見出し画像

映画 夜明けのすべて②

◉メイキングについて

Blu-rayの特典としてメイキングとコメンタリーなどがあった。

メイキングとても素晴らしかった。
まず本当に三宅監督が楽しそう!
そして俳優撮影録音照明編集音楽、全ての人たちが同じ方向に向けるように意見を求めまとめ、その場の空気感を大事にしてテストなしの本番にしたり、タイミングを逃さない。
映画が好きなんだな、監督は。

北斗さんは普段グループで活動しているから、現場に入る時は緊張していたように見えた。
(勝手な想像、表情とか振る舞いからの解釈)
ただ三宅組の丁寧な演出や撮影方法で
そのままセリフを言うのではなく、
なぜそうなるのか役者も考えて意味を持たせてくれる。
いつも思うのだが、色んな人が見ている状態で役に入り込めるってすごいよな…だからこそ、どれだけその視線が気にならなくなるかという空間を作ることが重要なんだろうな。知らんけど。

あと萌音ちゃんの存在。
自分が求められていることを即座に把握して、その場の空気感さえ掌握してしまうような天真爛漫さ、勘の良さ、的確なコメント。素晴らしい。
原作の藤沢さんのイメージはもう少し冷たくて神経質なイメージだったけど萌音ちゃんでよかった。

病気、孤独、理不尽、アンコントロール、居場所、サイクル、揺らぎ、波、星、プラネタリウム🪐という着地点が必然であったかのように構築されていく流れはお見事でした。
原作を尊重しながら新たな解釈で物語を再構築していく醍醐味。昨今原作ありきのメディア界で忘れてほしくない視点。最大の賛辞を💐

◉コメンタリーについて

夜明けのすべてコメンタリーを拝見しました。
え、これって映画館でイヤホンで聞きながら映画を見る用に録られたものなの?
むりむりむり。
こんな楽しい会話聞きながらノーリアクションで映画観れないよ。全てに頷いてるし笑ってるし、本当に家でよかった。
とりあえず一つ確かなことは、
私はこれから折りたたみ傘しか持ちません。

PMSとパニ障患者としての視点から。
まずキツい状態であることに気付いてくれることがどれだけありがたいか。山添くんよ、藤沢さんを外に誘導してくれて洗車を任せてくれてありがとよ。

症状が出ている状態なんて本当は誰にも見せたくない。
それでもコントロール出来ずに出てしまう。
山添くんが発作をおこし社長が外に連れ出す時「すみません」と北斗さんが台本にない言葉を発した。(それに対して監督は謝らなくていいんだよ!って本気で思ってた)
それくらい当事者は申し訳ない気持ちを常に持っている。
その時に人がどう受け止めてくれるかで心身への負担が本当に変わる。
その点栗田科学はみんなが温かい。
それが過剰なものではなく、まるで小学生が道端で転けて泣き出してしまった時にどうしたどうしたー?と歩み寄ってくれるくらいの自然さ。

その中で山添くんはゆっくりと殻を破り、藤沢さんは次のステップを見据える。

社長の弟さんに手を合わせているシーンで三宅監督の「山添くんは特に成長したわけでも元に戻ったわけでもなく、そういう素質を元々持ってる」という言葉から、つまり、それまで生きてきた人格人柄性格が変わってしまったわけではなく、病で一時的に見えなくなってしまってるだけと解釈した。

これは自分にとってものすごい発見で、私自身、私が病で変わってしまったと思っていたし、そんな自分が嫌いだったし、変わった私を見て離れていった人もいた。
でもそうではなくて病がそうさせてしまってるだけで、その「人」自体の中に変わっていない部分もあるんだよと肯定してもらえた気がした。
都合のいい解釈かもしれないが、私の中でこの考え方はとても重要な意味を持ち続けると思う。

それとは逆に、人は変わっていけるというテーマもあるように思う。病を患うとこの状態が永遠に思う時がある。藤沢さんのようにヨガを取り入れたり薬を試したりするけれど、頑張れば頑張るほど傷付き疲弊していく。もう抜け出せないのかもしれない。一生このままだ。
でも治ることはないかもしれないけれど、周りの人や環境によって、自分が受け入れることによって、そして自分のことは無理でも他人のことは助けられるかもしれない仲間との出会いによって、
うまく付き合っていくことはできるかもしれない。それは変わらないと嘆くよりも幾分か生産的で幸福な生き方だと思う。
藤沢さんのお母さんのこと、山添くんと彼女のこと、仕事のこと、人間関係。迷いながらもしなやかに変化していく強さを感じた。

この二つの病気だけでも人によって症状が様々であること、遺族会についても開催方法がオープンまたはクローズなところも、匿名性を大事にするところも、逆に関係性を作ることを大事にしているところもあるとコメントされていた。
北斗さんも萌音ちゃんも三宅監督も本や取材で病気について知ってくださった上で、演じたり撮って下さったことに感謝しかない。
ともすれば、病気であることにフォーカスされ過ぎてしまう可能性もある。しかしそのバランスを監督は絶妙に操っていたように思う。

▪️お互いに仲良くなろうとしてないことからの無神経さ無責任さ
▪️男女だが恋仲にならない関係性

三宅監督もおっしゃっていたこの二点。この距離感が作り手の共通認識として保たれていたことはとても重要で、ニ人の関係が恋愛でも友情でもない新しい関係性を構築し、それが観る人に違和感なく受け入れられることで広まっていったのだろうと思う。

人生は続いていく。山添くんも藤沢さんも映画の中の人だけど実際は同じような人たちが現実にたくさんいて、その人たちの人生はつらいことも悲しいことも面白いことも全部ひっくるめて、これからも続いていく。
どこまでも寄り添ってくれる…
二人の病気に関するシーンは泣くかなと思っていたが当事者すぎたのか映画中は泣かなかった。
むしろ共感でヒヤヒヤしていた。
エンドロールが流れて(これがまた格別に素敵)暖かな気持ちが最初にきて、時間が経つにつれて涙が溢れ出してくる映画はこの映画しかない。
何度でも観る。
この映画に出会わせてくれてありがとうございます。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?