは、盗賊は鉄の兜で顔を覆っていて、顔もわからないと、その者が言ったからです」
オイディプス「その者はいまもテバイに?」
イオカステ「いいえ、ライオスを守れなかったことを恥じて、もう老齢でもあるとこだし、町からできるだけ遠くへ隠遁したいと言うので、望み通りにしてやりました。南の田舎に小さな土地を与えましたの。羊飼いになるつもりだと言っておりました」
イオカステ[独白]「確かにホシオンはあの子を殺しましたが、ライオスに脅されてのことでした。ホシオンは生来敬虔な人ですから、そのことを悔い、私に許しを乞いました」
クレオン「そういうわけですから、その者に下手人を尋ねても無駄です。私にひとつ考えがあります。テイレシアスという盲目の犬儒が森で修行していて、全てを知り抜いたたいへんな賢者だと聞きます。彼なら神通の目でライオス殺しの下手人を見て教えてくれるかもしれません」
オイディプス「テイレシアス! その方こそが私の省察の技の師だ。そうだクレオン、そうしよう。私は急いで師のもとへ行き、このことを尋ねよう」
一堂喝采。暗転。
第14幕 答えられない問い
場所:ポキスの森
テイレシアス足を組んで座っている。
テイレシアス「来たか、我が若き友よ。知り抜くことを求める善良な若者よ。たとえ神々がそなたの敵となり、その人生が悲しい敗北にまみれても、そなたの清らかな心は、決して汚されることはないだろう」
オイディプス登場。テイレシアスのそばに足を組んで座る。
オイディプス「先生、オイディプスがご挨拶します。ご無沙汰しておりました」
テイレシアス「これは我が友オイディプス、よく来てくれました」
オイディプス「私はあれからテバイに行き、魔神スフィンクスを滅ぼしました。縁あって美しい人と恋に落ち、結婚し、テバイの王となりました」
テイレシアス「こっそり心の目で見ていましたよ。おめでとう」
オイディプス「ありがとうございます。そういうわけで、私は世俗の者となりましたから、先生に施しをさせてください」
オイディプス、テイレシアスにりんごを渡す。
テイレシアス「これはごちそうだ、ありがとう」
オイディプス「それでは先生は、私がここへ来たわけもご存じなのでは?」
テイレシアス「おおむねは」
オイディプス「では教えてください。ライオスを殺した3人の下手人は誰なのですか? 3人ともテバイに住んでいるのですか?」
テイレシアス「そうは思いません」
オイディプス「それでは、3人ともテバイ以外の土地に住んでいるのですか? それとも、ある者はテバイに住み、ある者はテバイ以外の土地に住んでいるのですか?」
テイレシアス「そのいずれであるとも思いません」
オイディプス「それはつまり、実は下手人は3人ではないということですか? 御者は何かの事情で虚偽を述べたのですか?」
テイレシアス「そうとも思いません」
オイディプス「そうしますと、下手人は3人ではないとは思わないと思う、のですか?」
テイレシアス「そうは思わないと思うとも思いません」
オイディプス「と言いますか、下手人は誰なのですか?」
テイレシアス「下手人が誰であるとは思いません」
オイディプス「このことは、私が先生と出会う前に犯した罪と、関係がありますか?」
テイレシアス「関係があるとは思いませんし、関係がないとも思いませんし、関係がありかつ関係がないとも思いません」
オイディプス[独白]「どうやら先生はどうあっても教えないおつもりらしい。いったいどういうご深慮からなのだろう」
テイレシアス「もういいでしょう、我が若き友オイディプス。賢いあなたはもうわかったはず。私はこの問いに答えることができません。もしも私が答えたとして、それがあなたにとって、何の用があるでしょう。このことは、あなた自身によって発見されなければならないのです。でもひとつだけ示唆しましょうか。このことは、ホシオンという名の男に会って尋ねるといいでしょう」
オイディプス「先生のおっしゃろうとしていることが、わかったように思います。私はこのことを私自身によって発見しましょう」
