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“その時”は小宇宙で待ち合わせを(防弾少年団)




6月は大切な人達の大事な日が2つある。




日々過ごしていく中で楽しく幸せな毎日ばかりではないからこそ、寂しさや悲しさを思い出し噛み締める日がほんの少しあっても良いのでは。


決して明るい話ではないですが、私の大切な人とそこから出会った防弾少年団に救われたお話を。
※少し長いのでお時間がある時に








「だから雨が苦手だ」



私がまだ幼く物心つく前に両親が離婚をし私を育てる為に母はずっと働きに出ていた。だからそんな母に代わって私の隣にいつも寄り添ってくれていたのは祖母だった。 



保育園のお迎えで周りの友達はお母さんやお父さんが迎えにきている中、私のお迎えはいつだって祖母だった。どこかでやっぱり両親と手を繋ぎながら帰っていく友達の後ろ姿が羨ましくそれは私にとっては夢のような光景で、だからたまに母が迎えに来てくれた時はみんなに自慢したくてしょうがなかったし、そんな日の帰り道は決まって“毎日お母さんがきてくれたら良いのに...”と口をつんっと尖らせべそをかいていた。
今思うとなんてバチ当たりな...と思うのだけど。



祖母はあまり身体が丈夫なほうでなく私が20歳を迎えるまでに大きな手術を2回受けた。
けれど手術が終わった後、痩せ細った身体とは裏腹に元気に帰ってくるのが祖母だった。
だから私が30歳を迎える前、祖母が毎年受けている検診で良くない結果だった時も“また頑張れば良い”と笑う祖母を見て私も“そうだね”と答えた。
けれど思った以上にそれは祖母の身体を覆い尽くしていて手術を受ける選択肢は選べなかった。




冬の足音がすぐ近くに聞こえ始めサンタクロースがこの1年良い子に過ごしていた世界中の子ども達に幸せを運ぶ...そんな季節に祖母は入院をした。



医師からは「もって3ヶ月」と告げられてから負けず嫌いの祖母は3ヶ月を乗り越え、そこから2回病院を転院し2つの季節を病院で過ごしたままいつの間にか半年が過ぎ6月を迎えようとしていた。



そんな6月のある日
いつものように仕事帰りに病院に寄り病室でコンビニで買ってきた弁当を食べながらいつも通り祖母と他愛もない話をしていた。
面会時間が20時までだった為いつもならぎりぎりまで過ごすのだけど、その日は天気予報が外れたのか晴れだったはずの空がだんだんとうす暗く唸り始めそんな空を見て祖母がぽつりと言った。


「雨が降りそうだね。傘持ってないんでしょ?
今日は早く帰りんちゃい。」


確かに病室の窓から覗いた空は今にも雨が降ってしまいそうなぐらいうす暗く不気味だった。


「また明日くるね。」


私は雨が降る前に帰らなくては...と祖母の方を振り返らず足早に家へと急いだ。どうやらこの日はお天道様の機嫌が悪かったのかそれともいじわるしたい気分だったのか私が病院を出た数分後、土砂降りの雨が容赦なく叩きつけてきた。



思わず笑ってしまう程の完璧なタイミングと大雨になすすべもなく体も気持ちも何もかもがまさにびしょびしょだった“あぁ、絶望とはこんな形か”
そんな事を思いながら急いでお風呂に入り、そのまま倒れ込むように布団に入り深い眠りにつく。





明け方、病院に泊まっていた母から祖母の容態が急変したと連絡があった。


急いで病院に向かうと病室のベッドには数時間前とは別人の祖母の姿。目を閉じ、喋りかけても反応が無くただ静かに寝ているだけのように見えた。けれど、大人になると不思議と経験したことのないことでも何となく察してしまう。だから私も察した。



祖母は背の高い私がつま先立ちで手を伸ばしても届かない場所に1人駆け足で行き、見上げる空のどこかで輝く1つのお星さまになった。
不思議とこの日は涙が出なかった。
出なかったと言うよりは私よりも身を削って付き添っていた母があまりにも着丈に振る舞っている姿を見ると私が泣いてはいけない気がしたから。



この日も雨が降っていた。
だから私は雨が苦手だ。







「赤髪の彼」



それからの私はまさに抜け殻だった。
何に対してもやる気が起きず、あんなに大好きな推し達の曲を聞いても胸が高鳴ることはないし、コジコジの毒舌ぶりを見てもクスッとできない、気の合う友人と会う事にすら気が進まなかった。まるで幽体離脱でもして自分自身を斜め上から見下ろしているような、自分なのに自分じゃない何とも不思議な感覚でそんな期間が1年程続いた。
それがはたして長かったのか短かったのかも分からないけれど私だけがあの日に立ち止まったまま時間だけが進み続けていた。



