1ヶ月アジア各国を回る旅に出た。 今回はタイでの経験を共有する。 自分自身海外への旅行はこれが初めて。 タイの空港に着いた瞬間の、甘く、緩く、濁った香りは今でも覚えている。 20年間も日本という清潔な国で過ごした自分には、まるで異世界。
会話も結局は 自分との対話だ その人の感情とか その人の言葉も その人しか正直わからんし その言葉の受け取り方も 自分が勝手に決めたことである やから、結局は自分との対話 自分とのコミュをしてるのと一緒 そう考えるだけで 他の人の世界に入りすぎんでいいでしょ この言葉を受け取った時 自分はどう解釈するんだろう どんな感情だと自分は感じて それを受けて何を返そうとしているんだろうか それはどういう目的でどんな感情でどういう背景から生みでたものなんや
存在意義を承認におく それが普通の考え むしろ人間的にそうなってる これを逆に使えないかな 頑張りのための目標として その人に認められることにする 認められるために頑張るだと 認められたらそこで終わるでしょ だから「あなたに認められるために頑張る」と自分で決めて その人には「私のことを絶対褒めないでください」という どれだけ評価されても あなたは私を認めないでください 「すごいと周りは言うけれど、 私にはわからない」とずっと言っていて欲しい 認めら
心霊が見えた 神様が見えた その人と目が合ったわたしに言ってくれた そんなわけねぇって気持ち一旦置いといてさ それでいいやん 「いいなぁ、めっちゃいいやん!羨ましいわぁ…!」 で良くないか その人の幸せを見て幸せな状態入れるくらいの余裕あっても良くないかな そのひとを 現実世界に戻してあげんでもいいやん なんで自分の基準に合わせようとするのよ その人の幸せ摘んであげんなよ 幸せな状態でほっとくのでいいでしょ 幸せへの嫉妬かいな!シャーデンフロイデっぽ
「社会に出て恥ずかしい」 この恥ずかしいって自分の問題じゃない? 自分が恥ずかしいのが嫌ってこと? 相手からの信頼無くすよってのもあるんやろうけど そこだけで人見る人の方が俺は信頼ないけどな
神木隆之介さんが現場で意識していること それは 「緊張感を作らないこと」 緊張があるからこそ,パフォーマンスを出せない人がいる もちろん緊張感が全く気にならない人もいるし 緊張感あるからこそ結果がついてくる場面もあると思う ただ、緊張感のある現場に弱い人もいるのも当然で 自分も「ある」よりは「ない」方がパフォーマンス高いと思う もちろん、その緊張感がその人とかチームにとって大切だっていう声もあるけど その人の最大限の力を出せる環境の方がより大事じゃないかな
どうなったら自立したといえるんやろか 「自分の力で生きていく」 学校の道徳やとこんな感じで習った記憶 時代も変わったんかな、この解釈しっくりこんよな 自分の思う自立はむしろ逆で 「自分の力では生きていけないことを知ること」 一般的には 「今まで親の力に頼ってたけど これからはあなた1人で生きていくんだよ むしろ頼られる人になりなさいよ」 それが自立みたいに聞こえるけど いや,逆よ 自分1人の力では生きていけないと知って 他の人の力を借りることを知るこ
時間の使い方にこだわっている 1日で寝る時間を省くと約1000分 「1000分/寿命」 これをスケジュール帳の今日の日付のところに書く これが仕事とか何かと一日の始まりの時に書く こう分けた方がより時間を何に使うのか何に使ってるのかを見ることができる そして、その分母が寿命である、と なんかこれを意識するだけで、この時間を自分のために何をしてあげようかって思えるんですよね 勝手に身体が動く感じもします もちろん、怠惰な時間を過ごす時もあるし,だらける時もある
◎性悪説に立っている 性善説はいい人から損するから ズルが特になる(浮気、不倫とかを説明できないし、これをしない人が損する仕組みになる) 人間は利己的に生きている前提で生きる そしたらいいことしてもらえるとめっちゃ良く見える 利己的なことしても、「当然でしょ」って感じで 浮気するのが本能的に当たり前よ そう考えたら、それでもなお私を選んでくれた(結婚) と考えられる 期待値の差分が感動を生むって考えたら 性悪説に立った方が楽しい いつもこれで考えてたから
