【極妻の岩下志麻】に勝るもの無し
結婚もしていなくてずっと一人暮らし、地元も離れて知り合いが誰一人としていないこの土地にやって来て4年が経っていた。
この前の1年半は親に仕送りをしてもらい何とか食べていく道筋はないものかと思案していた。
しかしどうしても体力の低下と、更に度重なる人間不信に身動きが取れなくなっていた。
そんな時心療内科で『鬱』の診断結果を受け、労働は不可能と言われた。
とうとう親からの仕送りもストップとなった。
お金で助けてくれたことは奇跡に近かった、だが所詮親子関係として疎遠な事には違いない。
頼れるところは行政しかなかった。
心療内科の先生に勧められて『生活保護』の申請をすることとなった。
最後の頼みの綱だった。
あの当時『生活保護課』(現在の生活支援課)は凄い人だかりであった。
順番を待ちいざ申請へと思いきや、そこは現状を伝える質疑応答の場所だった。
窓口の20代の女性は何も悪びれる様子も無く、現在の状況だけでなく、過去まで遡り、土足でズカズカと上がり込んできた。
人に話したくないようなことも根掘り葉掘り聞かれ、
(これに答えないと許可がもらえない)
という危機感から、已むを得ず聞かれるままに話した。
その日は質疑応答で終わった、後日連絡があるという。
こちらは時間がない。焦りだけが私を襲った。
2週間が経とうとする時だった、電話が鳴った
「今回はもう申請の期日が金曜日までなので、見送らせていただきます」
なんとも涼しげな声だ。そして今は水曜日。
最初から申請手続きをする気など無かったのは直ぐに分かった。
ここで引き下がる訳にはいかなかった。
先日の役所での光景が頭によぎった。
すすり泣く声、喚き散らす罵声。
私は後者をとった。
「わっれぇ、ええ加減にせいや!!」
私にあの【極妻の岩下志麻】が乗り移った!!
「そんな事一言も聞いとらんわ!!」
「嘘ばっか言っとるんじゃねぇわぁ!!」
私は罵声を浴びせ続けた。
相手がビビっていることは十分に伝わったが、ここで手を緩める訳にはいかなかった。
結局イレギュラーな形で申請が認められ、晴れて(?)
『生活保護受給者』となった。
が、この2年間ずっと引っ越しを促され続けていた。
確かに住居手当よりも3万円家賃は高かった。
しかし幼い頃から何度となく節約をしてきた私にとっては、容易いことだった。
食費を切り詰めれば済む事だった、安い食材で栄養価の高い食事を作ることはオチャノコサイサイ。
おから、乾物、そしてキャベツをはじめ野菜全般、肉や魚だって満遍なく摂取できるスキルは持っていた。
この方法で2年間何の問題も無く過ごしていた(というか、快方に向かっていた)。
ところが役所がマンションの更新料を支払えない故、余儀なく引っ越しをさせられる事となった。
いざ物件を探す事となった。
これが開けてビックリ玉手箱!!
物件がない。
これは言わなければいけないので
『生活保護受給者です』と伝える。
『鬱』は禁句。言っちゃダメなやつ。
物件があればいい方で、殆どが門前払い。
3軒だけ見に行くことが出来た物件はどれも酷いものだった。
悪臭、異臭、錆び、カビそして虫が湧いているのが一目瞭然。
今は解る。
これは不動産業者が設定した
『生活受給者用の物件』で家賃はぴったり規定通り。
困り果てて役所に向かった。
でも自力で探すしかないと言われた。
体力も気力ももう奪われ始めていた。
だがここで諦めたらホームレスだ。
最後の力を振り絞り、役所でもらった資料の中にあった不動産屋に向かった。立派なビルの中にある不動産屋だった。
最初に受付をしてくれた同年代の女性の方が
「大家さんが全然構いませんよって仰って下さってね、良かったですね。」
と言って電話を下さった物件があった。
が、その直後社長という男性が
「そこはダメ、この物件」
次の日に行ってみると、案の定
下水の匂いが部屋中に広がり、天井が異常に低い。
そこから1週間探すからと言われ待ったが
とうとうその物件に決めるしかなくなった。
母に電話をして大泣きした、
