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創作活動「光を紡ぎし百合の花」


みなさん、こんばんは。禧螺です。

今日もnoteをご覧いただき、ありがとうございます。


最近よく、過去の夢を見ていて、その内容が一貫して「喝を入れられること」なのです。

「生きろ」という叫びがこだまします。

不安になったり、自分一人でもがいている時に出て来てくれて、夢でさえ、人格があるのではないかと感じるほどに、支えてくれるので、夢に感謝したいなと思った近頃です。


まさかここまで続くとは思っていませんでした

第12回「フォロワーさんを描いてみた」

を、掲載いたします。

ただ私が描きたくて描かせていただいているものですが、それでもアイコンやヘッダー、その他SNSのコマンドに使ってくださる方が、1人でもいらしてくださっていることに、もう、言葉では言い表せない幸せを感じます。

こうした創作活動もできるような、「HSP」や「生きづらさ」を共有したり緩和できる場所造りをしていきたいと思っています。


では、本日のイメージ画に参りましょう。



今回描かせていただきましたのは、 ゆり葉さん  です。


ゆり葉さん5


テーマは「マドンナ・リリーに愛されし人」です。


当初、いつも交流してくださるイメージ・やりとりの中で「マリアさまみたいな人だなぁ」と感じていたので、全体的に青っぽいイメージにしようかと考えていました。
(急に宗教色が強くなってしまってすみません。)

ただ、そんなイメージを持っている中で、どうも「マリアさまみたいな雰囲気を持っている=マリアさまを象徴する色は青だから、青がいい」とは言い切れないのではないか、と思い始めたこともあり、そこで

「そもそもどうして、私はこの人に惹かれたのか?」

という問いに立ち返って、デザインを考えていきました。


ドレスのイメージは、ディズニー映画「マレフィセント」、エル・ファニング演じるオーロラです。

この色味のドレスが出て来るのは、ほんの数分しかないのですが、私はそのドレスに強く心惹かれました。

オーロラはほぼ、青いドレスを着ているのですが、美しいながらもどこか儚いイメージがありました。

夜のシーンでは、ローブを纏ったり、光にぼんやり反射されると、その「美しさの”影”」が、より強調される雰囲気になって、「美しいけれど、いずれ消えてしまう」という、手が届かないイメージを持っていたのです。

対して、終盤のシーンで着る金色のドレスは、ただただ輝かしいものではなく、その色味には「白」が含まれています。

「白」はどんな色味にも染まる色です。

その無垢なる白の上には、繊細な「金の刺繍」が施されています。

金の刺繍は、オーロラがオーロラらしく生きることを祝福した光が、糸となってドレスに織り込まれ、「彼女の生きる幸せ」が具体化したものではないかと、感じました。

どんな色に染まりつつも、彼女の生きる姿は誰にも奪えない。

そうした真の「生」を感じ取って見ていたことを覚えています。


マリアさまは、「純潔」を象徴される方です。

ですが、ただただ純潔なのではなく、生きることの辛酸を知り、それでもなお、ご自身の生き方を貫かれたからこそ、マリアさまと「純潔さ」が結びつくようになったのではないかと思います。

美術的視点を考慮していない独自解釈ですが、受胎告知の時や、自分の子どもが磔になった時といった、未知の領域の中で、自分が行動することで影響を受ける全てに対して考慮した上で、よりよき行動をされようと葛藤される姿に、「純潔さ」を感じます。

その立場も、「イエス・キリストの母」としてだけではなく、現代においても、「人の心が帰る拠り所」として、人に手を差し伸べてくださる純潔さを感じられるからこそ、世界中のマリアさまを愛する方から「聖母」と呼ばれているのではないかと、思ったのです。

「生きるつらさ」を知りながらも、生きる光を追う姿が気高いと感じて、こうしたドレスになりました。


レースのデザインは、マドンナ・リリーです。

実際にお花としてもありますし、西欧では聖母のことを「マドンナ・リリー」と呼びます。

多くの色を使って表現するよりも、形にこだわりました。

自分の心はいかようにも変わるけれど、自分の軸はぶれることなく変わっていける純潔さを、これで表現してみました。

光の糸を織り込んだようなドレス、ヴェールにしたくて、装飾も最小限にした結果、こうした感じにまとまりました。


髪は優しい大地をイメージした茶色、瞳は風に乗りながらも強い意志を持つ黒い宝石をイメージした黒です。

オブシディアン、オニキス、スピネル…。

黒は何にも染まらない色、とも言われています。


何にも染まる性質を持ちながらも、何にも染まらない意志を表現することは、難しいです。

描きながらも、自分の目的や、やりたいことが明確になっていくような、そんな不思議な感覚を体感しながら、創作できました。




ちなみに、アップにすると、こんな感じです。


ゆり葉さん3


ゆり葉さんは、フォロワーさんのフォロワーさんとして、お出逢いできた方なのですが、正直、私がどんなに手を伸ばしても届かない存在だと思っていました。

私が「ふれてみたい、関わってみたい」と思う相手は、総じて多くの仲間に愛されている方ばかりで、ゆり葉さんも、その状態が顕著に表れているお一人です。

そこに新しく入って行くということは、私にとってはそれなりに勇気が要ることで、「そんな勇気、私にはないよ…」と思いつつ過ごしていました。

Twitterの方で、たまたま流れてきた他のフォロワーさんの、いいねツイートの内容が、色遣いや絵の雰囲気がとても好みのイラストだったので、反応すると、なんと、ツイート主がゆり葉さんご本人でした。


ゆり葉さんとの交流では、抽象的な話がとても楽しくて、お話をしていると銀河遊泳しているような、話がいろいろな所に展開されていく感覚に、癒しを覚えるのです。

私は、自分が星のことやスピリチュアル、占いにも、昔から興味があったのに、周囲に合わせて押し殺していたことを、ここで自覚し「自分の好きなように見ていって、自分の手助けになるように使っていいよ」という許可を出すことができました。

「見えないものを自由に信じたいのに、信じると何か許されない気がする」という、自分一人では解くことに限界を感じていた鎖を、時には支えてくださったり、時にはアドバイスをくださったり、時には静かにただ見守ってくださったりと、解くお手伝いをしてくださいました。

このことだけでなく、私の他の分野においても、自分自身がかけた呪縛を解くために、その感性や優しさに支えていただいています。


交流を重ねていく中で、ゆり葉さんから、ただの真っ白だけではない「純潔さ」を感じていました。

影を知らず、人が経験した悲しみや辛さを、そのまま解かしてなくしてしまうような純潔さではなく、ご自身の気質を生かしつつ、相手の気持ちに深く共感され、その人の影の姿にも寄り添い、多くの方を支えておられる姿に、生きる辛酸を知っておられるからこそ、思わずそばにいて欲しくなるような安心を感じる「純潔さ」があるのではないかと、思っています。

そんな「純潔さ」を纏った人にふれるたびに、私も無防備ではない「純潔さ」を纏えて、安心するのです。


私は、自分自身の純白な心を護ることができる「純潔さ」を、身につけたいのです。

そのこころを、ゆり葉さんに、様々な側面から、ご教授いただけているのだと思います。


ゆり葉さん、いつも本当にありがとうございます!

これからも、ゆり葉さんのご活躍を応援させてください!!


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トップ画像は ゆり葉 | 引き寄せの法則とHSP@多忙につきご返信遅れます 様からお借りしました!

ありがとうございました。


みなさんからのスキに、今日も生きている実感を感じさせていただいています。

この記事にお時間をいただき、ありがとうございました!


それでは、今日はここまでです。

みなさんも、フォロワーさんとのよき交流を!



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