キリスト教って何?ノンクリスチャンの私が初めて教会に行ってみた
※こちらはクリスチャンになる前、実際に初めて教会に訪れた私が、当時の思いを忘れないよう、ブログに投稿した記事をもう一度再現させた、「復刻版」です。4年前の記事になるため、当時と教会の形にも変化があるかと思いますが、ノンクリスチャンだった私が初めて教会にいったときの気持ちを、そのまま素直に表現した大切な記事です。よければお読みいただければ嬉しいです*
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こんにちわ、家は仏教、コーヒーは断然カフェオレ派のich(いち)です。
みなさま、まずはこちらをお聞きください。(ちなみに、一度流した音楽はそのまま聞きながら記事を読み進められるのがおすすめです。)
素敵な音楽に、まるでどこかの有名アーティストのライブ…!?と聞き入ってしまう歌声。
周りの方の歓声もすごいですよね。
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実はこれ、海外では超有名なクリスチャンバンド。つまり、ここで歌っている人たちは全員「クリスチャン」=キリスト教を信じている人
なのです。
早速ですがみなさん。キリスト教ってなんだと思いますか?
キリスト教、と聞くと大抵の人は「え?なにそれ?」という反応をすることでしょう。
私も最初はそうでした。
しかし、今回一緒に旅をしているかんちゃんは、なんと生まれながらのクリスチャン。
💡生まれながらというのは、両親がクリスチャンで小さい頃から教会に通っていたという意味です
大阪に滞在している時の毎週日曜日は礼拝に通っているということで……。
じゃあ私も一緒に行きたい!とお願いし、教会に連れて行ってもらうことになりました。
教会って…怪しい?そもそも教会ってなに?
教会とは、
💡宗教(特にキリスト教)の教義を説き広め、また礼拝するための、建物、または組織。
を指します。
そのため、私たちからすれば「キリスト教を信じている人じゃないと入ってはいけない場所」と認知している人がほとんどだと思うのですが・・・
ということで、キリスト教じゃない人(以下ノンクリスチャンと書きます)の私たちでも、気軽に立ち寄っていい場所なのだそう・・・!
これはその教会によるそうなのですが、毎週日曜日には「礼拝」といって、クリスチャンの人たちが神様を褒め称えるということが行われています。
そのため、日曜日の午前中であれば空いている教会が多く、ノンクリスチャンが初めて教会に行く際には、その時間帯にいくとよいのだとか…!
初めての人が教会を選ぶポイントは?
現在、日本には教会が約8000程度あるといわれていますが、初めての人が教会を選ぶのは、クリスチャンであっても至難の業。
宗派も様々あり、どこを選べばいいか迷ってしまうかと思います🧐
その際に参考になるが、こちら。
⛪教会の選び方⛪
①自分が住んでいる付近の教会をネットで調べる(Google Mapに教会と入れるといくつか出てきます)
②その教会にHPがあるかどうかをチェックする
③HPの活動報告や、「初めての方へ」という欄があるかもチェック
これらの情報が乗っていれば、比較的「ノンクリスチャンでも行きやすい教会」であることがわかります。
また、もし初めていくのが心配という場合は、「日曜日に伺いたい」と事前に電話で連絡しておくのもおすすめです💡
☢️「モルモン教」「エホバの証人」と呼ばれる教会もありますが、これらの教会は純粋な神様への信仰と外れた信念をもっており、ここで紹介するクリスチャンとはかけ離れたものです。これらの教会へ行くことは推奨しておりませんので、お気をつけください。
人生初の教会!持ち物は?服装は?
いきなり教会に行く!となっても、ノンクリスチャンの私からは、まさに未知なる領域。
「服装は?持ち物は?」と、当日かなり心配になりましたが…。
ということで、いつも通りの格好で出かけました。(ちなみにクリスチャンのかんちゃんは、教会に行くときもサンダルです⛪)
人生初めての教会!受け入れてもらえるか心配・・・
とウキウキのかんちゃんとはうってかわって。
教会に着くまで、わたしの心臓はドキドキ……🥲💦
そんな不安さえもありました。
ノンクリスチャンの視点からすると、教会というものも未知なる領域、最初は私のような不安や、時によっては恐怖心みたいなものを抱える方も多いと思います😰
でも、
と日々発信を続けるかんちゃんの姿を間近で見ていると、
「知らないからという理由だけで知ろうともしないのはただの偏見なんだろうな…」という風に感じるのです。
そんなこんなで、いざ、人生初めての教会へ・・・!
