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くわなの面河探訪記

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愛媛県・久万高原町にある面河地区の歴史やあれこれをまとめた記事 地域おこし協力隊のくわなが、面河の歴史、文化、現在の様子を、考察を交えながら記録していきます。 隔週木曜日に更…
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記事一覧

No.21 最も古い神社はいつ創建されたのか?

 皆さまこんにちは。ようやく紅葉が見ごろになって安堵している、面河地区・地域おこし協力隊…

くわな
12日前
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No.20 面河ふるさとまつりはいつから始まったのか?

 皆さまこんにちは。、面河地区・地域おこし協力隊のくわなです。  前回は資料紹介というこ…

くわな
1か月前
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No.19 「面河渓・石鎚山 探勝の栞」を読む

 皆さまこんにちは。イベントシーズンで意外とドタバタしている、面河地区・地域おこし協力隊…

くわな
2か月前
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No.18 面河・橋コレクション ~中組篇~

 皆さまこんにちは。台風10号が通り過ぎ、実家の栗が飛ばされず安堵している、面河地区・地…

くわな
2か月前
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No.17 なぜ電話番号1ケタで通話できたのか?

 皆さまこんにちは。ガラケーへの憧れが強すぎて、スマホ世代なのに最初の携帯がガラケーだっ…

くわな
3か月前
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No.16 “カラス”とは何を表すか? ―夏休み昆虫大特集―

 皆さまこんにちは。子どものころの夢はウルトラマンと虫博士だった、面河地区・地域おこし協…

くわな
3か月前
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No.15 なぜ少年の命は消えたのか?―渋草空襲の記録―

 皆さまこんにちは。面河地区・地域おこし協力隊のくわなです。  前回は、面河渓を観光地として広めた石丸富太郎先生についてまとめていきました。 (前回記事はこちら↓)  さて、皆さまは本記事投稿日の翌日に当たる7月26日が何の日かご存知でしょうか?  愛媛県史に詳しい方であれば既知のことかと思いますが、昭和20年(1945年)・今から79年前のこの日から翌日にかけては、米軍による松山市への大規模な爆撃、いわゆる松山大空襲が行われた日です。  そして、この日空襲を受けたのは

No.14 “石丸富太郎”はなぜ面河を広めたのか?

 皆さまこんにちは。飼っていたスジクワガタが臨終し、傷心中の面河地区・地域おこし協力隊の…

くわな
4か月前
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No.13 面河・橋コレクション~本組篇~

 橋、それは歴史の生き証人  橋、それは人類の英知の結晶  橋、それはロマンの中のロマン…

くわな
5か月前
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No.12 面河村村長は何代まで続いたか?

 皆さまこんにちは。梅雨時期で髪の毛がまとまらない、面河地区・地域おこし協力隊のくわなで…

くわな
5か月前
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No.11 ”だんだんおもご”とは何か?

 皆さまこんにちは。本年度のだんだんおもご総会が終わり、ようやく一息つくことができた、面…

くわな
6か月前
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No.10 なぜ面河”第一”小学校のみが生まれたのか?

 皆さまこんにちは。5月も半ば。いまだジャンパーが手放せない、面河地区・地域おこし協力隊…

くわな
6か月前
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No.9 ”大味川六人衆”とは何者か?

 皆さまこんにちは。先日打ち付けた腰の痛みが長引いている、面河地区・地域おこし協力隊のく…

くわな
6か月前
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No.8 面河の人口はなぜ10分の1になったのか?

 みなさん、こんにちは。面河地区・地域おこし協力隊のくわなです。  前回は、渋草地区が中心部として発展していった流れを、一緒に見ていきました。そこでは昭和20~30年頃に面河地区の人口がピークを迎え、さまざまな施設やお店が並んでいたお話をさせていただきました。  また以前のNo.2では、近年人口減少により無人の集落が現れるようになったことに触れておりました。 (前回の渋草地区に関するお話はこちら↓) (無人集落にもふれた面河地区の概要編はこちら↓)  今回は、そんな人口