【連載】C-POPの歴史 第11回 台湾90年代-B面 インディーズ/ライブシーン。もう一つの台湾音楽界
中国、香港、台湾などで主に制作される中国語(広東語等含む)のポップスをC-POPと呼んでいて(要するにJ-POP、K-POPに対するC-POPです)、その歴史を、1920年代から最新の音楽まで100年の歴史を時代別に紹介する当連載。前回は台湾の90年代の音楽を振り返りましたが、長さの関係でメジャーシーンのみに限定しました。
今回は90年代のもう一つの台湾音楽。インディーズシーンとライブシーンにスポットを当てて、90年代台湾音楽のB面(最近はわからない人も増えてきましたがカセットテープに例えてます)としたいと思います。
ブラックリストスタジオ以降のインディーズ音楽
さて、第7回で、80年代の台湾音楽を紹介しましたが、この回は最後に黑名單工作室(Blacklist Studio/ブラックリストスタジオ)というアーティストを紹介しました。覚えてますか?
台湾音楽を語る上で重要なのは、インディーズアーティストの層の厚さです。これは2024年現在も変わりません。このインディーズの源流をたどっていくと、1989年のブラックリストスタジオにたどり着きます。
では、89年から先、台湾インディーズ業界の90年代、台湾のインディーズのロックやヒップホップシーンはどうだったのでしょうか。
打(Pai)/Baboo(1992年)
赤ちゃんの泣き声をイメージしたBaboo(バブー)は、ブラックリスト・スタジオのメンバー、林暐哲が立ち上げたグループです。ですので、このバンドは、ブラックリストスタジオの続きと考えたほうがいいかもしれません。相変わらず、メジャーポップスにはないアングラさ、次に何が起こるかわからないワクワク感を感じます。
歌詞は正直、読解が難しいです。体罰などの社会問題を取り扱ってるようにも思えますが、確証は持てません。誰か解読できる方がいたら教えてください。でも意味がわからなくても楽しめる音楽だと思います。
我是神經病/豬頭皮(Jutoupi)(1994年)
ブラックリストスタジオやBabooが、ヒップホップやラップの要素を含むロックバンドだったのに対し、豬頭皮(Jutoupi)は完全にヒップホップと呼べそうです。音楽からはホーンがかっこよくてファンクの影響も感じられます。とにかく早口で、念仏のようなラップは、メジャーシーンで受け入れられるのは難しかったと思われますが、こういう実験精神はインディーズシーンでこそ力を発揮できると思われます。我是神經病(私は神経病だ)というタイトルが示す通り、本当に危ない人の頭の中ってこういう感じなのかなと思わせるような変な歌詞にも注目です。
なお、この曲の作曲家でクレジットされている羅百吉(DJ Jerry)は、ソロでも活躍しています。先ほどのブラックリストスタジオ→Babooの流れもそうですが、こういう横のつながりもインディーズの魅力です。
歐巴桑/羅百吉(DJ Jerry)(1994年)
こちらは先ほどの曲で作曲家だったDJ Jerry(羅百吉)のソロです。電子音楽をフューチャーしたハウスミュージックや、ダンスミュージックを駆使してフロアを沸かせる、つまり今日的な意味でのDJという職業で、中華圏で最初に知名度を得た人といえるかもしれません。彼の活躍は目覚ましく、「中国電子音楽界のゴッドファーザー」と呼ばれるようになりました。特に90年代において、台湾音楽をトラック、編曲面で大きく支えた人だといえます。例えば、前回、第10回(A面)で紹介したLA Boyzの曲のうち、「Jump 跳」、「落雨的晚上」の作曲家、アレンジャーでもあります。
紹介した曲はサビで連呼される「おばさん」をディスる歌にも聴こえますが、サビ以外の平歌の歌詞も読むと、イケてない古い音楽や、そういう音楽を好きな人々を「おばさん」と呼んでいるのではないかと思いました。ま、どちらにしてもあまり褒められた歌詞ではありません。インディーズシーンということでご理解ください。。
