読書感想:両京十五日〜これぞまさしくガチ中華の冒険活劇!
先月に1巻、そして今月の21日に2巻が出た「両京十五日」。
これがとんでもなく面白かったです。まだ3月ですが、今年ベストワン最有力候補と言っても良いでしょう。
当たり前のように出てくる歴史的な故事や警句の引用や、本編の時期に至る明初の歴史と政治体制、南京と北京を繋ぐ大運河の地理、白蓮教団も含めた多種多様な民衆社会の暮らしぶり、料理やスラング(皇太子殿下だってバリバリに使ってます)、科学知識の存在、そして習俗とその認識のされ方。
こういった諸要素の描き方を読んでいて「これが本場の味わいかー」とガチ中華の店で料理を頼んだときのような感想をずっと抱いていました。
馬伯庸といえば、三国機密や長安二十四時の原作者でもありますし、一度この人の長編小説を読んでみたいとは思ってました。
それが、まさか、このレベルで面白いとは思わなかったです。
特に完結編となる2巻は、金曜の22日に本屋から引き取って、それからはご飯の支度と風呂とD&Dのオンセと睡眠以外のほぼ全ての時間を読むことに費やしてました。
まさに「巻を措く能わず」という言葉そのもの。
思えば、先週読んでた火輪の翼もそうでした。
というわけで、今日はその両京十五日の感想を、硬軟取り混ぜてまとめてみます。
激走! 南京~北京15days!
南京に派遣された皇太子朱瞻基とその一行は簒奪の陰謀を挫くために、北京に戻らなければならない。その猶予時間、実に15日!
この状況設定に触れててんぐの頭に浮かんだのが、水曜どうでしょうでした。いや、普通にありましたからねえ、この手の無茶な企画。
というか、往時のどうでしょう軍団なら、直線移動なんて言わずにサイコロの旅とかやりそうです。
で、北京に帰るんだって言ってるのになぜか西安だの成都だのに飛んで、なんとか開封あたりまで来たかなと思ったら、今度は海を越えて朝鮮に渡って有料高速深夜バスの洗礼を浴びたりしそう。
そうなったら追手も困るでしょうねえ、進路予測が不可能すぎて待ち伏せとかできないです。そんなの劉基だって無理ですよ。その代わり、間違いなくタイムリミットはオーバーするでしょうが。
移動ルートが直線で、川がテーマとなってるとなると、企画の方向性としてはユーコン160キロの方が近いのかな。
でもまあ、あのキャラがラストに、熊谷さんみたいに「楽しい旅でしたねえ」とか言ったと想像したら、恐怖に震えあがりますね。
蘇る大明皇妃の記憶
実は、少し前までのてんぐはあまり明代という時代はろくな皇帝はいないし、忠臣や名将は大量生産されては大量消費されてくし、国号に反して暗く腐敗した時代と認識してたから大して好きじゃなかったんですね。
その認識をガラっと変えてくれたドラマが大明皇妃でした。
あれを見てから、靖難の変以後の明代という時代と、その中で生きてきた人々のイメージが明瞭になりました。
なので、このドラマの中盤戦とほぼ同じ時代を舞台にしていた両京十五日も、すんなりと入り込めましたし、朱瞻基たち実在人物組の多くもあのキャスティングでイメージしてました。于謙については、霊幻道士の時のラム・チェンインを連想してましたが。
その于謙も、こちらでも喧嘩上等スタイルのオーベルシュタインと言いますか、ドライアイスの青龍偃月刀でした。
でなきゃ、コレかな。
この小説を読んでても、「こりゃ瞻基の倅が土木でやらかしたらさっさと廃立して後継皇帝を擁立するよ、皇家の気持ちより北京の民の安寧が最優先って人だし」って思いました。
大明皇妃を見て、そのすぐ後に成化十四年を見て、両者の間の時期を舞台にしていた残酷ドラゴンこと元祖龍門客桟も見て、皇宮の住人ではなく市井の民衆こそが主役となり始めた明代エネルギッシュさと面白さに気が付いた頃に、その大明皇妃の中盤戦に直結する小説を読む。これは縁でしょうねえ。
