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キリスト教って何?ノンクリスチャンの私が初めて教会に行ってみた
※こちらはクリスチャンになる前、実際に初めて教会に訪れた私が、当時の思いを忘れないよう、ブログに投稿した記事をもう一度再現させた、「復刻版」です。4年前の記事になるため、当時と教会の形にも変化があるかと思いますが、ノンクリスチャンだった私が初めて教会にいったときの気持ちを、そのまま素直に表現した大切な記事です。よければお読みいただければ嬉しいです*
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こんにちわ、家は仏教、コーヒーは断然
初めて教会に友達を連れて行った時のお話
「わたしな、クリスチャンやねん。」
クリスチャンになってから、2年が経とうとする中、自分がクリスチャンだと主張することは、正直あまりなくなっていた。
解説:ノンクリスチャンが洗礼を受けると、その瞬間からクリスチャンになります。
今わたしが住んでいるお家(シェアハウス)は、ありがたいことに「クリスチャン」と打ち明けても、そこまで大きく突っ込まれない環境にある。
みんながどんな風に考えてくれて
私たちはみんな、誰であっても、神様の子供。
クリスチャンになってからというもの、事あるごとに「クリスチャンだから」というくくりに縛られる。たまに、そういう縛りに対してあーだこーだ意見を言いたくなったり、文句を言いそうになってしまう自分がいたりするのだけれど。
クリスチャンだからこうしなければならない・クリスチャンだからこうあらねばならないという観点で、頭の中がいっぱいになってしまった時、ふと、こんな言葉をかけてくれる人に出会った。
「ク
独立した時、私は最初一人だった。
三年前、私がフリーランスになろうと思ったのは、年明け早々、一人きりになったリビングのコタツの中だった。
よく覚えている。「ブログで収益が出る!」と知った時の驚き。「本当にそんなことができるの?」と思いつつも、自分の好きなことやしたいことでお金が稼げるのは興味深くて、どんどんネットで知識を拾って、なんとか開設したブログのサイト。
当時の記事は今読んでも恥ずかしいくらいのぐちゃぐちゃさで、あぁ、あ
なんだ、みんな、いい子になりたくて頑張ってるんだ。
洗礼を受けてから初めての記事。
いつも読んでくれている皆さん、ありがとう。
洗礼式のことは、こちらにポツポツと。
受洗して思うことは、私たち、受洗しても、なーんにも、変わらないなってこと。(笑)
そう、なーんにも、変わらなくて。
未来なんて明るくならなくて。
私は、私のまま、ゆるりと生きている。
でも、ひとつ、変わったことといえば。
そうね、未来に、そこまで不安を感じなくなったこと、かな
神様にお願いしたいこと
神様、私に、余裕のある心を与えてください。
大好きな人が苦しんでいても、そっと見守りながら、手助けできる優しい心が欲しいです。
神様、私に、日々の糧を与えてください。
与えられたものだけで満足できる、謙虚な心が欲しいです。
神様、私に、平安を与えて下さい。
日々のイライラやストレスがたまって、誰かにあたりたくなってしまう時があります。清らかな心で、自分を愛せる時が欲しいです。
神様、私
人は死んだら、〝向こう〟に、チリ紙ひとつも持っていけれない
「一番譲れないものはなんですか?」と聞かれたとき、あなたなら、なんと答えるだろう。
ある人は仕事道具だといい、ある人は午後に飲む珈琲といい、ある人は時間といい、ある人は恋人、というかもしれない。自分の一番好きなもの・譲れないもの・・・それが「ある」人生ってやつは、なんだかとっても素敵だなぁ、と思う。
そしてその譲れないものが、増えたり、減ったりしながら、生きていくのが人生なのだ、と説いたとき、
クリスチャンだから〝正しい〟わけでも、ノンクリスチャンだから〝間違ってる〟わけでもないよね。
この前、彼氏と喧嘩した。きっかけは、些細な事。
今度一緒に行こうと誘われた旅行について話している時、全くその話に興味がなさそうに電話する彼に、つい、嫌気がさしてしまったのだった。
「私が誘った旅行じゃないのに」
「仕事の都合だってあるのに」
「フリーランスだって暇じゃないのに」
ひとつ、嫌なところが出てくると、次々と〝本当は…〟と思っていた、自分の心の声が溢れ出す。
まずい、と思った。