暗転。
第15幕 自分が誰であるか
場所:テバイの宮城。イオカステの部屋
クレオンとイオカステが立っている。
クレオン「姉上、悪夢を見ました」
イオカステ「それは気の毒に。それでどんな悪夢ですか?」
オイディプス登場。ふたりの話し声を聞いて足を止める。
クレオン「兄上がライオスを殺し、私は兄上をなじり、兄上と決闘する夢でした」
イオカステ「ひどい夢です」
クレオン「ひどい夢でした。私は跳ね起き、自分の不敬虔さを恥じました。夢とはいえ、美徳の家長、尊敬する兄上に、そんな侮辱をしたのですから。でもひとつのことを思い出したのです」
イオカステ「何を思い出したのですか?」
クレオン「兄上が言っていた、テバイに来る前に犯した罪のことです」
イオカステ「誰にも人に言えない罪があるものです」
クレオン「その通りです。でももし、ライオスを殺したのが兄上であるならば? 兄上がテバイに来たのは、ライオスが殺されてすぐ後のことでした」
イオカステ「クレオン! あなたという人は、いつからそんな不敬虔な男になったのですか」
クレオン「そうに違いないなどとは思っていません。ただそういうこともありうるかもしれない、と思いついただけなのです」
オイディプス[独白]「私もそう思う」
イオカステ「クレオン、あなたはそうやって思いつきで事物をこうである、ああであると決めつける悪い癖があります。今度の神託にしても、ライオス殺しの下手人こそが汚れであるとは、ポイボス・アポロンが言われたわけでもないのに、あんなことを言い出して、民衆というものは潮流に流されるものですから、あんなことになってしまったではないですか。そもそも、ポイボス・アポロンに聞こえてはいけませんから、大きな声では言えないことですが、神託というものは、およそ当てにすべきものではないのです。あなたも知っている通り、私とライオスの子が生まれたとき、ライオスが聞いた神託はどうでしたか。あの神託を信じたライオスは私の憐れな赤ちゃんを殺しましたが、盗賊の手にかかって死んだではありませんか。思うにあれはライオスの罪の果報だったのです。このように、神託というものは、当たらないばかりでなく、やみくもに信じると、災厄を生むものなのです。実に行いの果報は、神託よりも重いのです」
オイディプス[独白]「これは初めて聞くことだ。恐ろしい」
クレオン「しかしいずれにしても、ライオス殺しの下手人は、捕えて裁かなければなりません」
イオカステ「それはそうです。でも、もしも陛下がライオスを殺したなら、あの偽りを語ることのない陛下が、そのことを私たちに告白しないはずがないではありませんか」
クレオン「そんなことをしたら、兄上と姉上の関係も終わりです。どんなに高潔な賢者であっても、およそ男というものは、たとえそれが正義に反しようとも、愛しい女の愛を自ら手放すようなことはしないものです」
イオカステ「未熟な弟よ、あなたに陛下の何がわかるのですか。私にはわかります。あの方はそのような俗物ではないのです」
クレオン「いずれにしても、兄上が帰ってくればはっきりすることです。ですから姉上、議論はもう終わりにしましょう。聖者テイレシアスが真実を示してくれたことでしょうから。兄上が帰ってきたら、テイレシアスがなんと言ったか、尋ねましょう」
イオカステ「ええ、そうしましょう。それではっきりするでしょう、あなたの浅はかさが」
クレオン「ええ、何が起こるか見てみましょう。それにしても、そろそろ兄上が帰ってきてもよさそうなものですが」
オイディプス[独白]「つい盗み聞きをしてしまった。いや、これは聞くべきことだったのだ。私が全て聞いていたことを言わなければならない。そしていまこそあのことを告白するときだ。さあ、私はそろそろ彼らのもとへ行こう」
オイディプス、扉を開けて部屋へ入る。
オイディプス「愛しい妻よ、弟よ、テイレシアスに会ってきたよ」
イオカステ「陛下、お帰りなさいまし」
クレオン「兄上、お帰りなさい。してテイレシアスはなんと?」