「私なんか悪いことした?」
役所の担当の女性(最初の窓口の女性とは違う人)にも電話をして、泣きながら
「わかりません、私は何かに違反したんですか?」と訴えた。
泣き喚こうがどうしようが、私の引っ越し先はそこに決まってしまった。
1階がスナック、2階と3階がアパート、4階が大家の住まいとなっていた。
入居していきなりエアコンが動かない。
大家に直接言えというので言ったら、
1階でスナックを営んでいる息子がやって来た。
ドアを開けると両手を広げてポーズをとっていた。
歳は40~50代、髪はキンキンの金髪で見事なリーゼントだった。
『昭和』の匂いプンプンの男は何も言わず
慣れた足取りでズカズカと部屋に入ってきた。
エアコンは直ぐに新品になった。
台所は見た目確かに『IH』の形をしていた。
が、これもまた待てども待てども湯が沸かない。
又もや『昭和プンプン』の登場だ。
これは変えてもらえなかった。
役所に言ってもダメだった。自腹を切るしかなかった。
収納部分がなかったので安いもので補っていた。
そこからの更なる出費である。
あまりの理不尽さに姉と慕う叔母に電話で話した。
勿論『昭和プンプン』の事もだ。
そして決定的な事が起こった。
隣人の男が夜中に私の部屋の鍵穴に何かを入れてガリガリと壊そうとしている。
すぐに警察に連絡をしたが、警察が来る前に隣人は部屋に戻った。
警察官に一部始終を伝え犯人は隣人であることを伝えた。
警察官は直ぐに話を聞きに行くと言ったが、私はその男を見る事も嫌だったので断った。
でも警察官は
「次にもう一度同じ事があったら行きますからね」と言った。
恐らく以前同じ事があったのだろう。
隣人は私が部屋を出ようとすると、まるで知っていたかのように自分の部屋のドアを少しだけ開け「あ、どうも」と言ってきた。
2回までなら偶然かとも思うが、5~6回となればそんな訳がない。
日頃から用心していたが、もうこれは身の危険を感じるレベルとなった。
いったん俯瞰で見る事にした。
『昭和プンプン』の話を叔母にしてからだ!!
という事は
盗 ・ 聴 ・ 器 !!
『昭和プンプン』と隣人男は聞いてたんだ!!
まさかわが身に起こるとは思いもしていなかっただけに驚いた。
その頃、他に不可解な事も多々起きていた。
掛け布団のシーツが日に日に破れていく。ここでは干す所が無いから、そもそも洗っていない。
クローゼットの中で使っていた引き出し付き収納、そのまま置いていたのだが、いちいちそこで躓く。きっちり閉めたはずなのに。
そんなある日の事だった、部屋でテレビも付けず、ベッドの上で読書をしていた。
すると『カチッ』と玄関の鍵の開く音がした。
ビックリしてベッドから起き上がった。
その音が聞こえたのだろう、
ドアの鍵部分を見ていたら、また『カチッ』という音と共に鍵がかかった状態になった。
部屋に不法侵入していた事をその時知った。
勿論犯人は、『昭和プンプン』だ。
もう引っ越したい一心になった。
役所にいくら訴えても却下される。
心療内科の先生に相談して
市会議員に仲介に入ってもらうことにした。
それでも難航した。
市会議員とて人の子よ。
自分の利益にならぬことには関わりたくない。
お願いしてすぐに
「毎月800円なんだけどね、○○をとってもらう契約をして貰えると動けるのよね」と言われ、○○という新聞を契約した。
ところが驚くことに待てども待てども何の動きも無いまま2ヶ月が過ぎた。途中何度も電話をしたがはぐらかされ続けた。
また心療内科の先生に相談した、先生は驚き
「すぐ解約しなさい!そんなものは動いた後の話だ!」
私は直ぐに電話をして解約手続きをした。
すると慌てて動き始めた。
不動産回りに付いて行ってもらった。
それだけで充分だった。
やっとの思いで次の物件が見つかった。
2か月後の引っ越しが決定した。
10ヶ月という長くて苦しい時間が経っていた。
盗聴器が仕込まれていることに気付いた時から私は再び
【極妻の岩下志麻】になった!!
今回は乗り移った訳ではなく、ちょいと拝借!!
