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社会の力学⑩ー社会改革と信頼

熊です。

↓前回はこちら

今回は「社会改革」に関する話です。

気持ちの天気予報は「月曜午前7時」です。

🐺チワワ「最後まで見れる勇者居るかな・・・」


公益と無関心

度々「夫婦別姓」に関する話題をマスメディアで見かける。

「夫婦別姓」問題から伺えるのは日本人の足枷である「ルールの奴隷」という現象である。

つまり、有形無形の制度と制度で縛り合い、
どれかが変更すると別の制度に波紋が及ぶため、変更が却下される。
あたかも別姓になったら国が回らなくなる雰囲気🐻

しかし、そもそも制度を作ったのは人間自身であり、不便や合理的でない制度を残し続けているのは何より多数派が公益に対して冷淡な態度の証拠である。

公益と自分の利益

政権や政治家が変わっても、日本の社会問題は増える一方。

何故かというと、変化を促す人の多くも自分の利益のためであり、社会の本質までを変えたいと思わないからである。

個人レベルでの様々な社会活動は行われ、共通的な目的を持つ人々も団体を結成し、活動したりもする。

ほとんどの社会活動家は
「自分自身のために動いているわけではない」と主張する。

しかし、自分ではなく、他人からすると
あなたに利益があるかどうかの視点がよっぽど重要である。

具体的な例を挙げましょう。

例えば、マイノリティの当事者やその保護者が社会に対して何かを訴えたり、制度の改変を求めたりすることはよくある。

もちろん、そういった要求が実現されると、自分たち以外にも利益を受ける人は居るが、その社会資源を途中から自分の方に誘導したり、自分の利益が満たされたら活動を辞めたりする可能性もある。
※政治屋はその絶好例

どのマイノリティも時間を積み重ねるとかなりの人数になるが、かつての当事者や利害関係者はどこに行ってしまったのか?

現在社会改革活動を行っている人に「その活動はいつまで行う予定か?」を聞いてみてください。

その活動は自分もしくは子供が
・社会人になったら辞めるのか?
・安定な収入が得られたら辞めるのか?
・安定な家庭生活が行えたら辞めるのか?
・友人に恵まれたら辞めるのか?
・そもそもその特性が誤診だったら活動を続けるのか?

上記の質問に対して、すぐに答えられなければ、社会の人々から信頼を得るのが難しいかもしれません。

結局、公益で自分の利益を包装する人は紀元前から存在しており、多くの場合も大成功に終わります。
※クラファンの悪用もそうだ

利益とは金銭的なものに限らず、
名声や称賛、自己実現欲求なども含まれている。

しかも、厄介なのが人間は自分をも騙すことができるため、「自分の利益が満たされるまで」に自分の心理に気付けない場合が多い。

気づいたらどうなりますか?
まあ、罪悪感はあるかもしれませんが、
目的達成のため活動は終了です。

繰り返しますが、
社会から信用を得るために
「どれぐらい自分の利益を取り除けるか」
が何より重要である。

これはあくまで活動を成功させるための行動であり、自己犠牲と混同しないように注意してください。

生きている中でいちいち「私は誰々のために犠牲している」と自惚れるやつが居たら離れましょう。

自分に利益がなくても活動し続けるとき、
あなたを信用する人は増える。

それができない世の中だから、
「乗り越えた!あとは知らん」と
みんな勝手に世界の痛みを忘れていく。

その結果、誰も誰に協力したくない世界になっている。

教育とギフテッド教育

「教育改革」の話で「ギフテッド教育」の言葉はよく出てくる。
教育とギフテッド教育はどんな関係性にあるのか?

人数の分布で考えると包括関係に見えるが、概念で考えると教育改革の結果は全員に提供するのに対してギフテッド教育はギフテッド以外の人を弾くのだ。

🐺チワワ「需要が違うから当たり前だろう?」

と思うかもしれませんが、改革を行う際に
「多数派に文句を言わせない工夫」は非常に重要である。
※もちろんなるべくね

他の特別支援級とギフテッド教育とは根本的な違いがある。

支援というのは、劣勢を挽回する下記の営みである。
①本来平均以下の成果しか出せない人々をなるべく平均に近づかせること
②成果に関わらず、当事者が抱える社会や健康問題を解決すること