子供がたくさん!終始和やかな雰囲気の優しい空間が広がるルーテル教会
中に入ると、まずたくさんの子供の笑い声が飛び込んできました!
教会に入ると、まず最初に「受付」があります。名簿に住所や名前などの簡単な情報を記入し、私がノンクリスチャンであることや、この教会自体が初めてなことを伝えると、
「わーよくいらっしゃいましたね。初めての教会、わからないことがあったらなんでも聞いてくださいね」
と、教会の中を案内してくださいました…!
💡住所や氏名などを入れても、教会に行っていることが誰かにバレたり、通知されることはありません。DMやはがきなどを送ってくださる教会もありますが、不要であればその旨を伝えていただければ、教会が勝手に住所や氏名を使うことはありません。
案内も足早に、10時45分から礼拝がスタート…!(大体礼拝はどこも10時〜11時のあいだにスタートする場所が多いです)
みんなで礼拝堂に向かい、これまた人生初めての「礼拝」を体験することになりました⛪
礼拝がスタート。その内容は?
みなさんは「礼拝」というものに対して、どういうイメージを持たれていますか?
私の脳内では、正直こんな感じでした👇
(笑)
そもそも、礼拝とはギリシャ語で「前にひれ伏す」という意味があるので、私のようなイメージを持っていてもなんら不思議ではないのですが、
今の実際の礼拝のスタイルは「賛美をする」=「聖歌を歌う」というものが基本の流れ。
・お祈りをする
・説教(聖書の解き明かし)をきく
・聖書を読む
・献金をする
・聖餐式(ある種類の礼拝では)パンを食べ、葡萄酒あるいはぶどうジュースを飲む
これらを組み合わせて、それぞれの教会で「礼拝」が行われます。
私がここでひとつびっくりしたのは、「讃美歌」というものへのイメージ。
最初にご紹介した「クリスチャンミュージック」と同様、日本の讃美歌も今やめっちゃポップでカルチャーなものになっているんです・・・!👇
讃美歌を歌うことによって「神様」を讃え、感謝の気持ちを表すという意味が込められているのですが…🥰
こんなに幸せそうに、楽しそうに歌いながら、礼拝をするなんて、たぶんほとんどの人が知らないんじゃないかなぁ…
そのあとは、牧師さんから、聖書にあるみことばを聞く「メッセージ」の時間があります。(別名ではこれを、説教ともいいます。)
説教は、聖書に書いてある言葉(御言葉)に、耳をかたむける時間👂
ここで思ったのは、「聖書」に書かれていることばたちは、どれも「それを読む人によって感じ方が違うな」ということ。
私自身、生まれてこのかた聖書なんて読んだこともないのですが・・・
それでもこの牧師さんのお話はどれも胸を打つものばかりで、時にすごく感情を揺さぶられてしまい、涙してしまう場面も🥲
クリスチャンの人々との交流にびっくり!
メッセージのあとは、みなでもう一度讃美歌を歌い、約1時間〜2時間ほどの礼拝は終了。
礼拝中、私がさらにびっくりしたのは、「挨拶」の時間があること!👀
「ハレルヤ」とは感謝、歓喜の意味で使われる共通のことばのようで、みんな私に対して「ハレルヤ〜」と明るくハイタッチしてくださいました!w
年齢問わず本当にみなさんが親切でフレンドリーで・・・
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こんなに優しい顔で挨拶されるのは久しぶりでど緊張してしまいましたが、礼拝が終わったあとも、
「初めて来たのー!?どこから!?」
「こんにちわ!はじめましてー!!!」と、
たくさんの方が集まってきてくださいました・・・!
ルーテル教会は本当に若い人たちもたくさんいて、同世代の女の子とたくさん交流したり、遊んだりしました!楽しかった・・・!
どうしてみんな、教会に通っているの?
