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#73 流行から「好き」を掬う

世の中には、何かしら流行っているものがある。
音楽などの芸術作品はもちろん、言葉とかエンタメとか、何かしらが流行しては落ち着き、また別のものが流行していく。

過去の僕は、この「流行」を冷ややかな目で見ていた。
「流行に乗るまい」とか「流されまい」とか、天邪鬼とも頑固ともとれる姿勢を持っていた。

だけど、最近「流行」というものをポジティブに捉えられている。
僕に合う流行の付き合い方は、「流行に乗る」ではない。
「流行から掬う」であると気づいたからだった。

若き自分の「逆張り」姿勢

学校だとか、職場だとか、集団の中で生きる上で流行に乗ることは一つのステータスなのではないかと思っていたときがある。

あるいは、その集団の中に流行の発端となる人物がいて、その人が流したものに乗れば、円滑に生きられるという場所もあるのかもしれない。

若き僕は、流行に乗ることを拒絶していた。
流行になんか乗らず、我が道を行く。
その姿勢がかっこいいと思っていたからである。

本当を言えば、流行で盛り上がっている輪に入るのが怖かっただけだ。
スクールカーストの底辺にいた僕にとって、スクールカースト上位が盛り上がっている流行というのは、燃え上がっている炎のように見えた。
僕が入ればその業火に焼かれてしまうのではないかと思っていたのだ。

だけど内心では怖がっている自分自身を認めたくなかった。
そんなガラスのプライドは、恐怖を虚勢に替え、流行に乗りたくても乗れない自分を正当化することにしたのだった。

長々と書いたけれど、結局はただの「逆張り」である。

流行から掬い出した「好きなもの」

そんな逆張り姿勢を持っていたものだから、「流行になんざ乗るか!」という棘が取れた大人になっても、流行に疎い人間になっていた。
流行語大賞にノミネートされた言葉はほとんどわからないし、一時は流行りの音楽や漫画もほとんどわからなかった。

けれど人間というのは、好きなものを貫く面もあれば、新たに好きなものを求める面もある。

30代に入り、僕は好きなものへの探求心が強くなっていった。
いい音楽を知りたい、面白い小説や物語を知りたい……!
そんなときに頼ったものの一つが、結局流行だったのである。

流行を調べた結果、今でも愛するものに多く出会うことができた。

そのとき思った。
流行のことを毛嫌いしていたけれど、
今までの僕が好きなものだって元々は流行していたものだったではないか。

僕は積極的に、流行に乗ることはしなかったけれど、
流行から好きなものを掬い出すことはしていたんだなと気づいたのだった。

流行との付き合い方も人それぞれ

今まで僕は流行というのは、「乗る」ものだと思っていた。
けれど、決して付き合い方はそれだけではない。

もちろん流行に積極的に乗ることも素晴らしいことだ。
その他にも、僕のように「好きなもの」を掬うために流行を探ったり、
それこそnote記事を執筆するために、流行を学んだり、
人によっては、流行を編み出すという方もいるだろう。

流行との付き合い方だって、現代では多種多様なのだ。

無理に乗る必要はない。
けれど、今流行しているものが、もしかしたら未来のパートナーになるかもしれない。

そう思えたとき、流行を知ることが楽しいと思えるようになったのだった。


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立竹落花
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