正しい理由で、人は間違う。
最近読んでいる小説の中で、しびれる台詞がありました。
「人は正しい理由で、間違ったことをする」(「シャンタラム」グレゴリー・デイヴィッド・ロバーツ 新潮社 2011)
この小説は、知人から紹介を受けた本ですが、インドを舞台にしたとんでもなく面白い冒険小説です。まだ、読み途中なので、書評は避けますが、超絶おすすめです。
で、ですよ。
この言葉。本当に人間の本質に迫る言葉だなと思いました。
というのも、私たちって、いつも、多くの選択をして日々生きています。そして、その判断基準というのは、自分の中の「正解っぽいもの」「不正解っぽいもの」という、ゴリゴリの偏見の上に成り立っている、移ろいやすいやつらです。だって、立場や状況が変われば、その「正解」「不正解」は何の悪気もなくひっくり返ります。
そして、これ。選択するとき、私たちは、自分の今までの人生における「選択のスタイル」を多用しています。
ある人は、直観で決めることで利益を得ると思っている。ある人は、論理的に決めるというスタイルをとる。ある人は、側に居る他者に助言を受けそこから選択する。
これって、私たちが、今まで人生でサバイバルしてきた上で、
「お、こうしたらサバイブ出来んのか。」
と、健気に学んだ結果なんですよね。
だから、その選択のスタイルは人それぞれで、何に価値を置き、何を選択肢とするのか、人によって全く違う。私たちに与えられた膨大な自由意志です。わけわかめです。死語です。
だから、いつでも人がなにか「選択する」という時、必ずその人の「正解」がそこにはあるんです。
いやいや、そんなこと言ったって、初めから「これはうまくいかないな・・・」「こっちじゃないほうを選ぶべきだとは分かっているが、選べない」ということもあるじゃないか。
と、いう声も聞こえてきそうなんですが(笑)
結局、その「選択のスタイル」は概ね感情に支配されている。そのためだと思うのです。
そのために、私たちは、時に論理的に考えれば効率の悪い・損な・間違った、選択をしてしまう。感情に突き動かされる、「選択のスタイル」。
だから、いつも、正しい理由を持ち、人は間違いを犯してしまう。
その正しさは、その人だけの「選択のスタイル」。その人だけの、「正しさ」なんですよね。あくまでも。
つい、自分の考えが、まるで世の真理であるかのように、「絶対正しいっしょ。」って、思ってしまいがちなんですけれども。ええ。反省はしてます。
どんな、正しい理由があったとしても、間違う時は間違うんですよね。
ま、なるべくなら、出来るだけ間違いは少なめの人生を歩んでいきたいと思っております。はい(笑)
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