毎晩私の部屋を通る時ドアをバンバン叩いていく隣人
この隣人は『昭和プンプン』のパシリという事は早くに解っていた
そして2人共が盗聴している事も重々承知の上で、逆手にとって利用する事とした。
「わかっとるやろなぁ、せやで~」
「せやせや、ようわかっとるやないか、おりこぉ~さん」
「うちん人が言うたとおりにしてや~」
「そうや、2人のお顔よう覚えといてや~」
「違う人にしてもうたら大変な事やからなぁ~、ふっ、ふっ」
「せやから、わてが居らんくなって、1ヶ月くらい待て云ううてるやろ」
てな具合で
舎弟に指令を出す姐さん
お陰で引っ越しまで静かになった。
この引っ越しは引っ越し代金は出ないは
かと言って『生活保護受給者』と言わなければいけないという
何ともチンプンカンプンなものでした。
叔父にお金を借りての引っ越しとなりました。
役所はどんな事をしても『生活保護受給者用』の物件に入れたいらしい。
次の物件もやはり『生活保護受給者用』なだけあって
エアコンの羽は動かない
トイレの水は「小」にすると流れず、「大」にすると大量の水が流れる
これを直してもらうのに丸一日待ちぼうけ
やっと来たのが夜7時半、終わったのが9時
お風呂も直して欲しかったがこれ以上知らない男性が居る事は耐えられない
結局トイレの水は何も変わらず「大」で思いっきり流す
風呂は蛇口が回らず機能しない
直してもらおうと連絡するも
「その日なら何時でもいいですよ!では午前10時で!!」
当日ジリジリと時間をずらされ午後4時の時点で
「すみません、夜の10時でも良いですか?」
「良い訳ねぇ~だろ!!」
銭湯通いが始まった。
1回470円の銭湯代は家計を苦しめる。
週に1回が限度だ。
この物件に引っ越してきて何故かどんどんと体調が崩れていった。
自炊もして栄養価も問題はないはずだ。
引っ越しと同時に選挙があり、ただ働きをさせられたと共に交通費も自腹を切らされた。
てっきりそのせいだと思っていたが、1年後全く体が動かなくなった。
ここでもう一度俯瞰で見る事にした。
10代の頃から吹き出物とは無縁だった私の肌が、吹き出物だらけになる。
1年振りに冷凍庫で氷を作ろうとしたら、カルキがへばりついている。
そうこうしているうちに、歯磨きを終えた後、水を口に含むと同時に吐き気を催すようになった。
水には注意していたので、蛇口に簡易浄水器を付けそれを更にやかんで一度熱湯に沸かし、それを冷蔵庫で冷やして使用していたのだが、それでも無理だった。
それに気付いてからは、ミネラルウォーターに切り替えた。
これも家計を圧迫させるが、体に支障が出るのでは致し方ない。
全く持って本末転倒である。
元を正せば、最初の引っ越しが必要なかったのだ。
3軒目に引っ越しをして、更新時に
ケースワーカーさん(この方は本当に良い方だった)が
『10万までは出ますから大丈夫ですよ』
と言われた瞬間
からくりが見えた
行政は規格の中に当てはまらないものを良しとせず
嘘をついてでも
規格の中に入れようとする
その先受給者が苦しもうが知ったこっちゃない
受給者が嘘をつこうものなら裁判沙汰だ
一方世間は生活保護受給者を
まるで犯罪者の如く扱い
蔑み、嫌がらせをし、優越感に浸る
自分が酷い事に加担している事を知ってか知らずか
我ながら『鬱』を治したいが一心で
お金のやり繰りをしながら
高いカウンセリングを受けてみたりしてみたが
『生活保護』とのダブルパンチは、なかなかキツイものがある。
もし体力がついて働き始めたとしても
この年齢ではパートがやっとだ
なにより3万を超える収入は役所に持っていかれる
この時点で労働意欲は削がれる
そんな仕組みを私は
『生活保護沼』
と命名した
出来る事ならば早々にこの『沼』から這い上がりたい
そして今同じ思いをしている人達に
「こんな方法もあるよ」と伝えたい
「こんな景色もあるよ」と伝えたい
「こんな未来が待っているよ」と伝えたい
どんなに今居る場所が暗闇だったとしても
きっと【光】が射す時は来るのだと
私は負けない
負けて堪るもんか
私の人生の主役は『私』以外誰でもない
また【極妻の岩下志麻】が乗り移ってきた!!