民主主義の形式と本質
日本は民主主義の国家と言われたら、
「まあ、そうだな」
「一応そうかな」
と日本人は肯定したくても、
何かもやもやの感じは残るよね。
その正体は、
「形式」と「本質」の違いだと思う。
まず、民主主義の形式、
いわゆるこの国は民主主義と思える特徴を考えてみれば、
まあ、「投票」だね。
投票以外の答えを出せる人はそう多くないと思う。
今回の記事は民主主義の形式を全て羅列するつもりではない。
どちらかと言うと、民主主義の本質を話したい。
例えば、
この意志は「民主主義」の本質であり、
「人間そのもの」の本質でもある。
言い換えれば、
意志なき人間たちが投票制度を作ってもナンセンスです。
結局今の投票は、
「多数派の意見を確認する」という謎の制度になっている。
勝手に戦争を起こして、
勝手に勝てそうにないアメリカを挑発して、
勝手に負けてアメリカに民主主義の経典を渡された結果、
この国は民主主義を理解する人がほとんど居ない。
「民主主義って、投票で戦争を止めることじゃないの?」
↑日本人の洗脳教育の結果。
戦後の時代は、
「俺が俺が(やる)」の時代だった。
今は、
「誰かが、誰かが(やってくれ)」の時代になっている。
これは本熊が見てきた日本の衰退の本質です。
話が抽象的すぎ、広すぎるかもしれない。
では、意志をもう少し具体的に掘ってみる。
まず先ほどのQ3に対して、
「そりゃ毎日いっぱい疑っているよ」と思うよね。
あらゆることを疑うのは、
意志の「起点」に過ぎない。
意志の「ゴール」は、
これまでの人生で疑ったことを全て疑い続けること。
シンプルでしょう?
ただ疑い続ければいいんだ。
この疑い続けることは、
途轍もなく巨大なエネルギーとしてあなたを支え続ける。
そして国を支え続ける。
時代が進んでいるのは、
ルールを守る人々ではなく、
あらゆることを疑い続ける人々のおかげです。
※ルールを守る前提で疑ってね
「あらゆることを疑い続けるって、
人間の精神状態に良くないでしょう?」
良くない世界に住んでいること自体は、
人間の精神状態に一番良くない。
特に、「見える力」を持つ人間にはね。
お気持ちだけで十分です。 お金は自分より立場の弱い人に使ってくださいね🐻