オイディプス「そのことを言う前に、私はいま君たちが話していたことを全て聞いていたことを打ち明けなければならない。イオカステ、君とライオスとの間に子がいたこと、その子が殺されたこと。クレオン、君の私への懐疑もね」
イオカステ「お聞きになってしまったのなら、もう取り消すこともできません」
クレオン「私にそのような思いが生じたのは本当のことです」
オイディプス「ふたりの内密の話を盗み聞きしてしまった償いに、私がずっと心に秘めていたことを話そう。私の生まれ育ちがコリントスということは話したが、私はコリントス王ポリュボスと王妃メロペの息子だ。私は父と母の無上の愛を一身に受けてなに不自由なく育った。だがあるとき学友のひとりが、私は父と母の本当の子ではなくて、拾われた捨て子だと言ったのだ」
イオカステ「ひどい中傷です。きっとやっかみからですわ」
オイディプス「そうかもしれないし、そうでないかもしれない。私は父と母に尋ねた。おふたりはそんなはずがないではないかとおっしゃった。私はおふたりを信じようとしたのだが、なにか自分で確かめなければならないような思いがこみ上げて、私を旅へと突き動かしたのだ。デルポイに行った。巫女はポイボス・アポロンの神託を告げた。私は父を殺し、母と結ばれるだろう、と」
イオカステ「恐ろしいお告げです、悪夢のようです。それから、それから」
オイディプス「私は我を失い、荒野を放浪した。コリントスへ帰る気にはなれなかった。神託の成就を恐れたのだ。歩いていると、馬車に乗った男に出会った。男は私を侮辱し、剣で私を傷つけた。私は生存への執着に狂い、男と闘い、殺した」
イオカステ「そんなことが」
クレオン「それはどこであった出来事ですか」
オイディプス「ポキスの辺りだ」
クレオン「ライオスが殺されたのもその辺りです。他に人はいたのですか」
オイディプス「私はひとりだった。男の御者は逃げた」
イオカステ「御者は盗賊は3人だったと言いました」
クレオン「本当のことを言ったとは限らない」
イオカステ「そうでしょうか? でもそうだとしたら、何のために?」
オイディプス「そこが我らの謎だ。テイレシアスに会ってライオス殺しの下手人が誰か、それは3人だったのかそうではなかったのか、尋ねたのだが、ご深慮がおありのようで、教えてはくださらなかったのだ」
オイディプスの従者登場。
オイディプスの従者「陛下、コリントスからお客様が参りました」
オイディプス「この疫病の広まった呪われた町に、いったいどなたが?」
オイディプスの従者「それが、陛下のお母上様と名乗られました」
オイディプス「なんだって? 早くお連れせよ」
オイディプスの従者退場。メロペとその従者登場。
メロペ「オイディプス!」
オイディプス「母上!」
メロペ、オイディプスに近づこうとする。
オイディプス「いけません、母上、それ以上私に近づかないでください」
メロペ「私の愛しいオイディプス、この母に向かってなんていうことを言うのですか」
オイディプス「愛しい母上、訳があるのです。どうかお許しください」
メロペ「深い訳があるのですね」
オイディプス「深淵な訳です。私がテバイの王になったことはすでにご存じかと思います。これが私の愛しい妻、イオカステです」
イオカステ「お母さま、イオカステでございます」
イオカステ、裾をつまんで会釈。
メロペ「なんて美しいお嫁さんでしょう。ああ、オイディプスの子が、私の孫が、もうすぐ生まれるのですね」
オイディプス「これがイオカステの弟、クレオンです」
クレオン「叔母上、陛下の義弟、クレオンです」
クレオン、メロペに手を下げて会釈。
メロペ「息子がお世話になっています」
オイディプス「それで母上、急なお越しですが、何かあったのですか?」
メロペ「それはあったのです。ポリュボス陛下が、亡くなられたのです」
オイディプス「なんですって? それはいつのことですか?」
メロペ「5日前のことです」
オイディプス「どういうわけで亡くなられたのですか?」