大明皇妃といえば、てんぐが好きな中国俳優のひとりユー・ハオミンも漢王役で出演してました。
両京十五日もドラマ化が決まってるそうですが、もし大明皇妃出演陣から起用するなら、この人も連れてきてほしいなあ。
ご本人も「今度は殺し屋役をやりたい」と言ってますし、白蓮教団のサイコキラー“病仏敵”梁興甫役なんて面白そうです。
明初ワールドガイドとしての両京十五日、あるいは馬伯庸という人のTRPG適性
TRPGにおいては、地域の暮らしや自然環境や地理などの要素をまとめた書籍をワールドガイドと呼称することもあります。
もし明初を舞台にしてTRPGの自作シナリオを作ろうと考える人がいたら、両京十五日は最良のワールドガイドとして機能するでしょう。できれば、挿絵や地図があると、なおよかったんですけどね。
そして、癇癪持ちの皇太子の朱瞻基、冷や飯食いの若手文官の于謙、南京で“ひごさお”呼ばわりされてるボンクラ捕吏の呉定縁、何か心に仮面をつけてる敏腕ドクターの蘇荊渓という、「全然共通性はないのは明白だけど、今この場でパーティ組めるだけの信用を相互に持てるのはこの面子しかいないんだ!」「すでにお前ら全員の命は一蓮托生になってるからな、少なくともこの旅が終わるまでは!」という有無を言わさぬパーティ編成への剛腕と説得力は、「これはTRPGの参考になるな」って大いに関心しました。
前にD&Dシナリオ集「レイディアント・シタデル」収録の「王朝の遺産」を遊んだ時にも思いましたが、舞台となった星王朝での別のセッションをやるなら、この作品のシナリオを翻案できそうです。
なお、星王朝も明清代をモデルにした制度を敷いてるんですよね。
あれやこれやを考えていると思うんですが、馬伯庸って人はTRPG経験が何かあるんじゃないでしょうか。
もしなかったとしてもTRPG適性は高そうですし、何かシステムを教えてシナリオ組ませてGMとして卓を立てさせたら面白いセッションができそうです。
そしてもし馬伯庸GMの卓に立ったら、記憶に留めておきたいことがひとつあります。
それは、「全く特別な存在に見えないNPCが出てきたら、それは最重要人物だと思え」です。
三国機密の曹操も初登場時は決して特別な人物とは思えませんでしたし、長安二十四時の時報おじさんも「いい声を出す生きた時計」くらいに認識してました。でも、こういう人物こそが最も重大な役割を果たしてるんですよ。
両京十五日だと、白蓮教徒の掌教(教祖)がそんな人物でしたし、そう自覚しているからこその凄みがありました。
そしてもう一人、ほとんど完璧なまでに「記号的なまでにごく定番なキャラ」の仮面を被り続けていたキャラもいました。
馬伯庸のこのスタイル、GMをやるなら是非とも実践してみたいですね。
誠実なる創作者だからできた、最後の謎解きパート
両京十五日は大変に面白い冒険活劇であり、教科書や史料集や専門書の記述だけを眺めてるだけでは読み解けない生々しい多面性にあふれた歴史小説でもあります。
でもこれ、外国の冒険小説を多く翻訳してるハヤカワ文庫ではなく、ポケミスことハヤカワミステリなんですよね。
つまり、この話には大きなミステリが埋伏してるはず。
そして、“あるキャラ”に対して、てんぐはそれを抱えてるんじゃないかとずっと睨んでいました。
癇癪を破裂させた後に自分が傷つけた臣下に対して申し訳なさを感じる繊細な皇太子と、その皇太子に面と向かって「大根」と呼ぶならず者同然の捕吏、決して記号的なカルト教団ではなかった白蓮教徒、動機はただ粗暴さと貪欲さではなく自らが生き残ることだった簒奪計画の黒幕。