ノンクリスチャンの私が一番素朴だった質問。それは……
「どうしてみんな、教会に通い、神様の存在(イエス・キリスト)を信じておられるんですか?」
というもの。やっぱり、気になりますよね。
・両親が元々牧師で、生まれたときから教会が身近だった人。
・母が先にクリスチャンになり、小学校からこの教会に通うようになった人…。
みな、背景はバラバラですが、幼い頃から教会に通っている人もいれば、私と同じように、元々教会を知らずにいて、クリスチャンになった人もいました。
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わたしは、もともとはノンクリスチャンでした。
小学生の頃、アイスのイベントをこの教会でやっていて、「ここに行ったらアイスもらえるよー!」っていうノリで誘われて教会に来たのがきっかけで・・・(笑)
そこからはもうずっと教会にいて、気づいたらクリスチャンの道を歩んでたっていう感じ。小学生の時いじめられて居場所がなかった私に、この教会は「居場所」をくれて、同じように仲間ができたんです。両親はクリスチャンになるのは若干反対だったけど、今は私がここにいることに理解も示してくれて、毎週礼拝にきています。(社会人・Aさん)
私は何より、子供を育てるのに教会はベストな場所だなって感じてます。お母さんってどうしても、ひとりで色々と抱えがちだけど、それを相談できたり、安心して子供を遊ばせてあげられる場所も近年少なくなっているので・・・そういう時に教会に来れば誰かがいてくれて、みんなで子供を育ててくれる。こんなに安心できて、ひとりじゃないんだって思わせてくれる場所はないかなって感じます。(主婦・0さん)
私は、学生時代、なにより「居場所」がなかったんですよね。なんだか孤独で寂しくて、学校でも友達とうまくいかなくて・・・そんな時に自分を救ってくれた場所、救い上げてくれた場所だと思っています。同世代もたくさんいるので、みんなと話ができるのもすごく楽しい・・・!(学生・Cさん)
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ここまで聞いていて思ったのは、皆、クリスチャンであることを「宗教」としてではなく「ひとつのライフスタイル」として捉えているということ。
教会へ行くのは、義務や責任感ではなく、自分が行きたいから行っている感覚なことにびっくりしました。
クリスチャンをとりまく「偏見」について
いち:「みなさん的には、やはり「キリスト教」をたくさんの人に知ってもらいたいと思って活動されてるんですよね?」
はい、やっぱりそうですね。キリスト教って、神様が私たちを愛してくれているということをたくさんの人に知ってほしいという教えもあるんです。今孤独でひとりぼっちでいる人や、誰にも助けを求められない人たちもいると思うんですけど・・・そういう人たちにも、ひとりじゃないよ、いつも神様がそばにいてくれているよ、ということを感じてほしいなって思います。。(社会人・Aさん)
私はこの教会のHPを作成したんですけど、やっぱり今の社会「ネット」の情報って大切じゃないですか。特に地方の教会っていうのは、なかなか人も集まりにくいし、若い人がいろんな教会に流れてしまったりもするので・・・少しでも多くの方に、教会に足を運んでほしいって思いますね。(主婦・0さん)
私は何より、キリスト教に対しての偏見がもっとなくなったらいいなって思います。
わたしも最初はノンクリスチャンで、「教会」とか「イエス様」とか全く知らない状態で教会にきて、しかも最初に母が入信した場所が「キリスト教」と謳ってはいるけど、聖書の教えとは全然違うことをしている怪しい教会だった・・・っていう過去も持っていて(笑)
よく家にきて無理やり勧誘させられたり、「キリスト教を信じないと地獄に落ちるぞ!」とか言っている人たちのことを想像して「クリスチャン」というものに偏見を持っている人もいると思うんですけど、
そういうやり方をしているごく一部の宗派の人の影響で、クリスチャン全部が悪だ、みたいな捉え方をされているのは納得いかなくて・・・
ルーテル教会のように、正しい教えを普及している教会の存在を知ってほしいし、教会って言う場所に誰でも足を運んでほしい。
だからこそ、これからは教会がもっと身近で、立ち寄りやすい場所になるよう、私たちクリスチャンも外に向けて、発信していかなきゃいけないなって思います。(学生・Cさん)
私たちとクリスチャンっていったい何が違うんだろう?
実際にクリスチャンの方々とお話をしてみて思ったのは、私たちとクリスチャンって、いったい何が違うのだろう?ということ。
だって、例えば私たちだって、お正月には「神社」にお参りに行くし、なにか元気をもらいたいときは、パワースポットに友達と出かけた経験、ありますよね?
