読書感想文:銀河之心Ⅰ〜中国文化圏とスペースオペラの相性の良さ
ドラクエ3で可処分時間を削られる日常のせいで買ってからひと月もかかりましたが、銀河之心Ⅰ上下巻読了しました。
前にちょっと言及しましたが、中華SFって時間に関する発想のスケールが凄いですね。
だって、今回のサブタイトルになってる主人公たちの母星である天垂星も文明勃興から数万年は経ってるんですよ。となると、かつて人類が地球でのみ暮らしていた時代から何百万年経ってても不思議はありません。
だもんだから、それぞれの惑星や宇宙の環境に適応して、地球人類とは別個の存在に変容しちゃった種族が暮らす銀河に、まったく異質の文明が異次元から侵入してくるっていう展開は、ガンダムや銀英伝より宇宙戦艦ヤマトやスタートレックの方が近いのかな。まあ、ヤマトはもちろん、スタートレックも地球の存在は作中でも重視されていましたが。
さて、こういうスペースオペラの舞台は、言うまでもなく宇宙です。では、宇宙なる舞台はどんな世界観に立脚してるのか。
それは、人間の考える善悪や道理などを絶対零度の冷たさで無視するほどに超越した節理と言えます。
どれだけ高潔で有為な名将とそれに従う精鋭たちが決死の覚悟で異世界の侵略に立ち向かおうとも、滅びるときはあっという間に滅んでしまう、そんな無情さが当たり前に広がっているのが宇宙です。
そして、そんな無情な世界観を、中国文化圏においては「天」という言葉で表していました。「天道、是か非か」の「天」ですね。
こういう言葉を古来から持っている中国文化圏って、スペースオペラのようなスケールの大きいSFとは相性が良いのではないでしょうか。あの邯鄲の夢とか胡蝶之夢といった古典ファンタジーにしても、一種のSFと見ることもできるわけです。
そんな歴史的な積み重ねがある中華SF、今後もドシドシ邦訳してほしいですね。
追記:アニメ版銀河之心
銀河之心って、既にアニメ化されてたのかー。
そのうちWOWOWで放送するかNetflixなどで配信されたりしそうです。
そうなったら、ぜひ見たいなあ。