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#193 ほどよく信じ、ほどよく疑う
自分のことを信じることは生きる上でとても大切なこと。
「自分を信じる」とGoogle検索をかければごまんと出てくるし、「自分を信じる」ための本をAmazonで検索すればこれもまた数多に存在する。
人はそれほどに、自分を信じたいと思っているのだろう。
かくいう僕も、34歳になっても自分を信じることができない。
ゆえに、明日も明後日もその次の日も、心のどこかで「自分を信じられるようになりたい」と頭の片隅で思っていることだろう。
だけど、自分を信じすぎることもまたよくないことである。
ほどよく自分のことを信じる――ということが大切で、それがまたなかなか難しいことなのだ。
自分を信じすぎることのリスク
もう散々書いていて申し訳ないが、これもまた適応障害を患ってしまったときの会社で思ったことがある。
僕に強く当たってきた上司というのは、とにかく自信家だった。
自信家に見せていただけかもしれないが、僕の目からは自信家だった。
「さすが俺」
「よし、(自分に対して)よくやったぞ」
そんな独り言をよく呟いているような人だった。
一方で僕を含め、その上司からの圧にメンタルが参ってしまっていた。
つまり自分のレベルに合わせろと、僕ら部下に圧をかけてきたのである。
彼が退職に追い込んだのは決して僕一人だけではない。
当時新卒だった新人たちが次々とやめていったのである。
これについては、上司の上司からかなりきつくお叱りを受けたというのを、元同僚から聞いたことがある。
こうなると、自信過剰であるといえる。
もしくは自惚れ、もしくは天狗——日本語には自分を信じすぎることを意味する言葉がたくさんあるから面白い。
ほどよく疑うことも大切
繰り返しになるが、僕は尋常ではないほど自分に自信がない。
だけど唯一信じられるとしたら、自分の文章である。
文章力、書くことへの情熱——それらについては信じることができる。
一方で、僕は自分の文章を疑ってもいる。
noteを書いている皆さんにも覚えがあるだろう。
記事を書き上げたときに、
この文章で大丈夫だろうか?
誤字脱字はないだろうか?
と思っている人もたくさんいるはず。
僕はこれが「ほどよく疑う」ということなのだと思う。
人生においても、「ほどよく疑う」ことが大切だと思う。
もちろん自分を信じて、能力を磨いたり、やりたいことをやったりするのもとても大切なことだ。
一方で自分を信じすぎてしまうと、どこかで落とし穴にはまってしまう可能性がある。
自信過剰になると視野が狭くなるからだ――先の上司のように。
人間、生きていれば必ず軌道は少しずつずれる。
ずれた軌道を修正するための作業こそ、「ほどよく疑う」ことなのだ。
信じるも疑うもほどよく
自分を信じすぎてしまうと大きな落とし穴にはまるかもしれない。
自分を疑いすぎてしまうと行動を起こすのが難しくなってしまう。
ゆえに、巷に広がる「自分を信じる方法」を学ぶだけではよりよく生きることはまだ達成できない可能性がある。
ほどよく信じて、ほどよく疑う方法を身に着ける必要がある。
基本的には自分を信じて、行動を起こした後に少し自分を疑う。
ほどよく信じ、ほどよく疑う。
とても難しいけれど、きっとこれがよりよく生きる方法の一つなのだと希望を持っている。
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