特にこれといって誰かに自慢できるほどの趣味や特技があるわけでもなく、それに加えて容姿に大した魅力や特徴も無い。他人と比べてもしょうがないと頭では分かっていながらも他人と比べてしまう程に自分に自信がない部分のほうが多い。
だけどそれなりの幸せの中で過ごしてきたはずだった。そんなそれなりの幸せにあった大切な人が遠くに行ってしまった時、私は初めて息が出来ない程に深く真っ暗な海の底に沈んでいた。




そんなある日、友人が送ってくれた1枚の写真がきっかけで防弾少年団の彼等に出会う。


正直に言うとこの時の私は少しでも気を紛らわせるものなら何だって良かった。だから友人がこの時もし彼等ではない別の誰かや別の何かをおすすめしてくれていたら私は彼等と出会えてなく、同じ時代で違った人生を歩んでいたかもしれない。



そんな中、ある一曲に辿り着いた。


봄날/Spring Dayとゆうこちらの楽曲。
私が興味を持ったテヒョンさんから始まるこのMVは春の日とゆうタイトルとは裏腹に冷たい空気が鼻をつんっと刺激するような雪の積もった駅舎のシーンから始まる。かと思えば日差しが水面をきらめかせる晴れやかな景色の中にどこか寂しさを感じる海辺のシーンがあったり、日常のシーンと非日常のシーンが多数織り交ぜられていて夢と現実の狭間のような何とも不思議な空間に連れて行ってくれる。
たくさんの解釈の仕方ができるMVで見る人によって感じ方は違うだろう。韓国語はもちろん分からないから初めてこの曲を聞いた時どんな歌詞を歌っているのかは分からなかったけど、気づいた時には涙がぽろぽろでていた。
それだけでこの時の私には十分だった。なんで涙が出たのかは分からないけど、悲しい気持ちになって涙が出たというよりはほんの少し光が見えたような安堵の涙のほうが近かったのかも。


あとから歌詞の意味を知ることになるのだが、보고 싶다(会いたい)の歌詞の部分が韓国語が分からないはずの私にもこうゆう意味なのでは?と思いながら聞いていたから不思議だ。



彼等を好きになるのに、夢中になるのに時間はかからなかった。この曲をきっかけに私の日常に彼等の音楽が加わることで私の目に見える景色が違って見えた。違って見えたというよりは見えていた景色の中に隠れていた景色に気づけるようになった。という方が正しい表現かもしれない。


元々すごく心配性な性格のせいか、車を買った時は交通安全の御守りを買いに有名な神社までわざわざ買いに行ったし、毎年初詣に行けば何かしらの御守りを買っては通勤カバンに入れて持ち歩いている。そんなカタチのある御守りをもっていた私がいつの間にかカタチのない、だけれどもとても安心できる御守りのような存在に出会った。
息が出来ない程に深く真っ暗な海の底に沈んでいたと思っていたけど、それは私が息をしていなかっただけで目を瞑っていただけ。息を吸うと空気が体に入る感覚も、目を開いたそこが本当は明るく手を差し伸べてくれる人がいることにも気づけてないのは私だった。





「幸せの青い鳥」




推しを知るには情報収集が大事になってくる。
元々別の推し用に使っていたアカウントがあって最近はあつ森の取引用として使っていたTwitterのアカウントを防弾少年団用として使うことに。
(だから私があつ森関連でやり取りしていた方が何かの拍子にTwitterを見たらいきなり変わってるから乗っ取られたかと思うレベルだと思う。笑)



最初の頃は大手アカウント等を中心に色んな方のツイートを見ながらメンバー達のエピソードや好きな場面の感想を見て“あぁ〜、分かる分かる”と一方的に画面のこちら側で共感しながら1人でにやにやして過ごしていたのだけれど、丁度Dynamiteでタイムラインが以前に増して賑やかになったその場所が楽しそうな会話で埋め尽くされていた頃、ふと私も誰かと彼等の話を一緒に話してみたいなと思うようになる。



そんな事を思っていたある日、あるツイートがきっかけで1人の方が私に話しかけてくれた。
それだけでもその時の私にとっては十分に嬉しかったのだけれど幸運な事にその方とすぐに仲良くなり、たくさん彼等の話をするようになった。