外好汝甘知/豬頭皮(Jutoupi)(1995年)
再び豬頭皮(Jutoupi)ですが、この曲では外来のヒップホップと、台湾に昔からあり、日本の演歌や民謡にも通ずる音頭調、さらにロックの要素も含んだ、訳のわからないミクスチャー音楽です。カオスな感じで私はとても好きなんですが、みなさんのお口には合いますか。
この曲の作曲は伍佰(Wu bai/ウーバイ)というアーティストが担当しています。ウーバイは、90年代台湾の、特にライブシーンで非常に重要なアーティストとしてこの記事のあとで出てくるので覚えておいてください。
さて、この項目で紹介したアーティストや楽曲は、新臺語歌運動という、台湾語をフューチャーして新しい楽曲を作っていこうという、90年代に盛り上がった運動の一つです。この運動の成果が現在まで続く台湾の素晴らしいインディーズバンドシーンに繋がったように思います。
ワールドミュージック/台湾の少数民族
メジャーシーン、インディーズシーンに加えて、台湾には忘れてはいけない第三極があります。それは、少数民族(台湾語では原住民と呼ばれてます)が生み出す音楽の数々。世界中の様々な国に少数民族は居住していますが、特に台湾の少数民族は、なぜかポップスの神様に愛されているのか、様々なシーンで登場します。前回、A面では、プユヌ族にして台湾を代表するシンガーである、アーメイ(A-Mei)を紹介しましたが、それ以外にもたくさんのアーティストが90年代には存在していました。
しかも、世界的にファンを抱えています。きっかけは以下の曲だと思います。
Return to Innocense/Enigma(1994年)
これは、ドイツを拠点とするエニグマというバンドの楽曲です。エニグマは、電子音楽、ニューエイジ、ワールドビートという、民族音楽とハウスミュージックを掛け合わせたような、90年代式最新の音楽の潮流の一つなのです。この曲はイギリスで3位、アメリカのビルボードHOT100で4位、そして1996年にはアトランタオリンピックのテーマソングとしても使用されたことから、本当に世界でよく知られた楽曲の一つです(Wikipedia)。
なぜドイツのバンドの曲をここで取り上げるか。それはこの楽曲でサンプリングされている歌は、台湾のアミ族のシンガー、郭英男(Difang)の歌だったのです。後日談ですが、この曲は著作権上のクレジットをDifangに与えなかったことで訴訟騒ぎになりますが、どちらにせよこの無名なアミ族のヴォーカリストの声を世界に届けたという意味で、エニグマの果たした役割は大きいと思います。曲中で繰り返される郭英男(Difang)の解読不可能な歌(極上のスキャットに聴こえます)に癒されます。
Elders Drinking Song(老人飲酒歌)/郭英男(Difang)(1995年)
こちらは、エニグマで引用された曲を正式に使用した楽曲です。先ほどの曲より、郭英男(Difang)のヴォーカルにフューチャーされた楽曲です。天から降りそそぐ日差しのような、女性コーラスにも注目です。こうして、たまたま曲で引用されたというところから、台湾の少数民族の歌声は世界中に轟くようになります。おりしも、世界はワールドミュージックという、世界の音楽を再発見するムーブメントの中にありました。
歡聚歌/新寶島康樂隊(New Formosa Band)(1995年)
新寶島康樂隊(New Formosa Band)は、漢民族で構成され、厳密な意味でのエスニックソングではないかもしれませんが、彼らは台湾語に加え、客家(ハッカ)語という、中国大陸にルーツを持ち台湾にもたくさん話者が存在する言語を駆使するアーティストでした。
彼がこの曲で表現しているのは台湾の山岳であり、そして山は台湾の原住民が暮らす場所を象徴します。バンド名の「New Formosa」も、台湾の別名と呼べるネーミングですし、このバンドが台湾の民族性をフューチャーしていることは明白です。
