創作活動「光を紡ぎし百合の花」
みなさん、こんばんは。禧螺です。
今日もnoteをご覧いただき、ありがとうございます。
最近よく、過去の夢を見ていて、その内容が一貫して「喝を入れられること」なのです。
「生きろ」という叫びがこだまします。
不安になったり、自分一人でもがいている時に出て来てくれて、夢でさえ、人格があるのではないかと感じるほどに、支えてくれるので、夢に感謝したいなと思った近頃です。
まさかここまで続くとは思っていませんでした
第12回「フォロワーさんを描いてみた」
を、掲載いたします。
ただ私が描きたくて描かせていただいているものですが、それでもアイコンやヘッダー、その他SNSのコマンドに使ってくださる方が、1人でもいらしてくださっていることに、もう、言葉では言い表せない幸せを感じます。
こうした創作活動もできるような、「HSP」や「生きづらさ」を共有したり緩和できる場所造りをしていきたいと思っています。
では、本日のイメージ画に参りましょう。
⚜
今回描かせていただきましたのは、 ゆり葉さん です。
テーマは「マドンナ・リリーに愛されし人」です。
当初、いつも交流してくださるイメージ・やりとりの中で「マリアさまみたいな人だなぁ」と感じていたので、全体的に青っぽいイメージにしようかと考えていました。
(急に宗教色が強くなってしまってすみません。)
ただ、そんなイメージを持っている中で、どうも「マリアさまみたいな雰囲気を持っている=マリアさまを象徴する色は青だから、青がいい」とは言い切れないのではないか、と思い始めたこともあり、そこで
「そもそもどうして、私はこの人に惹かれたのか?」
という問いに立ち返って、デザインを考えていきました。
ドレスのイメージは、ディズニー映画「マレフィセント」、エル・ファニング演じるオーロラです。
この色味のドレスが出て来るのは、ほんの数分しかないのですが、私はそのドレスに強く心惹かれました。
オーロラはほぼ、青いドレスを着ているのですが、美しいながらもどこか儚いイメージがありました。
夜のシーンでは、ローブを纏ったり、光にぼんやり反射されると、その「美しさの”影”」が、より強調される雰囲気になって、「美しいけれど、いずれ消えてしまう」という、手が届かないイメージを持っていたのです。
対して、終盤のシーンで着る金色のドレスは、ただただ輝かしいものではなく、その色味には「白」が含まれています。
「白」はどんな色味にも染まる色です。
その無垢なる白の上には、繊細な「金の刺繍」が施されています。
金の刺繍は、オーロラがオーロラらしく生きることを祝福した光が、糸となってドレスに織り込まれ、「彼女の生きる幸せ」が具体化したものではないかと、感じました。
どんな色に染まりつつも、彼女の生きる姿は誰にも奪えない。
そうした真の「生」を感じ取って見ていたことを覚えています。
マリアさまは、「純潔」を象徴される方です。
ですが、ただただ純潔なのではなく、生きることの辛酸を知り、それでもなお、ご自身の生き方を貫かれたからこそ、マリアさまと「純潔さ」が結びつくようになったのではないかと思います。
美術的視点を考慮していない独自解釈ですが、受胎告知の時や、自分の子どもが磔になった時といった、未知の領域の中で、自分が行動することで影響を受ける全てに対して考慮した上で、よりよき行動をされようと葛藤される姿に、「純潔さ」を感じます。
その立場も、「イエス・キリストの母」としてだけではなく、現代においても、「人の心が帰る拠り所」として、人に手を差し伸べてくださる純潔さを感じられるからこそ、世界中のマリアさまを愛する方から「聖母」と呼ばれているのではないかと、思ったのです。
「生きるつらさ」を知りながらも、生きる光を追う姿が気高いと感じて、こうしたドレスになりました。
レースのデザインは、マドンナ・リリーです。
実際にお花としてもありますし、西欧では聖母のことを「マドンナ・リリー」と呼びます。
多くの色を使って表現するよりも、形にこだわりました。