画面のこちら側で1人で過ごしていた私にとって画面の向こう側の世界は想像していたよりもすごく楽しく、とても居心地が良かった。
ひとりっ子だからか1人の時間の使い方には慣れているし、むしろ1人で過ごす時間も好きで全然苦に感じない。1人でも平気だと顔に大きく書いて歩いていたそんな私が彼等をきっかけに新しい世界に出会えた。




幼い頃から絵本や本を読むのが好きだったので、noteで防弾少年団のことを書いてる方を見つけては寝る前に読み漁っていた。



そんな中、あるnoteに出会ってその方の書く文章にふと手がとまる。私が大好きになった彼等の知らない魅力や新しい好きなところがそこにはたくさん書かれていた。どんどん好きが増えていく私にすっと手を差し伸べてくれ、その大好きが詰まった文章の中に一緒に連れて行ってくれるそんな感じだった。
次の一歩は私から...!と鼻息荒めに意気込みリプと言うものを送ってみた。(←今思うと何ではよ送らんかったんかと思うレベルなんだけど)
けれど、その踏み出した一歩でその方とも仲良くなれて彼等の話をたくさんするようになった。



そんな素敵な方達に出会うとこれがまた不思議なもので、ぱたぱたと幸せの青い鳥がどんどん私に新しい素敵な出会いを運んでくれた。
日々、目まぐるしく飛び交う彼等の情報を共有したりそれに感想を言い合ったりするのが楽しいのはもちろん、それとはまた別に私の知らない世界をたくさん知れるのが何よりも楽しい。
彼等とはまた別の音楽の世界だったり、読んだことのないジャンルの本や漫画の話題、ファッションやコスメに楽しそうな趣味の話、美味しそうな料理に綺麗な花や可愛いペットの写真、御家族のほのぼの話であったりその世界は様々だ。
(この場を借りて、いつも彼等の話や日常の話等お喋りしてくれる皆様ありがとうございます。
これからもどうぞ宜しくお願いします^♡^コジ)




幸せの青い鳥は案外近くをぱたぱたしてた。








「待ち合わせを」



だけどこんなにも飽きる事なく毎日のように7人に胸をときめかせ、時に救われ、日々パワーをもらって過ごしている私でさえまだ見ぬ先の未来では彼等のすぐそばにはいないかもしれない。





けどそれは彼等を好きでなくなったとか興味が無くなったとかそんな単純なものではなく、彼等がそばにいなくても自分の足で迷わず進めるようになった時で自分自身を知りたくさん愛せるようになれた時。ナムさんの言葉を借りると私は自分でも気づかないうちにいつの間にか自分自身を愛せるよう彼等を利用していたのかもしれない。



少しの偶然で彼等に出会って、その中でも特にテヒョンさんに惹かれたのは2018年のMAMAで突然ぷつんっと張り詰めていた糸が切れてしまったかのように泣きじゃくる姿がまるであの日の自分のようだったから。もちろんこんな事を言うのはお門違いとは分かっているけど、あんなに大きなステージに立つスターであるはずの彼があの一瞬だけは1人の普通の男の子に見えた。泣いた理由は分からなくていいし、彼だけが彼等だけが知っていれば良いのだけれどきっと嬉し涙ではなかったあの日の涙が二度と流れなければ良いと願った。


今年のFESTAで更新されたARMYを8文字で現すプロフィールを見た時に“とても仲の良い親友”と書いてあるのを見て、テヒョンさんが言い続けていたARMYとの関係性が彼の中で今も変わっていないことがすごく嬉しかった。テヒョンさんにとって友達は幼い時に少しの悲しい思い出があって、だからこそ友達になれた事、友達と呼んでくれる事がどんな例えよりも嬉しくて堪らなくなる。


テヒョンさんのきらきら輝く宝石のような目はいつだって真っ直ぐにこちらを見つめていて、今までに私達が知りえないようなどんなツライ事も目を背けたくなるような光景も数えきれないほどに見てきたはずなのに、いつだって私達に向けてくれるその目があまりにも優しいから、テヒョンさんの目に見えている優しい世界を色々な形で教えてくれる度、私も少しずつではあるけれどその優しい世界が見えるようになったよ。
相変わらず雨は苦手だけど、雨が降る度テヒョンさんが“傘をささずに雨に打たれたら気持ち良かった”と話していた事を思い出せるからほんの少し傘から覗く雨を見るのが好きになれたかも。


