「盤双六」について想う 巻之弐 (My thoughts on Backgammon 2)
タイトル画像はwikipedia「すごろく」から引用です。
昨日からの続きです。
いまここに「ラジくまる説」を提唱します。
BC3000製だと称するBackgammon的なゲーム盤(イラン地方からAD2004年に出土したもの)を根拠として「BackgammonはBC3000から」とかいう「ばかばかしい学説」をラジくまるは否定します。
発掘されたゲーム盤は60区画(マス)です。ご存じの通りバックギャモンは24区画(マス)ですからね。
「同じルールで遊ばれていたに違いない!」などと、いくら言い張ったって、60区画もあったら、そりゃ違うゲームに分類すべきですよ。
ソレは多分、Senet(セネト)の亜種に違いないです。
そして、世界最古のバックギャモン発掘品(物体としての現物)と見なすべきモノは推定AD480年製と言われているBackgammon風ゲーム盤のほうです。
当時はこのゲームは「Tabula」と呼ばれていたらしいです。これがたぶんBackgammonと同一物だと私は推理しています。
(今調べ直したら、増川宏一さんら(遊戯史学会)から、Tabulaに関して同様な仮説が既に発表されてました。残念!新仮説にはならず。)
古典文献の記述は文字情報だけしか残っていないせいで、これぞまさにBackgammonだ!とは、なかなか断言しにくいです。そのあたり苦しいのですが、たぶん、いちばん古いラテン語系でのBackgammonらしい文字情報はAD7世紀のものかなと推定できます。
この当時はまだBackgammonという名前ではなかったせいで、調べるのはとっても難しいんです。
結論を言えば、BC1世紀~AD480年の間の約500年間のうち、どこかのタイミングでBackgammonは誕生した可能性が非常に濃厚です。そんな風にまとめておくべきだと私は思います。
ちなみに「これはどう見ても絶対にBackgammon盤だ!」と断言できる絵画は、やっと14世紀になってから描かれています。
やっぱり絵として残されるのはだいぶ遅いタイミングになりますね。
***
さて、地中海沿岸地域(ヨーロッパ&ペルシャ)では上述の通りでした。
一方、中国ではその頃(AD480年前後)にはすでに数多くの歴史書が書かれているだけでなく、古文書にBackgammonの記録が残っています。
中国の古文書の中に「雙陸(シャンル)」という遊びがペルシャ方面からAD3世紀に中国へと伝来したとの記述があります。コマの初期配置をちょっと見ただけで、間違いなくこれはBackgammonだと断言できます。
Backgammonの発祥地と推定される「ペルシャ&地中海沿岸地域」の古文書からではなくて、中国の古文書のほうから、より精度が高い「Backgammonの発明年の証拠」が見つかりました。これはびっくりですね。
まだ明日に続きます。