#148 「普段通り」が救いになる
普段通りの生活、日常。
意識して新しいことを取り入れない限り、そこに刺激はない。
だから、時には「普段通り」に嫌気が差してしまうことだってある。
けれど、心に大きな傷を負ってしまったとき。
そのときは、「普段通り」に救われることもある。
誰かの悲しみに触れたとき
先週、同僚のお母様が亡くなられた。
ガンを患い、今後看病が必要になる可能性があるので、もしかしたら出勤が難しくなるという相談を聞いた矢先の出来事だった。
お母様が危篤状態になったとき、その同僚は退勤後にわざわざ職場まで知らせにきたのだという(その日、僕も退勤した後の出来事だった)。
普段はシャキッとして、優しくて、仕事もテキパキこなす同僚。
そのときばかりは悲嘆に暮れ、嗚咽が止まらない様子だったそうだ。
話を聞いた僕らもショックだった。
ガンを患ってから、あまりに早い展開だったから。
ほとんど年齢も変わらない同僚というのもあり、もし自分たちの母親がそんな急に倒れてしまったらということを想像してしまう。
そう思うと自然と奥歯を噛み締める想いになった。
そんな同僚が明後日、復帰してくれる。
心身共にボロボロだろうに、いち早く職場に連絡をしてくれたのだ。
しかし、どうしても思ってしまう。
こんなとき、どのように接してあげればいいのだろう、と。
とはいえ、そんな思索を繰り返したところで出てくる結論は一緒だ。
普段通り、接すればいい。
それに尽きる。
「普段通り」がありがたい
大学受験の直前だった1月、僕は母方の祖母を亡くした。
具合が悪くなったのは夏ごろで、そこから約半年間、母は仕事をこなしながら祖母の看病に病院へと通っていた。
祖母はとても優しく、一人っ子である僕のことを可愛がってくれた。
祖母の家に行けば必ずピザやチキンが用意されていて、それがとても楽しみだった記憶がある。
それなのに僕は臆病者で、薄情者だ。
弱っていく祖母を見るのが辛くて、看病は母に全て任せて、僕は受験勉強に逃げていた。大して真剣に勉強もしていないくせに。
いざ棺の中にいる祖母と対面したとき、少なからず心に傷を負った。
遺体を見るのも、大切な人を喪うのもそれが初めてではなかったけれど、そういったことに人は慣れることはないのだと思う。
父も母も伯母も皆悲しみに暮れ、僕だけは泣くまいとやはり奥歯を噛み締めていた。
人を亡くすと、いつも見ている風景が違って見えるのが不思議だ。
普段目にしている駐輪場も、電車の中も、バスの中も、校舎も。
視界に入る全てから哀傷を覚えてしまう。
だけど教室に入ったときだけは違った。
そこには普段通りの日常が流れていた。
友達たちも僕が忌引き明けであることを知っているはずなのに、普段通り「おう、お疲れ」と言ってくれた。
ほっとした。
普段通りの挨拶が、冷え切った心に温度を与えてくれたのだった。
それから僕がいない間にあった出来事を、友達たちが話してくれた。
とてつもなくどうでもいい話ばかりだ。
やれ凍った水たまりで足を滑らせて転んだだの、教科書を忘れて先生から叱責を受けただの、受験勉強から逃避すべくYouTubeをずっと見てただの。
だけど、手先足先まで悲しみで冷たくなっていた体をほぐしてくれたのも、普段通りのどうでもいい話たちだったのだ。
その後、近しい人の悲しみに接する機会を何度か経験することになった。
けれど、祖母を亡くしたときの経験で、僕は心がけている。
普段通りに接することにしようと。
それが悲嘆という非日常から、日常へ戻す唯一の手段なのだと。
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普段通りに仕事ができること。
普段通りに創作ができること。
心に悲しみという風が吹いたときに、「普段通り」が本来人が持つ温度を思い出させてくれる。
明後日、同僚を職場で迎えるときも、その温度を思い出してもらえるように、普段通りに接することにしよう。
誰かを亡くしたとしても、僕たちは生きていく必要があるのだから。