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子どもの頃あんな簡単に使えてた“ずっと”の魔法の言葉は大人になるとそれが“永遠”に変わった。
だけど大人は“永遠”の言葉を子どもの頃のように魔法の言葉として使う方法を知らない。知らないというよりそれが本当に存在するものなのか大人になったこの目で見たことやこの耳で聞いたことも、ましてや体験したことすらないからその言葉を使うのが怖い。少なくとも私は怖い。
“永遠”は分からないけどそれでも私はこれから先も彼等を尊敬してやまないし出会えたことに感謝をし、両手で抱えきれない溢れんばかりの幸せを願いながら7人の少年達に「愛してる」ってこの広い世界のどこか片隅で言い続けるだろう。




むかしむかし見上げる空がまだ黒の海だった頃。突然、海にきらりと輝く7つの惑星が現れた。
その7つの惑星には7人の少年が住んでいて、ある日7人の少年はこの黒い海に小さく光る1つの星を見つける。7人で相談をしてその小さく光る星に“ARMY”とゆう名前を付けた。
初めこそ小さく光っていたその星は、1つ、また1つと数が増えてゆきその度に輝きを増した。
気が付くと7つの惑星の周りには幾千の星がきらめき、黒い海はもうそこになくあるのはどこまでも続く星空のカーテンだった。7人の少年が悲しむとその悲しさがひとりぼっちで海に逃げないよう、星空のカーテンでその姿を隠した。
また、星の光りが暗闇に紛れてしまいそうになった時には7人の少年達が空のステージでコンサートを開いて幸せをくれた。
そうしていつも一緒に、どこまでも続く広い空の上いつまでもいつまでも幸せに暮らしたそうな。




大きな壁にぶち当たる時、リーダーとしていつも先頭にいる“きみ”にもしまた逃げ出したくなる様な時がきても「よくやってるよ」と声をかけ大きな背中に揺れる肩をとんとんと叩いてくれる誰かがそばにいる事にきみが気づきますように。


誰よりも人一倍努力を惜しまない長男の“きみ”が目を閉じて想像してきた未来の姿が今、私達の目の前にある姿であれば嬉しい。今いいことをたくさんして来世も幸せになりたいと願ったきみの今世が想像以上の愛に溢れ幸せでありますように。


いつも皆んなが躊躇してしまうような大きな夢を迷わず願い口にしてきた“きみ”楽しむことが難しいと言っていたそんなきみが辛さや苦しみの中で楽しむことを見つける方が簡単だったよといつもの甘い笑顔で笑いながら言ってくれますように。


何も持っていなかったと話す“きみ”名前の通り皆を照らす太陽で希望を振りまく姿にメンバーも私達もいつも力をもらっているけど、晴れの日ばかりではないからこそ雨の日に差し出された傘にきみが安心してそこに隠れる事ができますように。


人はいつもすべてのことで幸せを感じる事は簡単でないと言った“きみ”誰よりも周りを見渡し、誰かの悲しさを幸せに変えているきみこそが一番幸せでなくてはならない。だからどうか多くの幸せがきみに降り注ぎ優しく包み込みますように。


もらった愛が大きすぎて全てを恩返しする事はできないと言った“きみ”そんなきみの優しい世界が教えてくれた愛が世界中に届いてるのは知ってるよね?だから君がこんなにも愛されている事に気づいた時、流す涙が嬉し涙でありますように。


黄金マンネと呼ばれる“きみ”が自分自身を幸せにする自信が無いと不安がっていた事があったね。いつかの流れ星に「必ず幸せに生きて欲しい」と自分自身に願ったきみが、どんな1日でも最後には今日も幸せだったと微笑み眠れてますように。







“その時”まではあと少し、いくつかの夜を越えればいい。“わたしたち”きっとまた会えるよ。
だって7つの惑星と幾千の星達はどこまでも続く同じ空にいるから。






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“その時”は小宇宙で待ち合わせを










※最後に
6月13日デビュー8周年おめでとうございます。
1ヶ月前からちまちまと書いてみたものの、拙い文章で読みづらい部分もあったかと思いますが最後まで読んでくださりありがとうございました。ARMYの皆さんの数だけ彼等との出会いや思い出がたくさんあって、それを影ながらそっと拝見させて頂く度に幸せをお裾分けして頂いてるようなそんな感覚になります。
これからも1つでも多く、1日でも長く世界中のARMYと彼等との思い出が増えますよう。
それまではどうかぐっすり眠れていますように。


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