この曲、インディーズの項目で紹介するのが惜しいくらい、スケールの大きい、いい曲だと思います。この曲も新臺語歌運動のうちの一つですね。
神話(原歌名走活傳統)/紀曉君(Samingad)(1999年)
紀曉君(Samingad/サミンガ)は、プユヌ族(現地ではプイナン族とも)のシンガーです。この曲は、陳建年という、同じくプユヌ族アーティストの楽曲です。陳建年はこの曲で、金曲奨の最優秀楽曲賞を受賞しています。
歌詞の意訳(Youtubeの概要欄にあり)を読みましたが、これはもはやポップスというよりセラピーといいますか、神の存在を歌った歌です。
海洋/陳建年(Chen Jian-Nian)(1999年)
先ほどのサミンガの曲を書いた陳建年は、自作でもこのような曲を歌ってます。彼もプユマ族です。あのアーメイもプユマ族だし、プユマの人々は本当に音楽センスが高い人が多いですね。この曲を聴いてると、南洋の国・台湾は、ハワイのような太平洋州諸国の音楽とも通じるものがあるなと思います。
このように、台湾の音楽シーンには、日本にも存在するメジャー/マイナーシーンの循環/対立だけではなく、少数民族、文字通りのマイノリティによる作品の豊かさが特筆すべきポイントとして挙げられると思います。
キング・オブ・ライブ。「ウーバイ」(伍佰)
先ほどの、豬頭皮(Jutoupi)の「外好汝甘知」を作曲した伍佰(Wubai /ウーバイ)は、その実績を考えると、90年代台湾のもう一つの面を代表するミュージシャンです。90年代の台湾のライブシーンをレポートした記事(どこかで見たはずですがどの記事か思い出せない。。すみません)によると、当時のライブシーンではウーバイのバンド、China Blue(チャイナ・ブルー)がぶっちぎりで人気があったと記されています。Wikipediaにも、「King of live」という異名があったと記載されています。
ウーバイは当時を知らない人には魅力がわかりづらいアーティストの1人かもしれません。ルックスもちょっと野獣っぽくイケメンではないし。歌声も現在の感覚からすると少し無骨かもしれません。
そもそも、ウーバイの良さはライブにあるのだとすれば、音源を聴いても彼の魅力には迫りきれないかもしれません。でもせっかくなのでここで稀代のミュージシャン、ウーバイの魅力を検証しておきましょう。
夏夜晚風(Summer Night Wind)/伍佰(Wu Bai)(1996年)
ウーバイの魅力としてまずは、のちのミュージシャンへの影響が挙げられます。例えば上記の曲はウーバイの代表曲、夏夜晩風(翻訳しなくても意味が伝わるのが楽。笑)ですが、Laton Wuという現代の台湾系アメリカ人アーティストによってのちにとてもおしゃれにカバーされてます。
Summer Night Wind/Layton Wu(2020年)
同じ曲とは思えないほどおしゃれなアレンジがほどこされていますが、これなんか、少し古いと思っていたウーバイの魅力を再発見する楽曲になっていると思います。
また、ウーバイは、他のミュージシャンへの楽曲提供の面でも成功しています。この点ではのちに大メジャーな存在になるジェイ・チョウや、A面で紹介したデイヴィッド・タオなどとも共通点を感じます。彼が楽曲提供したアーティストは、たとえば香港のカレン・モク(莫文蔚)などの、有名ミュージシャンも含まれています。
真的嗎?(Is It True?)/ 莫文蔚(Karen Mok)(香港)(1998年)
こちらは、香港の大スター、カレン・モクの楽曲。作曲、編曲でウーバイと、彼のバンドChina Blueがクレジットされていますが、ウーバイ作品だとわかって聴くと確かにそうだなと思わせてくれます。王道の、サビにいくところで盛り上がる作品を作らせるとウーバイはその魅力を発揮しています。
このように、カレン・モクのような香港の売れっ子ミュージシャンから、先ほどの台湾のインディーズラッパーの豬頭皮や、宅録系ベッドルームポップス職人のLaton Wuまで、メジャーからインディーズまで、現代から過去まで様々なアーティストと直接的、間接的を問わず影響を与えているのがウーバイの魅力を裏付けていると思います。
