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人に優しくするために、自分にも優しくありたい

先日、ちょっとした用事を友人とこなして、そのあとはカフェへ。
久しぶりに楽しいおしゃべりのひと時を過ごした。
…って、そんな時に隣の席にベビーカーに可愛らしい赤ちゃんを乗せた、若いお母さんが席についた。
子育ての時間のちょっとした息抜きに訪れたんでしょう。お母さんはケーキとコーヒーのひと時を少しの間過ごして、そしてまた、ベビーカーを押して去っていった。
なんとはない日常のすれ違いだ。
でも、その瞬間、私はそのお母さんに、「羨ましい」との思いを抱いた。
その若い彼女の赤ちゃんはおそらく6ヶ月くらいの子だと思う。ベビーカーの中で、もふもふに包まれたその子はご機嫌な様子でニコニコとしていた。そのわきでひとときの休息を楽しむママ。
私はちょっと嫉妬も入った「羨ましい」気持ちと、幸せな光景に心地よさを覚えるという気持ちを相反する心を抱いたのだ。
ん?なんでだ?

比較する自分

いちお、私も子育てをしていたことがある。6ヶ月くらいの時は慣れない育児にしんどい思いをしていた。私の子どもは思えば、よくいえば「ママ大好き」だったのだと思う。視界から私の姿が見えなくなると大泣きした。だから、片時も手を離すことはできなかった。ベビーカーに乗せれば、子の視野から私はいなくなる。そりゃ、後ろで押していますけど。そうなると大泣きする。だから、ベビーカーは一切使えなかった。(抱っこ紐様様!)

だから、カフェでニコニコした赤ちゃんとコーヒーを楽しむ親子を見たときは軽く衝撃を受けた。
「この光景は、私が若かった時に憧れていた姿だ」
そんなフラッシュバックが心に入ってきたのだ。

子育て真っ最中の昔の私だったら、嫉妬混じりの羨ましさしかおそらく抱いていないだろう。
そして、子育てを終えた今だからこそ、幸せな光景と受け止められたのだろうな、と漠然と感じている。

人はその時の状況で、受け止め方がさまざまに変わっていく。
人を大切にするならば、自分も大切にしないとな、と改めて気がついたひとときだった。

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