幸せに強い弱いとかいらないよ 総量とかそもそもないもので 幸せと少しでも思てたらそれは幸せであって あの人の方が幸せそうとかっていうその比較とかできるものじゃない だって量があるものじゃないから 形もなければ数値化できるものでもない どっちの方が幸せになれるかじゃなくて、 どっちの方が自分はしたいか、今したいか、将来したいか、で考えないと ○○をした方が幸せとかになっちゃう いや、もう死んでないんやからおそらく幸せやろ 生きてるんやから現段階で幸せでしょ
久々,両親が衝突 というよりも、一方がぶつかりすぎて、もう一方が流石に沈黙の限界って感じ こういう時って、子供は第三者として介入すべきなんかな 2人の問題ってよくゆうけど,ムードは悪いわけで影響がないわけじゃないから、やっぱり無関係ではないんよな 喧嘩してまた成長するみたいな言葉あるけど 自分は感情のぶつけ合いはそもそもするのも聞くのも苦手なんよな 悪口に発展するし,この悪口ってそもそも脳に良くないらしいんよね,これはまた今度書こう この2人おらんかったら自分が
頑張る人とできない人 それは脳の作りでも努力(頑張ることが)できる人できない人があるみたい そもそも、その努力できる環境用意されていたのか,その人の文化とか環境、恵まれ度合いもあるよね そういう認識が脳について教えてもらうまであまりなかったんよね 「もっと頑張ってよ」って、 これ前に自分の近しい人に言ってしまったことがあって、反省からの気づきも込めて 周りの人が凄ければ凄いほど、んで自分が夢中にガムシャラになってる時ほど、このバイアス眼鏡をかけがち そんな人は時
今日ふと思ったこと なんか本当フラットに思って それは中期的目標にもつながること 「死ぬってなったら 一報入れてよ 死んでもいいから 死ぬ瞬間だけでも一緒に居らせて」 本当に大事な人にはそう言おうと決めた どれだけ悪い人でも その人が死ねば、その人の思考はそこで終わる やりとりが消える どんだけ悪い人でも その人に不幸が訪れたなら シャーデンフロイデで片付けれるけど 死ぬって聞くだけでなんか温度下がる 死んだらなんかその人に想いを馳せるようになっ
Nov 11, 2023 12:13:30 ちょっとトランス状態入ってる感もあるから,読みにくい文になりそう(まぁいつもそんなんやからいっか🤤) まさにこれ書いてるの電車内よ なうで書くんやけど めちゃ利他な行動を反射でしてた自分に少しびっくりしながらも成長感じた話 電車にスマホ忘れてあって 自分の目の前にスマホポンってあって 言ったら、電車にスマホを誰かが忘れてたわけね 自分は上の方見てたから気づいてなくて 周りの人どうしようって感じがふっと視界をそこに向け
11月11日今日ポッキーか! 人メモコミュメモ ものすごく落ち込みやすい性格に悩んでいる人に会ったときに この考え方はどうやろか,と思ったこと ◎外部の性格を変える 人は無意識ながらに環境に合わせて自分を微調整してるみたいで ペルソナ(他者に対峙する時に現れる自己の外的側面)ってのがあるみたい これって、自分がそう演じている役である、といったら言い過ぎなんかな? 「あなたが、わたしだと思っているものは、わたしではない。一時的に、そういう側面を見て取ってもらって
写真よく皆撮る なんだか綺麗なやつとか 有名人が来たとか 感動するようなイベントがあった時 自分の目で見るよりも携帯で撮ろうとする 友達とか人間の表情はその一瞬でしかないから 風景よりも人や生き物の表情を撮りなさい みたいな考えも聞いたことあるけど 一瞬なんだったらなおさら肉眼で見たくない? 一瞬なんだよ?なに機械を介してんのよ ってなんとなく思ってた この現象はなんでやろか 自分の目で見ることに肉眼で見ることに価値があるんじゃないのか 写真はネット