メロペ「もうお年でしたから、ご老衰によって、ということだったと思います」
オイディプス「ああ、愛しい父上、優しい父上」
オイディプス、泣き崩れる。イオカステ、オイディプスを抱擁。
メロペ「オイディプス、悲しいことです。残念なことです。でも私たちはコリントスの民のために前に進まなければなりません。さあ、オイディプス、あなたはテバイの王ですが、今日からコリントスの王も兼ねてください」
オイディプス「そうしなければなりませんが、私たちはいま大きな問題を抱えているのです」
メロペ「それはどんな?」
オイディプス「どこからお話ししましょう。そうここから。テバイに悪しき疫病が広まっています。ポイボス・アポロンの神託によれば、テバイに住まう汚れを追い払うか、死によって死を清める必要があるとのこと。多くの人は、汚れとは先王ライオス殺しの下手人のことであると解釈しました。私は聖者テイレシアスに会って尋ねたのですが、どういうわけか、彼は答えを与えてくれませんでした」
メロペ「それから、それから」
オイディプス「ただテイレシアスは、このことはホシオンという名の男に尋ねるのがいい、と示唆してくれました」
イオカステ[蒼白の面持ちで独白]「このわけのわからない恐ろしい戦慄は何なのでしょう」
メロペ「ホシオンとは?」
クレオン「ホシオン? ホシオンと言えば、ライオスが殺されたときに馬車の御者だった男ですよ。それはつまり、ホシオンは実は真犯人を知っているということだろうか」
オイディプス「いやむしろ、私がそれを知っているのかもしれない」
クレオン「どういう意味ですか?」
オイディプス「クレオン、まず母上に説明させてくれ。母上、母上にもこのことを打ち明けなければなりません。母上と別れたあと、デルポイで私はポイボス・アポロンの神託を聞きました」
メロペ「あなたは知ってしまったのですか」
オイディプス「何をですか?」
メロペ「いいえ、何でもありません。それでどんな神託だったのですか?」
オイディプス「私は父上を殺し、母上と結ばれる、と」
メロペ、イオカステを見る。互いに蒼白の面持ち。
メロペ[独白]「このわけのわからない恐ろしい戦慄は何なのでしょう」
メロペ[わざとらしく笑って]「父上を殺す? 父上はご老衰で亡くなられたではありませんか。私とあなたが結ばれる? このおばあちゃんと、若く凛々しいあなたが? アリストなにがしの新作の喜劇ですか? あなたの妻はこの美しいイオカステさんではありませんか」
オイディプス「ええ、いまとなっては、そのように笑うこともできます。でもその頃の私はそうすることができなかったのです。私は我を失い彷徨するうち、過ちを犯しました。人を殺したのです」
メロペ[蒼白の面持ち]「イオカステさん、あなたは、もしや」
イオカステ[泣きそうに]「私はかつてライオスの妻でした。私には子がおりました。でも、その子は殺されたのです。その子に殺されるという神託を信じたライオスに」
メロペ「そうでしたか、悲しいことです」
メロペ[独白]「私は不敬虔な人間です。口ではこう言いつつ、こんなにも安堵しているのですから」
オイディプス「テイレシアスの口ぶりから、私の心に疑いが生じました。私が殺したのはライオスだったのではないかと。ホシオンは、ライオスは3人の盗賊に殺されたと証言しました。私が男を殺したとき、私はひとりでした。でも、ホシオンは何かの事情で、虚偽を述べたのかもしれません。私は私が殺した男の御者の顔をはっきり覚えています。ホシオンがライオスの御者であって、私が知っている男であるならば、私こそがライオス殺しの下手人であり、もしも疫病の原因がライオス殺しの下手人にあるとすれば、私こそがテバイの汚れということになります」
メロペの従者「あの、お方様」
メロペ「何ですかあなたは、突然」
メロペの従者「私はもう我慢ができません。私は重大なことを知っています。それはたくさんのテバイの人々を疫病の苦しみから解き放つ真実かもしれません。疫病の原因たる汚れとは、ライオス殺しのことだけではなくて、別のあることなのかもしれません。ですから私はもう黙っていることができません」
