#91 積極的に空白をつくる
大学時代。
友達から言われたことで、傷ついた言葉がある。
「お前、暇なんだな」
どのような会話でそう言われたかは覚えていない。
だが、「暇」という言葉に、プライドが深く傷ついた記憶がある。
確かに大学生活前半は暇だった。
アルバイトもせず、ボランティアなどにも参加せず、サークルにも入らず。
ただただ大学と家を往復する毎日。
これでいいのかと自問自答しつつも行動できない自分に嫌気が差す毎日。
それがつらくてたまらなかった。
ところが今は一転、ほとんど暇がなくなっている。
仕事も多いし、家に帰ればnoteを書きたいし、読書や創作もしたい。
休日も友人との約束があったり、一人でも出かけたりしている。
暇がないというのは、充実していると言えなくもない。
けれど、これが続いてしまうと、だんだん辛くなっていく。
空白だらけの毎日も辛いけれど、空白のない毎日も辛いのである。
人は積極的に空白を作る必要がある。
予定が多い=ステータスが高い、ではない
時期によって、どうしても予定を入れすぎてしまうことが僕にはある。
それは、「暇」という言葉で傷ついた経験が大きいのかもしれない。
あの言葉によって、暇なのは格好悪いことなんだと強く認知してしまったからである。
言いかえると、
予定が多い→充実している→ステータスが高い
という謎の図式が頭の中にこべりついているのかもしれない。
確かに予定があることは充実と言えるかもしれないけれど、それがステータスの高さへと直結するわけではないと今では思っている。
そもそもステータスってなんだと最近では思っている。
結局は他人と比較して、優越感に浸る材料を作ろうとしているにすぎない。
健康であること。
前向きに生きられていること。
この2つをもって「充実している」と言えるのだと、今では思う。
そう考えれば、やはり予定が多いことは、果たして充実に直結するかといえば頷くことはできない。
なぜなら、空白がないほどの予定の多さは、健康を脅かすからだ。
空白をつくることでわが身を守る
予定を詰めまくった結果、体の免疫力が落ち、新型コロナウイルスに感染したという経験を、過去の記事で書いた。
これは極端な例かもしれないが、あまりにも生活に空白がないと、肉体的にも精神的にも余裕がなくなってくることは間違いない。
夏休みが終わった今でも、図書館の仕事はそこそこ忙しい。
仕事が立て込み、終わっても終わっても仕事が舞い込んでくる。
ありがたい話なのだが、やはり仕事の中でも空白がないと、次第にイライラしやすくなるのを、最近感じている。
「忙しい」という漢字は、「心(りっしんべん)を亡くす」と書く。
まさしく、その通りの状態になってしまうのだ。
つくづく漢字という文字は、本当によくできているなと思う。
だから、生活の中で空白をつくることは、自分の体と心を守ることにも繋がるのである。
積極的に休んでいきましょ
60代以上の方と話していると、よくこういう話を聞く。
「昔は、休まないことこそ偉いみたいなところがあった」
以前は、休まない美学というものがあったのかもしれない。
だけど現代に生きる僕は、それに賛同することはできない。
休まないことは、自傷行為にすぎないと今は思っている。
noteを見ていても、そういった投稿を目にする。
堤達也さんのつぶやきが、僕の言いたい全てである。
「自分のために休む」
「疲れが溜まる前に休む」
生きる上でとても大事な、「自分を大切にする呪文」だと思う。
さくらさんのこちらの記事も、僕の言いたい全てである。
誰とも約束をしない日——
だらだら休むというのが自分との最高の約束。
自分と約束することも、QOLを高める手段の一つだ。
こういった記事やつぶやきが流れてくるたびに、僕は素晴らしいと思うし、やさしい世の中になってきたなと思う。
これからは、休まない美学より、積極的に休む美学だ。
もちろんペースは人それぞれ。
自分が最高のパフォーマンスを発揮できるように、積極的に空白を作っていきたいものである。