もちろんギフテッド教育にも色んな種類がある。
・特定の科目(数学とか)に対する教育
・特定の才能(楽器とか)に対する教育
・認知や心理面に対する教育
・様々な欲求を満たす教育

どんな種類が有効かという議論に世間はよく陥るが、もっと前提を疑おう。

これらの教育がうまく行くと、どうなるでしょう?
色んな解釈はあるが、本熊はこう思っている。

平均より優れた成果が出せる

うまい話

日本はどうなのかは確認していないが、
世界中で警察や軍人になるための学校は無料の場合が多い。
🐺チワワ「確認しろよ」

何故でしょう?
その学校が国立や公立の場合は税金を使っているよね?
他の人は高校も大学も学費を払っているのに?

警察や軍人の学校が無料の場合、
卒業後に一定年数を勤務しないといけない契約があるからである。

しかし、ギフテッド教育は、
生まれつきでポテンシャルの高い人々が、
成果を出せるように、+αの税金を使う。

これで世間の支持を得られるわけがないよね。

「私の息子は味が分かるから、給食を人より3倍食べさせれば、将来ミシュランのシェフになるかもしれません。かも」なんて

ただの「ジャイアン精神」じゃないか。

大学で海外留学の枠があっても、
それは知能テストで選別しているわけではない。

就職試験も知能と全く関係ないわけではないが、
知能テストで選別しているわけではない。

会社内で企画を通そうとするときも、
知能テストでアピールするわけではない。

昇進や異動も、
当然知能テストで選別しているわけではない。

世の中の優先順位はいつも実績
なければ計画姿勢リスク管理によって決まる。

知能によって優遇されている子供たちは、
ある種の教育虐待に陥るだけである。

その社会の力学に対する認識齟齬は大きな代償を払う。

優秀な人だって理不尽なことに遭うことがある。
それが世の常であり、
より大きな視点からすると平等でもある。

これを理解せず、対処する方法も知らずに社会に出たら、秒で潰れる。

文句を言わせない

対策はクリティカルの問題に対して打つ

熱帯雨林の熊(1912−2306)

先程の「前提」の話に戻りましょう。

結局ギフテッド教育の内容はどうであれ、
大前提としてこれは多数派にとって不平不正の制度に近い。

まずこの大前提に辿り着かないとギフテッド教育は推進できない。

誰も置いていかれたくない

この大前提は結局資本主義格差社会の「みんなのトラウマ」である。

「個性のある子供」や「特性のある子供」というあやふやな言葉は多数派からすると、自分たちが没個性と言われているように感じる。

「定型発達だから、
 誰も自分の個性を発掘してくれないよね」

本熊の考えは、
ギフテッド教育の内容はどうであれ、
全ての人に提供すべきと考えている。

🐺チワワ「一般人は着いていけないでしょうアホ熊」

いやいや、そもそも義務教育に皆さんはどこまで着いていけたのでしょうか?

義務教育の内容を全て理解していれば全員東大ではないのか?
一生B動詞を学ぶFラン大学は何故存在しているのか?
特定の科目が絶望的にできない人も居るでしょう。
中2でもう授業の内容が全く理解できない人も居るでしょう。
小学校6年生からDQN路線に突入する人も居るだろう。

義務教育だって、着いていけない人はたくさん居るが、誰かのせいにすることができない。

同じように、
ギフテッド教育を必要としない人は、自ら離れる。
ギフテッド教育に着いていけない人も、自ら離れるしかない。
※場合によっては成績基準を設けて離れさせるのもありかと(ギフテッドを含む)

多数派にも(受ける)権利は与えたので、
文句を言わせない。

また、別の視点からすると
みんなが受けられるなら、
みんなで考えることもできる。

マイノリティの金と知恵だけでマイノリティを支えられたら既にやっていたでしょう。

忘れないでほしいのはどんな種類のマイノリティ支援だってそれを支えているマジョリティがたくさん居ること。

ギフテッド教育の最終的な目的は社会の受け入れである。
マイノリティの独善は孤独と孤立につながる。


実はこの記事の目的は社会改革活動がうまくいくコツを伝えるためではない。

仮に既に苦しみから解放されても、
初心を忘れずに走り続けてみてください。

今回の記事はここまで。
チワワを退治してくる🐻

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熱帯雨林の熊
お気持ちだけで十分です。 お金は自分より立場の弱い人に使ってくださいね🐻