メロペ「その真実とは何ですか?」
メロペの従者「私はホシオンを知っています。ポリュボス様とお方様に差し上げた赤子は、ホシオンに託された子なのです」
メロペ「それはつまり…」
メロペの従者「それはつまり、おそらくは、オイディプス王のことです。オイディプス王のそのお足の傷は、ホシオンが棒にくくりつけるために銅の釘で貫いたときのものなのです」
皆、オイディプス王の足を見る。
イオカステ[手で顔を覆って独白]「ああ、私は私が何をしたかをいま知り抜きました!」
クレオン「それはつまり…」
オイディプス「それはつまり…」
メロペ「ええ、オイディプス、もう秘密にしておくことはできません。あなたはポリュポス様と私の本当の子ではありません。キタイロン山に捨てられていたのを、行商人だったこの者が拾ったのです。かわいいオイディプス、このことを秘密にしていた私とポリュボス様を、どうか許してください」
オイディプス、メロペを抱擁する。
オイディプス「たとえ生みの母でなかったとしても、あなたは私の母です。私を悲しませまいと秘密に耐えておられたおふたりを、どうして私が責めるでしょう。ですがいま私は、別のおそろしい疑惑に捕われています」
メロペ「あなたがホシオンという者に託されたということは、初めて聞きました。でもホシオンなどという名前は、ありふれた名前です」
オイディプス「この足の傷と、我が名が何よりの証拠」
メロペ「望まれない子が捨てられるのは世の常です」
オイディプス「やはりホシオンに会うほかありません。私はテイレシアスの助言に従おうと思います」
クレオン「それで全てがはっきりするでしょう」
メロペ「この上は、そうなさい」
イオカステ[半狂乱になって]「ああ、不幸なお方! ご自分が誰であるかを、どうか決して、お知りになることのありませんように!」
オイディプス「いいや、愛しいイオカステ。それは間違っている。私だけでなく誰であれ、およそ人間は、自分が誰であるかを知らなければならない。自分がどんな忌まわしい生まれであれ、どんな汚れた行為をしてきたのであれ。全てを知り抜いて、ありのままに見なければならない。その上で、なすべきことをなさねばならない。それが人間として生まれた者の務めなのだ。さあイオカステ、君はホシオンが隠棲した場所を知っている。案内してほしい。私と一緒にホシオンを尋ねよう」
イオカステ「嫌でございます。もうこのお腹の子は生まれそうなんですのよ」
イオカステ[独白]「もっとも、この呪われた子を産むわけにもいきません」
オイディプス「そのためでもあるのだ。疫病の蔓延したテバイは子を産むのにふさわしくない。ホシオンの村へ行き、そのままそこでお産をするのがよい。その子が神々に呪われているとしても、死を願うなどということは、してはならない。それが我ら人間の正しい道なのだ」
メロペ「その通りです」
オイディプス「クレオン、君も一緒に来てほしい。証人となってほしい」
クレオン「そうしましょう」
オイディプス「母上はいったんコリントスへお帰りください。コリントスの統治のことは、後で必ず連絡します。それまでは、母上が代王を務めてください」
メロペ「そうしましょう」
オイディプス「さあ、ホシオンの村へ行こう。そして尋ねよう。私が誰なのかを」
暗転。
第16幕 純潔の証明
場所:テバイ南の田舎。ホシオンの庵
ホシオン、棒で叩いてフェルトを作っている。庵の外で火が焚かれ、鍋で羊毛が煮られている。