定型なんて概念に「お前の知ったことか!」と言い放つような面々揃いの物語の中にあって、そのキャラだけはあまりにも定型的でした。
でも、完全に定型であるなら、絶対に出てこないようなセリフを、そのキャラはポロリと零してもいます。
それを読んでから、「コイツ、腹の底には何があるんだ?」とずっと疑いの眼差しを向けていました。
そして最終盤、冒険の旅は終わり簒奪計画も打ち破った瞻基こと宣徳帝が、明代皇室のある野蛮極まりない習慣の事後承諾を求められた瞬間に、てんぐの精神にザラッとした感触が走りました。「これか、これこそが動機だったのか?」と。おそらく瞻基も同様の気分を感じたのではないでしょうか。
そこから始まったミステリの真相、そして犯人の自白ではなく糾弾を前に頭を垂れるしかなくなった瞻基に、てんぐは最も強く感情移入していました。てんぐもまた、あのキャラに糾弾される側の人間だという自覚があったから。
そして、その糾弾が自分たちよりも正義に叶うと承知しても、糾弾の叫びの奥から響く自分の全世界を失った悲しさを思いやって涙を流したとしても、それでもあの場にいれば、その正義の実行を認めることはできない側にいると自覚するから。
後書きで馬伯庸は、「この小説を単純な冒険小説と書くこともできた、でもあの習慣の存在を知ったからには無視できなかった」と告白しています。
「自分を騙せても、ここを騙せねえ――どうやって自分を騙してすべてを忘れられる?」
冒険の成果としての栄耀栄華に満ちた未来図を前にして、痛む頭から響く魂の訴えに駆られた呉定縁の叫びは、そのまま馬伯庸の葛藤だったのかもしれません。
作者にとっても読者にとってもストレスフルなものは透明化して存在しないことにする。それが作品を作るテクニックであり作法でもある。そんな風潮を強く感じる昨今にあって、あえて茨の道を歩んだ馬伯庸の創作者としての誠実さには心からの敬意を抱きました。
そして、その誠実さがあればこそ、充分に優れた冒険活劇に、歴史の影に葬られた者たちの代弁としてのミステリとしての属性を付与させたのです。
人としての誠実さこそが、創作者としての最大の力を与える。
それはてんぐにとって、大きな希望であり福音でした。
他の馬伯庸作品あれこれ
さて馬伯庸といえば、既に短編小説も何作か邦訳されています。
特に記憶に残ったのが、SFアンソロジー「金色昔日」に収録された「始皇帝の休日」です。
そもそもが、野球で言ったら「ピッチャーがタイムかけたからアンパイアが何かと聞いたら、『これからエメリーボールやるから』と堂々と言ってベンチからグラインダー持ってこさせて、それをアンパイアもバッターも至極当然のことと受け入れている」ってくらい狂気のレベルでギャグな世界観の本作。
若き張良による始皇帝暗殺未遂事件もあるんですが、その言い逃れの仕方は「一度怒られてこい」ってレベルでひでぇんですよ。
マジでいっぺん読んでみてください。
そして、馬伯庸作品としてしばしば話題になる「ジャンヌ・ダルクを主人公にした武侠小説」なる、胡乱界隈の与太ツィートめいた作品も大変興味あります。胡乱作品だとは思いますが、一方でとんでもなく大真面目な小説だった、ということも馬伯庸だったらあり得ますし。そして、どちらだとしてもきっと面白いはず。
もちろん、三国機密や長安十二時辰(長安二十四時の原題)などの長編作品ももっと読みたいです。
さらにいえば、馬伯庸以外にも以前何作か邦訳版が出てるきりの台湾武侠の古龍作品、上記の成化十四年や琅琊榜シリーズなどの日本でも大人気になったドラマの原作のようなガチ中華エンタメの邦訳版ももっと出てほしいです。
ハヤカワさん、期待してますよー。