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No.21 最も古い神社はいつ創建されたのか?
皆さまこんにちは。ようやく紅葉が見ごろになって安堵している、面河地区・地域おこし協力隊のくわなです。
前回は、面河地区の一大イベント「面河ふるさとまつり」についてご紹介させていただきました。(ちなみに4週間空けて投稿するつもりが、3週間で投稿してしまっていました笑 今回はその調整の関係もあり5週ぶりの投稿となってます。)
(そして前回記事はこちらから↓)
こちらの記事でも紹介しておりました、第42回面河ふるさとまつりも無事に開催され、今年も大勢の方にお越しいただけました。
私も太鼓、カラオケ(今年はアッ子さんでした)、面河地区の年表展示などで、微力ながらにぎやかしをさせていただきました。
特にカラオケは、地元のお姉さまたちが親衛隊として応援してくださり、改めて地域にいられることのありがたさを実感することができました。
さて、11月の面河で外せない行事は、ふるさとまつり以外にもうひとつあります。
それは、毎年11月18日に開催される地方祭!!
近年は高齢化や人口減少の影響を受け規模を縮小している地域もありますが、現在も各大字ごとに日程を変えることなく開催されています。(※1)
地区にはよりますが、神輿をかいて御旅所を周ったり(※2)、獅子舞やまございさんの舞台があったり、ダイバンさんに肩を叩かれたりと、伝統的な村の姿を見られる貴重な機会かと思います。
今回はそんなお祭りの中心となる、面河の「神社」たちがいつごろできたのかを、面河村誌などを頼りに見ていきたいと思います。
なお、村誌に掲載のない神社、秋祭りと関わりのない神社については個々の紹介を省かせていただきます。本記事の最後に一覧形式でのみ紹介いたしますのでお楽しみに!
前組八幡神社
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西浦集落から二又木集落へ向かう交差点付近にある
(令和6年11月撮影)
まず最初に紹介するのは前組八幡神社。
前組地区には、地区単体でなんと4つの神社が存在していますが、地方祭に関係するのはこちらの八幡神社となります。
創設されたのは天正18年(1590年)で、今から434年前となります。4世紀以上前に創設された……と聞くと、とてつもなく昔のことのように感じますが、なんと今回紹介する神社の中では最も若い神社になります。
現在の社殿がそのころから残っているわけではありませんが、改めて歴史の深さが桁違いだと感じさせられますね。
若山正八幡神社
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県道12号を進み、成集落に差し掛かるあたりにある
(令和6年11月撮影)
続いて紹介するのは若山正八幡神社。現在面河地区に残る正八幡神社としては唯一のものとなります。
こちらの神社が創建されたのは天授2年(1376年)。現在からは648年前、先ほどの前組八幡神社創設からでも214年前となります。
面河渓や石鎚山に向かう途中の道路わきにあるため、比較的見つけやすい神社かと思いますので、ぜひ面河にお越しの際は立ち寄ってみてくださいね。
本組八幡神社
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久万方面から国道494号を進み、面河橋を渡って少しすると右手に現れる
(令和6年11月撮影)
続いては我が地元より、本組八幡神社です。地方祭では現在も神輿が出ている他、2曲ほど獅子舞も披露されています。(そのうち1曲はくわなも練習中です)
そんな本組八幡神社は延久3年(1071年)の創建。若山正八幡神社創建の375年前、現在より953年前となります。
この時代の、面河の暮らしに関する記録はほとんど残っていない中で、石鎚山に挑んだ僧や将軍の名前、そして神社の創建年だけははっきり残っており、それぞれの地域における重要度を感じさせられます。
(どちらも信仰に関わることが共通していますが、だからこそ記録の優先度が高かったのかもしれませんね。)
中組三社神社
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県道12号沿いを進み、昼野集落から中村集落に入ったあたりで右手に門が現れる
そこから少し入ったところに社殿が建っている
(令和6年11月撮影)
続いては、中組三社神社。面河唯一の三社神社ではありますが、他地区と同じように11月18日に地方祭が行われています。(最もどこかの時期でこの日に統一された可能性は考えられます。そのあたりに関する記録をご存じの方がおられましたら、ぜひ教えていただけたらと思います。)
創建されたのは延暦23年(804年)。本組八幡神社創建からさらに267年前、現在から1220年前となります。いよいよ時間の単位の大きさについていけなくなってきましたが、皆さまは大丈夫でしょうか?
