エジプト旅行記 Ⅲ (アブ・シンベル神殿)
この記事では
アスワンからアブ・シンベル神殿への移動
アブ・シンベル神殿
について書きます
アスワンからアブ・シンベル神殿へ
朝6時起床
朝一のブラックコーヒーを飲みながらナイル川を見下ろします
タクシーチャーターのお迎えの時間は6〜8時で選べたので、7時にドライバーに迎えにきてもらうよう前日にツアーデスクに伝えていました
ドライバーさん初めまして
優しそうなおじさまです
アスワンに泊まったのは
アブ・シンベル神殿に行くまでで一番近い都市だから
アブ・シンベル神殿周辺にもホテルはあるけど、アブ・シンベル神殿も見る以外何も無い街とのことだったので
アスワンに前泊し、3時間半移動することに決めていました
アブ・シンベルには空港もあるけど本数が全然なくて
行くには陸路での長い旅路になります
また、アブ・シンベル神殿はスーダンの国境付近にあるので
情勢次第では入国もありなのか調べましたが、そもそもスーダンは日本にある大使館でVisaを取得しないと入れないようです
アブ・シンベル神殿
アブ・シンベル神殿に到着!
既にたくさんの観光客がいました
エントランスから川沿いを少し歩いて
かのラムセス2世の4本の座像前に到着!
古代エジプトで一番偉大なファラオってラムセス2世なんです
世界最古の戦争と言われている
カデシュの戦いで劣勢だったエジプト軍を率いて停戦に持ち込んだのが、ラムセス2世
この戦争での功績を記念してアブ・シンベル神殿が作られたという説があります
何よりもびっくりしちゃったのが、ラムセス2世が90歳まで生きて70年間にもわたって統治をしていたことと
そしてなんと
8人の王妃と100人以上も子供をもうけたのだとか
10人以上産んだ奥様がいるってことでしょ
ラムセス2世も奥様方もすごいね!笑
それとお伝えしたいのが
アブ・シンベル神殿はお引越しをしています
(この場所に建てられたわけではありませんでした)
紀元前1260年に違う場所に建てられ
長い間砂に埋もれていたのを1813年にスイスの学者に発見されています
そして1960年代に水没の危機に遭ってユネスコが今のこの場所にお引越しさせました
この移設をきっかけにして遺跡や自然を保護するために「世界遺産」ができ
そして
世界遺産第一号として登録されたのが、このアブ・シンベル神殿!
説明が長くなりました
中に入っていきます
一番奥にある至聖所
年に2日間(2月22日と10月22日)だけ
この至聖所にまつわる特別な日があります
年にこの2日間だけ、この至聖所に朝日が差し込み、これらの像が照らし出されると言う神秘的な現象
一番左にあるプタハ(闇の神)には、光が当たらないような設計されているのだとか
古代エジプトの高度な文明に驚きます
これを見にこの日には世界中から多くの人が訪れるそうです!
外に出て少し遠くから写真を撮ってみました
分かりますでしょうか?
もう一つ小さめな神殿が右側に建っているのが
The アブ・シンベル神殿の写真ででてくるのは、ラムセス2世を祀る大神殿ですが
ラムセス2世は最愛の妻であるネフェルタリのために隣に小神殿を建てています
両側2体のラムセス2世の間にいるのが王妃ネフェルタリ
ネフェルタリはどんなに素敵な女性だったんでしょうか
愛を感じますね!笑
この神殿をお引越しさせたって、すごくないですか?
ユネスコは世界中にアブ・シンベル神殿の救出案を募集して
5つまで絞った後に、最終的にスウェーデン案を採用したそうです
大大大規模の入札案件ですね
現在の物価に換算すると300億円くらいかかったのだとか
(300億円だったら大大大規模でもないのか)
それにしてもアブ・シンベル神殿は焼けるように暑い!
日中は40℃くらいまで上がりますよ
また3時間半の道のりでアスワンに戻ります
タクシー代は往復で70ドルでした
アスワンに戻り、ホテル近くにあったシリア料理屋さんへ
観光客ゼロのお店だったのでかなり浮きましたし
お会計の時に私の計算よりも高い金額言われたので指摘しました
全部アラビア語のメニューでも数字は記憶して注文します
チップ渡すんだからメニュー料金でぼったくられるのは嫌だよね
その後は前日にも行ったシーシャ屋にまた寄って
マンゴースムージーを飲みながらナイル川を眺め
その後アスワン空港へタクシーで向かいました
夜便でカイロへ向かいます
カイロに着いて
Uberだというドライバーと大問題が起こりました
一瞬で頭に血が上った出来事です
言っちゃうわ、荷台に乗せていたトランク盗まれそうになりました
おかげさまで足にあざができました
それはカイロ観光とは別記事で書こうと思います
続編へ続く
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