自分の心はいかようにも変わるけれど、自分の軸はぶれることなく変わっていける純潔さを、これで表現してみました。
光の糸を織り込んだようなドレス、ヴェールにしたくて、装飾も最小限にした結果、こうした感じにまとまりました。
髪は優しい大地をイメージした茶色、瞳は風に乗りながらも強い意志を持つ黒い宝石をイメージした黒です。
オブシディアン、オニキス、スピネル…。
黒は何にも染まらない色、とも言われています。
何にも染まる性質を持ちながらも、何にも染まらない意志を表現することは、難しいです。
描きながらも、自分の目的や、やりたいことが明確になっていくような、そんな不思議な感覚を体感しながら、創作できました。
⚜
ちなみに、アップにすると、こんな感じです。
ゆり葉さんは、フォロワーさんのフォロワーさんとして、お出逢いできた方なのですが、正直、私がどんなに手を伸ばしても届かない存在だと思っていました。
私が「ふれてみたい、関わってみたい」と思う相手は、総じて多くの仲間に愛されている方ばかりで、ゆり葉さんも、その状態が顕著に表れているお一人です。
そこに新しく入って行くということは、私にとってはそれなりに勇気が要ることで、「そんな勇気、私にはないよ…」と思いつつ過ごしていました。
Twitterの方で、たまたま流れてきた他のフォロワーさんの、いいねツイートの内容が、色遣いや絵の雰囲気がとても好みのイラストだったので、反応すると、なんと、ツイート主がゆり葉さんご本人でした。
ゆり葉さんとの交流では、抽象的な話がとても楽しくて、お話をしていると銀河遊泳しているような、話がいろいろな所に展開されていく感覚に、癒しを覚えるのです。
私は、自分が星のことやスピリチュアル、占いにも、昔から興味があったのに、周囲に合わせて押し殺していたことを、ここで自覚し「自分の好きなように見ていって、自分の手助けになるように使っていいよ」という許可を出すことができました。
「見えないものを自由に信じたいのに、信じると何か許されない気がする」という、自分一人では解くことに限界を感じていた鎖を、時には支えてくださったり、時にはアドバイスをくださったり、時には静かにただ見守ってくださったりと、解くお手伝いをしてくださいました。
このことだけでなく、私の他の分野においても、自分自身がかけた呪縛を解くために、その感性や優しさに支えていただいています。
交流を重ねていく中で、ゆり葉さんから、ただの真っ白だけではない「純潔さ」を感じていました。
影を知らず、人が経験した悲しみや辛さを、そのまま解かしてなくしてしまうような純潔さではなく、ご自身の気質を生かしつつ、相手の気持ちに深く共感され、その人の影の姿にも寄り添い、多くの方を支えておられる姿に、生きる辛酸を知っておられるからこそ、思わずそばにいて欲しくなるような安心を感じる「純潔さ」があるのではないかと、思っています。
そんな「純潔さ」を纏った人にふれるたびに、私も無防備ではない「純潔さ」を纏えて、安心するのです。
私は、自分自身の純白な心を護ることができる「純潔さ」を、身につけたいのです。
そのこころを、ゆり葉さんに、様々な側面から、ご教授いただけているのだと思います。
ゆり葉さん、いつも本当にありがとうございます!
これからも、ゆり葉さんのご活躍を応援させてください!!
ゆり葉さんの固定記事はこちら↓
ゆり葉さんのnoteトップはこちら↓
⚜
トップ画像は ゆり葉 | 引き寄せの法則とHSP@多忙につきご返信遅れます 様からお借りしました!
ありがとうございました。
みなさんからのスキに、今日も生きている実感を感じさせていただいています。
この記事にお時間をいただき、ありがとうございました!
それでは、今日はここまでです。
みなさんも、フォロワーさんとのよき交流を!
クリエイターの活動費として、使わせていただきます。 また、日本を中心とした、伝統文化を守り後世にも残して参りたいですので、その保護活動費としても使わせていただきます。