そこでお参りをしたり、時にはお祓いをしてもらったり、神秘的な力にパワーをもらったり・・・。でも、そこで「神様」の存在を目で確認したことがある、という人はいないと思います。
“神は絶対的な存在で、目には見えない”
それでも私たちは、そこに神様がいると信じるから、その場所へ足を運ぶのです。
クリスチャンの方だって、それは同じではないでしょうか?
そこにいる「神」の存在を信じ、そこにある「愛」を信じ、それを受け取るために、教会へ足を運び、礼拝をするのです。
それって、「信じるもの」が違うかもしれないけれど、私たちとなんら変わらないなって思いませんか?
私も正直、かんちゃんに出会う前は
という偏見を持っていましたが……。
実際にクリスチャンの方と接することが増えれば増えるほど、彼らだって悩み、苦しみ、時に困ったり、時に涙したりもしながら、わたしと同じように生きているという事実を知り、その偏見は少なからず間違いであったな、と今は思っています。
まとめ:初めての教会に行って思ったこと
「誰にも愛されない」
そう感じた経験が、あなたにはありますか?
すこし前にはなりますが、一時期、私にも、そう感じていた時期がありました。
家族と離れて都会で一人暮らしをし、愛する人と別れ、行き場を失った気持ちを、どこに吐き出していいのかわからず、友達や上司とのすれ違いの中で、時々感じてしまう「孤独」に耐えられなくなったのです。
だからこそ、無性に誰かの愛情が欲しかったり、誰かに愛されていたかったり、自分というものを確立できていない迷える気持ちの置き場所を、他の「何か」に変換することで安心したりしてしまう。
「私たちは弱いから、主よ、あなたの愛が必要です」
教会に行った時に、りなちゃんという素敵な一人の女の子が、讃美歌を歌いながら唱えていた言葉。
私たちは、弱い。だからこそ、イエス・キリストが、罪人の人間の死を被って十字架に張り付けられ死んでしまったあとも、目の前にある「欲」に惑わされ、それをすぐに欲しがり、どんどんと自分の見栄の大きさや、隣の人の芝生の青さに気を取られ、気づいた時には足元を救われてしまう。
私たちは、弱い。
でもだからこそ、彼らは信じるのだと思います。
「主」の愛を、それを信じることで受け取ることのできる「愛」を、全身全霊で信じ、感謝し、そして自分の内側にある「欲」を疑い、私たちと同じように迷ったり、苦しんだり、困ったり、当たり前にそこにある感情と向き合いながら、それでもクリスチャンとしての使命を全うするために、みんなここで生きている。
………。
それを、「気持ち悪い」となじる人がいる残念さ。
「宗教」という固定概念に怪しいイメージを持ち、知ろうとも知らない人がいることの多さ…。
少し前まで自分もそうだったからこそ、思うのは、
それが例えば「周りと違うから」という理由だけで排除されてしまうものならば、それほど不自由なことはないということ。
今、日本にいるクリスチャン人口は、たった1%未満といわれています。
実際にその1%未満のクリスチャンに出会わなければ、私はこうやって教会に足を運んでみることも、記事を書くためにいろんなことを勉強して、かんちゃんやかんちゃんの周りのクリスチャンの方に話を聞きながら、こんな文章をかくこともなかったのだと思うと・・・
私は今回、教会に足を運ぶことができて本当によかったなあと感じています。
信じるか、信じないか、それは、あなた次第です。
でも、なにかにすがりたくて、誰かに頼りたくて、本当は弱い私たちに、神という絶対的な主が
「あなたを愛しています」
ということを教えてくれているのなら。それだけで強くいられる人たちだって、きっと大勢いるのではないでしょうか。
今回、お話を聞いた教会:米子福音ルーテル教会
引用:http://yonagoelc.com/
〒683−0842:鳥取県米子市三本松1−2−27
℡|0859−33−2757 FAX|0859−33–2761
HPはこちらから▼
米子福音ルーテル教会HP:http://yonagoelc.com/
※ゴスペルサービス、夕礼拝に関しては変更になる場合がございますので、お気軽にお問い合わせください(0859−33–2725)
▼ あれから教会に通い続け、なんと洗礼を受けました……!
あなたがくれたこのサポートで、今日もわたしはこのなんの意味もないかもしれないような文章を、のんびり、きままに書けるのだと思います。ありがとう。