ホシオン「ライオス様を殺した男の足を見たとき、私はあの行いが間違っていたのかもしれないと疑った。思えばテバイに逃げ帰った私はほとんど気が狂っていたのだ。クレオン様とイオカステ様に虚偽の報告をしたのは、赤子のときに私が救ったあの足の腫れた子を、もう一度救おうと思ってのことだったが、もしかしたら、事態をさらに悪くしたのかもしれない。だが生まれたばかりの赤子を殺すことが善いことなどということは、ありうるはずがないのだし、ライオス様が殺されてしまったのは、きっと避けることができないことだったのだ。虚偽の報告にしても、私は自分のためにそうしたのではなかった。そしていま私は、情け深いイオカステ様が与えてくださったこの土地で、ひとり静かに死を待つ身。くよくよ考えるのはもうよして、心を鎮めよう。おや、誰か来たのかな?」
オイディプス、イオカステ、クレオン登場。オイディプスはイオカステの手を引く。
オイディプス「ごめんください」
ホシオン、驚いて硬直。
ホシオン「あなたは」
オイディプス[独白]「ああ、やはりそうだったのだ」
オイディプス「やはり、あのときの御者はあなたでしたか。あなたのその善良な面立ちのことは、よく覚えていますよ」
クレオン「それではやはり、兄上、あなたが殺したのは、ライオスだったのですね」
オイディプス「その通りだ」
ホシオン「お方様、お久しゅうございます。そのお腹の子は、もしや」
イオカステ「ホシオン、それから先は、決して口にしてはなりません」
オイディプス「ホシオンさん、私たちはすでに、私たちに何が起こったのか、おおむね了解しています。ですがあなたに言ってもらわなければなりません。さあ、教えてください。私がライオスを殺したとき、なぜあなたは盗賊は3人だったと偽りの報告をしたのですか? 私が赤子だった頃、ライオスに命令されてキタイロン山に私を殺しに行ったのに、なぜあなたは私を救ったのですか?」
ホシオン「あなたがかわいそうで」
精霊によって全員の頭上から花びらがまかれる。全員泣く。イオカステ、ふらふらと庵の外へ歩き出す。
オイディプス[茫然としたまま]「おやイオカステ、いいえ、いまやそう呼ぶべきではありませんが、あなたはどこへ行くのです?」
イオカステ「自然の近くに」
オイディプス「行ってらっしゃい」
イオカステ、火に近づき、鍋をどかす。
イオカステ「ヘスティアよ、犠牲の火の処女神よ。私とこの子の汚れを焼き清めてくださいまし。神々よ、ご満足ください。あなた方が与えた汚れた血を、ここで断ちましょう。この犠牲によって、テバイの人々を救ってくださいますように。ですがあなた方にこれだけは申し上げなければなりません。私とオイディプスとの愛は決して汚れたものなのではなかった、と」
オイディプス[はっとして]「これはいけない。あの方は自然の近くに行ったのだろうが、しかしそれは神々に見捨てられたと絶望なさったためなのだ。たとえ神々が私たちを見捨てたとしても、私はなすべきことをしなければならない」
オイディプス、庵の外へ走る。クレオン、ホシオンも後を追う。
オイディプス「いけません、母上」
イオカステ[オイディプスに振り向いて]「私の赤ちゃん、あなたは生きてください。呪われた汚れはこの母が断ちます」
イオカステ、火に入る。火が燃え盛る情景。
クレオン「ああ、姉上は犠牲の供物となってしまった」
ホシオン「ああ、お方様は清めの火となってしまわれた」
オイディプス「ああ、母上は私の汚れを清める犠牲の供物となってしまった」
鐘の音とともに火の中からヘスティア登場。
ヘスティア「心清らかなイオカステよ、そなたは汚れてなどいない。その腹の子は汚れてなどいない。私が焼くべき罪は存在しない。汚れとは、存在しないものを存在すると妄想し、必要のないものを必要であると執着し、貪りまたないといって悶絶することである。そなたとオイディプスとの愛は、そなたらの高貴な性質そのままに純粋であった。色欲を貪ったのではなかった。その腹の子は、たとえ不幸な因縁によって生まれたとしても、その尊さはいささかも損なわれてはいない。そなたとその子は純潔である。私がこれを証明する」
ヘスティア、イオカステの下腹から女の赤子を取り出す。
ヘスティア「この娘はそなたたちと祖先の果てしない労苦の結晶である。さあ、もう迷うな」
イオカステ、赤子を抱く。女精霊によってヘスティアとイオカステの頭上から花びらがまかれる。ヘスティア、火の中に戻る。イオカステ、火から出る。一同号泣。