Last Dance/伍佰(Wubai)(1996年)
この曲はウーバイの代表曲の一つです。最後のダンス。この、恋が終わんの? 終わんないの? というこれまた男女によくあるシーンの切なさをうまく曲に落とし込んでいると思います。
ウーバイは、中国語で歌いはしますが、その歌い方には台湾訛りが見え隠れし、そしてその台湾訛り方こそかっこいいという価値観を作ったアーティストでもあります。つまり簡単にいうと、台湾人が考えるエリートに対する庶民派のイメージ。「私たちを本当に代表するアーティスト」というイメージが、彼が台湾の人に長く愛された理由でもあると思います。
愛你一萬年 (Love you ten thousand years)/伍佰(Wubai)(1995年)
この曲は、ウーバイを代表する一曲ですが、どこかで聴いたことある楽曲に聴こえませんか? みなさまの古い記憶を総動員してください。これは、沢田研二の「時のすぎゆくままに」のカバーです。この曲は、ウーバイの歌唱によって台湾でもかなり知られた曲です。
ウーバイは、日本の曲が大好きなようで、日本語の曲をたくさんカバーしました。たとえば、墓仔埔也敢去(Go to the graveyard)は、橋幸夫の「恋をするなら」という曲のカバー。原曲は日本の古いグループサウンズ〜昭和歌謡という趣ですが、ロック風味の楽曲に蘇っています。
最後にウーバイの最も好きな曲を紹介します。
愛情限時批 Express love letter/伍佰&China Blue & 萬芳(Wan Fang)(1996年)
萬芳(Wan Fang)という女性歌手とデュエットした曲。この楽曲は、1920年代の時代曲から始まるC-POPの歴史の古い記憶を、90年代に呼び起こした名曲だと思います。古いけど新しい。そういう形容がぴったりです。
その昔、日本のサザンオールスターズが、あなたたちの楽曲はなぜ古びないのですか?という質問に対し、桑田佳祐は「最初から古くて懐かしい楽曲を作ってるから古くならないんだよ」と答えたそうです。この曲は、そういうタイプの一つだと思います。新しいけど古い。古いけど新しい。中国語の抑揚をうまくポップスに落とし込んでいて、とても気持ちいいです。特に女性パートの声は、天から響く天使の歌だと思います。歌詞も泣けます。ポップスの効能は、前にも書いたように「恋っていいよね」「愛っていいよね」「自由っていいよね」って人々に思わせてくれるものだと思いますが、この曲もそういう曲です。
実はこの曲は、「1秒先の彼女」という2020年の台湾映画のなかで、チラッと紹介されています。どこで出てくるか、わかった人は連絡ください。
ウーバイは、King of Liveという称号に相応しく、特にライブ音源やライブ映像で、著作権的にストリーミングして問題ないものもたくさんネットに残ってます。よかったら散策してみてください。
まとめ
今回は、台湾音楽の90年代のうち、インディーズシーンと台湾語シーン、原住民の人々による音楽、そしてライブシーンから登場してメジャーな存在にまで成り上がったウーバイを取り上げました。こうして振り返ると、90年代の時点で、台湾にはしっかりと、メジャーシーンに対するインディーズのシーンがしっかり立ち上がってることに気づきます。この当時のメジャーシーンがテレビやマスコミが作っているものなら、インディーズシーンを作っていたのは台北のライブハウスです。このインディーズシーンが脈々と受け継がれているおかげで、現在の台湾インディーズ業界は非常に面白いことになっています。2000年代、10年代、20年代の台湾インディーズシーンの回もお楽しみに。
バックナンバー
C-POP100年の歴史を振り返ってます!1920年代から書いてきて、いま1990年代!目指せ100年分のアーカイブ!