ちなみにお祭りの際には、現在もトラックを用いながら神輿を出しているようです。かき手が少なくなったことで制限はあるようですが、それでも現在まで祭りが続いており、地域住民の底力を感じます。
渋草八幡神社
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面河郵便局付近から県道341へ少し進んだところにある長階段を上ると鳥居・社殿が建っている
(令和6年11月撮影)
続いては渋草八幡神社。こちらの社殿は以前紹介した通り、太平洋戦争中に受けた空襲によって1度焼失しており、昭和40年に再建されています。
(渋草空襲についてはこちらから↓)
そんな歴史も抱えている渋草八幡神社は神亀5年(728年)の創建。中組三社神社創建より76年前、現在から1296年前となります。三社神社もそうですが、12世紀以上も引き継がれてきたということに驚きが隠せません。
渋草地区ではお祭りの際に獅子舞が復活する予定だそうです。子どもたちによるまございさんも健在で、当日の賑わいを想像すると胸が躍りますね。
笠方八社神社
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国道494号を東温市方面に向かって進んでいると、市口集落に差し掛かったあたりで、右手に現れる階段を上ると社殿が建っている
(令和6年11月撮影)
最後に紹介するのはこちら。笠方八社神社です。かつての社殿跡は面河ダムの底にあり、数年前まではダムの水が引くたびに鳥居が現れていたそうです。
現在の社殿はその後に移設されたもので、昭和38年(1963年)12月に建てられたのだとか。(※3)
そんな笠方八社神社の創建年は和銅6年(713年)。冒頭で触れた11月の地方祭に関わる神社のうち、面河村誌に記録があるという条件のもとでは、最も古い神社となります。
現在より1311年前、13世紀も前から場所を変えつつも引き継がれてきたというのは、驚きを超えた壮大な何かを感じさせられますね。
まとめ
今回ご紹介した神社で最も古いものは笠方八社神社で、1311年前の創建ということでした。13世紀前に神社が存在していたということは、それすなわちこの時代には面河地区に村人が住み、生活をしていたということを意味します。
その時代の記録が多く残っているわけではありませんが、すでに神社が存在していたという事実からは、面河地区の歴史の深さを改めて思い知らされます。
これまでの記事でも様々な歴史に触れてきましたが、その多くは明治時代以降のもの。
それらの前にも、悠久ともいえるような時の歴史が積み重なっていることに思いを馳せながら、これからも歴史探訪に身をどっぷり漬けていきたいなと思います。
最後に、面河地区内にある神社(あくまでくわなが把握しているもの)の一覧を張り付けた上で、今回のお話を終えたいと思います。
ここまで読んでいただき、本当にありがとうございました。
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【注釈一覧】
(※1)久万高原町内でも、人が集まりやすいようにと日付で決まっていたお祭りの日を曜日で固定している地域がある。(例えば美川地区では、以前は11月7日開催だったのが、現在は第一土曜日の開催に変更されているらしい)
そのような時世の中だが、面河地区では11月18日の開催にこだわっている。
(※2)「○○をかく」「○○をかいて」は、四国の方言で”担ぐ””運ぶ”といった意味を持つ動詞。神輿の他には机や冷蔵庫など大きなものを運ぶ際に用いられることが多い。なお、神輿については古語の名残が残っている地域もあるとのこと。
(※3)面河ダムの完成は昭和38年の11月。その翌月の12月には神社の移設が完了しており、改めて地域における神社の優先度の高さがうかがえる。
【参考文献】
・面河村誌(1980年・面河村)
・おもご ふるさとの文化財(改訂版・1996年・面河村教育委員会)
・閉村記念誌 刻を超えて(2004年・面河村)
※今回の記事は、あくまで歴史的建造物としての神社を追いかけたものであり、特定の信仰等を支持するものではありません。