ホシオン「不思議なことです、ありがたいことです。ああ、私の行いは間違ってなどいなかったのです」
オイディプス「不思議なことです、ありがたいことです。ああ、女神ヘスティアが母上と私たちの子の純潔を証明してくださいました」
イオカステ「オイディプスよ、愛しい我が子よ。私とあなたの愛は純粋でした。その愛の結晶であるこの子もまた純潔なのです。さあ、私たちはこの子を育てましょう。それが私たちの務めなのです」
オイディプス「愛しい母上、いかにもそれが私たちの務めです。しかし私がライオス殺しの下手人であり、テバイの災厄の原因であることには変わりがありません。神託に従って、私はテバイを去らなければなりません」
イオカステ「ならば私もこの子もともにテバイを去りましょう。私たちは犬儒となって森で暮らしましょう」
オイディプス「そうしましょう。クレオン、いいえ叔父上、あなたはこれよりテバイの王としてテバイの民を安んじてください」
クレオン「我が甥オイディプス、そうしましょう。神託の解釈が正しければ、じきに疫病が鎮まるでしょう」
オイディプス「さあ、母上、参りましょう」
イオカステ「息子よ、参りましょう」
オイディプス、イオカステの手を引いて退場。幕。
第17幕 クレオン我に返る
場所:テバイの宮城。王の間
クレオンが玉座に座っている。評議員が走って登場。
評議員「今日は20人が火葬されました」
クレオン「オイディプスと姉上が森に去ってからはやひと月。これはどうしたことだろう。もしもオイディプスないし姉上が汚れの原因であるならば、その原因は追い払われたのであるから、疫病が鎮まるはずだが、いっこうにその様子がない。さては我らはとんだ勘違いをしていたに違いない。神々に反逆したオイディプスと姉上! それは真実だ。不幸なテバイ! それもまた真実だ。だがそもそも、いま冷静に考えてみれば、ある人間が町にいたりいなかったりすることで疫病が起こったり鎮まったりすると考えるなど、おめでたいとんちきというところだ。さあ、おのれの愚かさを知った者は、ただちに正しい行いをするべきだ。オイディプスと姉上を呼び戻し、私などよりはるかに賢明なオイディプスを王に復位させ、神々にすがるのではなく、我ら自身に備わった知性と行為する力とによって、テバイの人々を救おう」
評議員「そういたしましょう」
クレオン「私はオイディプスと姉上を呼び戻しに行く。馬車をもて」
暗転。
第18幕 省察の功徳
場所:キタイロン山麓の森
オイディプス、樹下で足を組んで座って目をつむっている。
オイディプス「テイレシアスに伝授された省察の技を、世俗に戻ってから私は錆びつかせていたが、いまこうして静かに暮らしていると、見えていなかったものが見えてきた。私の体の中の無数の生き物が見える。テバイの人々の苦しみが見える。死が見える。それをもたらしている小さな生き物たちが見える。テイレシアスといえどもこのあまりに微細な生き物とその働きが見えるだろうか。これが疫病の原因なのではないだろうか。汚れを追い払うとは、この生き物たちを追い払うということなのではないだろうか。死をもって死を清めるとは、この生き物たちを殺すということなのではないだろうか。いのちはときに調和しときに争う。その始祖を同じくするはずなのに、いのちとはまことに深淵な代物である。さて私はいま何をするべきだろうか」
イオカステ、赤子を抱いて登場。
イオカステ「愛しいオイディプス、昼食ができました。さあ、私たち幸せな家族は、このごちそうを一緒に食べましょう」
オイディプス「愛しい母上、愛しい娘よ。そうしましょう。おや、あれは叔父上だ」
クレオン登場。
クレオン「我が甥よ、姉上よ。あなた方は知っているのですか。テバイの人々がいまだ災厄に苦しんでいることを。それはすなわち、私が過ちを犯したということを」
オイディプス「叔父上、そのことは、私も心配していたことです」
