ヘッドホン哀歌
みなさん、こんばんは。禧螺です。
今日もnoteをご覧いただき、ありがとうございます。
なんだかんだ言いながら、やはり創作することって楽しいです。
人と比べてしまって、つらくなってしまう時もありますが、私の中で辛さを感じる時は「上手い具合に成長したいのに、もどかしい!」という気持ちなのかもしれないと思いました。
いろいろな方面で、創造することを広げていきたいです。
さて、本日は私としては悲報があります。
長年連れ添ってきた、愛しのヘッドホンちゃんのことです。
右耳部分の音が、途切れ途切れになって聴きにくくなってしまいました。
🎧
みなさん、そして特にHSP気質の強い方の中に、ヘッドホンのヘビーユーザー様はいらっしゃいますでしょうか?
かく言う私は、毎日ヘッドホン先生にお世話になっています。
むしろ、1日でもどこかに行ってしまったら、とてもソワソワするだろうと思います。
家が安心できる空間とはいえ、家族もいるので、完全に自分一人の空間が欲しい時はヘッドホンを装着します。
ノイズキャンセリング付きのもので、装着するだけでも聴覚の範囲がかなり限られた部分になるので、遠くの音まで拾わなくてもいいようになるのが、助かります。
そんな相棒のヘッドホン先生が、ここ2~3日で急速に痛んだ感があるのです。
就業中に購入したものなので、使用年数で言えば、3~4年は経っているかと思います。
耳に当てる部分の柔らかいスポンジ部分は、糸がほつれて、スポンジが出かかっててヨレヨレになっているし、スピーカーは「ガガガッ」とノイズが走り、途中音が途切れてくることが多くなりました。
年の瀬になってきて、まさかこのタイミングで、ヘッドホンに
「長い間お世話になったのは承知なのですが、そろそろお暇をいただけませんかね?」
と言われてしまったような気持ちでいます。
年内はこれでもって欲しいのですが、片耳が聴こえなくなる状態は不便で、場合によっては不快感を感じます。
不便さは多少の我慢ができますが、
不快感は「多少の我慢」が積み重なって、全然関係のない場面で爆発することがあります。
もっと突っ込んで言えば、不快感があっても我慢する、無視するというのは、
自分自身の「嫌だな…」「何とかしたいな…」という感覚を
「あとにして!」「それくらい我慢して!」と、自分自身で否定すること
とも、考えられます。
耳は五感のうちの一つ、「聴覚」を司る器官です。
五感から得るもの・こと・感覚は、特にHSP気質の強い人において、直接、自分の心身に大きく作用することがあります。
よくも悪くも、そうした「ささいなこと」からの波を感じやすいし受けやすいのでしょう。
「人類の存続」という観点から見れば、「必要な生存戦略」であるため、残ってきている気質だと言えますが、お付き合いしているとなかなか多くの試行錯誤の機会を迫られるなぁとも、思います。
私もこうして記事にしたためたことですし、早いうちに新しいものに買い換えようと思います。
自分の感覚は、自分の人生の間で、一番お世話になるものの一つです。
感覚さまの声を、しっかりきいてあげようと思います。
🎧
トップ画像は ふじばやしごう様 からお借りしました!
ありがとうございました。
みなさんからのスキに、今日も嬉しい気持ちでいっぱいです。
この記事にお時間をいただき、ありがとうございました。
それでは、今日はここまでです。
みなさんの明日一日がいいものになりますように…。