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#106 noteが「居場所」である理由

ハリー・ポッターが大好きな僕にとって、マクゴナガル先生役を務められたマギー・スミスさんの訃報は残念でならない。
哀悼の意を表すと共に、彼女が出演した名作を観たいと自然と思った。

その中で僕は、『天使にラブ・ソングを…』を選んだ。
コメディ映画の名作として今なお語り継がれる本作。
小さい頃に観た気はするけど、もうほとんど覚えていなかった。

改めて鑑賞して……
とても幸せな気持ちにさせてくれる素敵な映画だった。
ハッピーエンド映画の王道といえる作品かもしれない。

それと同時に、「自分の居場所」について考えさせられた一作だった。

『天使にラブ・ソングを…』はこんな話

しがないクラブの歌手で、マフィアの愛人であるデロリスは、彼が人を殺す現場に遭遇してしまう。
命からがら逃げきり警察へ駆け込んだ彼女は、警察の指示によって女子修道院のシスターとして身を隠す羽目になってしまった。

華々しい世界から一転し、極めて質素な修道院生活。
厳格な修道院院長が目を光らせており、肩身が狭い。
デロリスは早々に嫌気が差していく。

だが、院長により聖歌隊の指導を命じられたのが、彼女の転機となる。
聴くに堪えない聖歌隊の歌声を、デロリスが大きく変えていく。

確かな居場所になっていく

主人公デロリスは元々、修道院の世界とは真反対の世界で生きていた。
派手な音楽や服装が溢れる俗世こそ彼女の居場所だった。

なので修道院に身を隠すことを最初は徹底的に拒絶していた。
修道着も窮屈だし、食事も不味い。細々した雑用までやらされる。
ここは自分の居場所じゃない。
そう言わんばかりに警察に別の場所へ移してほしいと嘆願したり、近くのバーにこっそり行ったりしていた。

しかしそれが聖歌隊の指導にあたってからは一変する。
もともと歌手だったデロリス。
残念ながら売れることはなかったけれど、歌やその指導、そして編曲・アレンジの才能は光るものがあった。
彼女の手腕によって、下手だった聖歌隊が進化を遂げていく。
そして、斬新なアレンジがなされた聖歌が、修道院を変えていく。

聖歌隊が成長していくごとに、デロリスは周りと打ち解けていく。
もう修道院にいる必要がなくなったと警察に聞かされたときには、「まだここにいたい」と思えるほどに。
修道院こそが、彼女にとって大切な居場所になっていたのである。

彼女の才能が生かされ、認められ、彼女自身も変わっていく。
その変化が、なんとも幸せな気持ちにさせてくれるのである。

ものすごく淡泊に言えば、それは順応なのかもしれない。
けれど、人間にとって、居場所を見出すことは人生における幸せの一つなのかもしれないなと、この映画を見て思ったのである。

長所を発揮できるから 認めてくれるから

学生時代や就職活動において、よく問われたことがある。
それは長所、あるいは特技である。

僕は人生の大半、自分の長所や特技がわからずに生きてきた。
辛辣に書けば、学校や合わなかった会社は、自分の長所や特技が気づけるような環境ではなかった。
だから、僕にとってそれらは居場所となりえなかったのだ。

一方で、今は大切な居場所と思えるところを持っている。
その一つは、noteである。

それはきっと、「書くことが好き」という長所、そして「文章を書けること」という特技を存分に活かすことができているからだろう。
さらにいえば、それらを活かして生み出した記事のことを、皆さんが認めてくれるからなのだろう。

そして何より自分自身が「書く」という長所・特技を認めることができるようになった。
だから、僕にとってnoteは大切な居場所になったのだと思う。

デロリスも歌という長所を活かせて、認められて、修道院が居場所になっていった。
そして、マギー・スミスさん演じる院長も、最初こそはデロリスが吹かせる新しい風に嫌悪感を抱いていたけれど、最終的には彼女の才能を笑顔で認めてくれていた。

居場所とは、自分を認めてくれる場所。
そして、自分が自分を認めることができる場所のことなのだ。

この映画を通じて、それを感じることができた。
そして、だからこそnoteが自分の居場所なのだと再確認できた。


皆様、本当にいつもありがとうございます。
noteが楽しいのも、皆様がここを居場所にしてくれたおかげです。
今日から10月、お互い体に気をつけましょうね。
今月もよろしくお願いします。



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