イオカステ「弟よ、私もです」
クレオン「疫病の原因はあなた方ではない。もはやそれは明らかです。ですから賢明なオイディプス、あなたはテバイに戻って、王に復位してください。いまや我らは、神々に助けを乞うことをやめ、我ら自身の知性と行為する力とによって、テバイの人々を救いましょう。これが我らが行くべき正しい道なのです」
オイディプス「そうしましょう。母上、我らはただちにテバイへ行きましょう」
イオカステ「そうしましょう。でもオイディプス、何かよい考えがあるのですか?」
オイディプス「我らはポイボス・アポロンの神託を思い出しましょう。死をもって死を清めましょう」
暗転。
第19幕 大団円
場所:テバイの町の中心の辻
テバイ市民が大勢集まっている。オイディプス、イオカステ、クレオン登場。オイディプスはデッキブラシ、イオカステは赤子を抱き、片手にふたつのポイ、クレオンは大きな桶と柄杓を持っている。火が焚かれ、大鍋で湯が沸いている。舞台脇にはたくさんの墓標がある。
老人「オイディプス王様、よくぞ戻ってきてくださいました。さあ、我らを見てください。苦悩と悲嘆と死にもだえている我らを見てください」
オイディプス「よく見ています。森にあっても、皆さんの苦しみが私の心から離れたことはありませんでした。私が戻ってきたのは、疫病を鎮め、皆さんを苦悩と悲嘆と死から救う方法を発見したためです。死によって死を清めるのです。省察の技によって、テバイの町中に微細で悪い生き物が繁栄しているのを私は見ました。この生き物たちは、私たちの貪りと怠りによってはびこりました。ですから、祭祀を行いましょう。私たちは、団結しなければなりません。私たちひとりひとりが、自己を省察し、自らの貪りと怠りを知り、いのちの始祖から続く営みを、私たち自身を、私たち自身の知性と行為する力とによって、破滅から救いましょう。そして殺生の罪に畏まりつつ、この生き物たちを殺しましょう。これは神々ではなく、私たち人間を祝う祭祀です。さあ、始めましょう」
老人「皆の衆、聞いたであろう、さあ、我らは内省し、心をひとつにして団結しよう」
テバイ市民たち、ケチャの様式の合唱とパフォーマンスを始める。
イオカステ、老人に赤子を預け、ポイに火をつけ、舞踏を始める。クレオン、桶に熱湯を汲む。市民たち、かわるがわる服を脱いで鍋に入れる。
オイディプス、クレオン、イオカステ、舞踏しながら舞台をめぐり、オイディプスとクレオンは熱湯とブラシで洗い清めるしぐさ。イオカステはことに大きな舞踏。
老人「純潔なるオイディプスの娘よ、あの累々たる墓を見なさい。これが、豊かさに狂い、貪りに狂い、怠りに浸って、おのが人生を神々に任せた果報です。あなたの父と、母でありかつ祖母であるあの方と、あなたの叔父でありかつ大叔父であるあの方と、悔恨したテバイの人々とを見なさい。これが真に人間らしい人間なのです」
オイディプスの娘「あは!」
オイディプスの娘、手を叩いて喜ぶ。老人号泣。
老人「ああ、この純潔なる娘は歓喜している。ああ、疫病が鎮まった。我らは我ら自身によって我らを救った」
女精霊によって舞台中に花びらがまかれる。イオカステ、老人から赤子を受け取って抱く。
市民「災厄は去りました。汚れは追い払われました。死は死によって清められました」
オイディプスとイオカステ、舞台中央に進む。
老人「美徳の家長オイディプス王、慈悲の水源イオカステ太后、たとえ神々があなた方の敵となり、その人生が悲しい敗北にまみれても、その清らかな心は、決して汚されることはありません。その証拠に、私たちを見てください。さあ、私たちを祝ってください」
オイディプス「いまでは、誰もが幸せです。誰も不満を抱いていません。人々の心の鼓は、歓喜の響きを鳴らしています。母上、他に何を言うべきでしょうか」
イオカステ「何よりもこのことを。私たちはひとつになり、自然とひとつになり、調和しますように。全てのいのちは幸せでありますように」
カーテンコール。『自己を知ったオイディプス王』終幕。