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母は知らない、私の告白

みなさん、こんばんは。綺羅です。

今日もnoteをご覧いただき、ありがとうございます。


今日は久しぶりに昼寝をしたくなって、思いっきり寝ました。

頭がスッキリしたのはいいのですが、問題は夜で、多分「寝られない」と、散々ベッドの中で言うのだと思います。

そうなればそうなったで、夜の暗闇を楽しもうと思います。

思い通りにならなくても、その状況を楽しめる余裕を持ちたいです。


この頃、親子で「社会問題」をテーマにしたドラマを、母娘で観ています。

特に「ひきこもり」を題材にしてドラマを観ていると、ドラマを観つつも、母が随所で謝ってくるのです。

そんな母を見ていると、なんだか少し、小さくみえてしまいます。



💞


私は、母とは違う人間なんだね。

当たり前だけど、日常生活ではそんなこと意識しない。

でも何か、母には出来て私ができないこと、私には出来て母ができないことがでてくると、意識せざるを得ないし、認めざるを得ない。

母と私は親子だけれど、他人で、違う人格。

それでも、私を育ててくれた人で、今でもお節介に見守ってくれる人。


だから、私が中学生の時に、いじめが原因でひきこもってしまって、その時に言われた

「学校にいけないあんたに、食べさせられるようなものはない!学校にいかないなら、外に出てないとダメ!」

という「ことば」は、さすがにショックだったかな。

いじめに弱すぎて、ごめんなさい。

強いこころが持てなくて、ごめんなさい。

不出来な娘で、ごめんなさい。

「ごめんなさい」しかいえなくて、ごめんなさい。


でも、時間が経ってくると、だんだん怒りが湧いてきた。

「なんで私なんか産んだんだよ。

ろくに私の話なんか聴きもしないで、

こんな時だけ”親”とか名乗るんじゃねぇよ。

そんなに仕事が好きなら、家なんか帰って来ずに仕事してろよ。

あんたなんか、親失格だ!!」

って、ずっと思ってて、でも、それを言う勇気がなくて、その怒りは、自傷行為につながった。

それでも、その時の私は、自分なりに必死だった。


ただ、知らない所では、母も必死だったんだね。

強い抗精神薬を飲んででも、私が思い通りに育たなくても、私を生かすために、私に「まなぶ」楽しさを体験させてくれるために、必死になって働いて、学問に打ち込めるように、してくれていたんだね。

毎日、養護教諭として、日中は子どもたちに向き合って、遅くまで残業をして、ヘトヘトになって帰って来るのに、私のことについても、状況を把握しようとしていたね。

多分、その時の母にとって、精一杯のことをしてくれていたのだろうと思う。

そのことを、はっきり教えてくれたのは、私が仕事を退職してから。

つい最近の出来事。

「なんで言ってくれなかったの?」って聞くと、

「私の調子よりも、綺羅の方が心配だったの。綺羅は、これからを生きていく人間なのだから。」

・・・なのだそう。


仕事を辞める前も、引きこもって、大げんかした。

「どうして普通に生きられないの、どうして仕事ができないの」そんな言い合いの繰り返し。

あの時点で、私を見限る選択ができただろうに、それをしないで、今では「ひきこもり」のドラマを一緒に観て、私に謝ってくる母が、なんだか小さくみえたし、「母娘」が余計にわからなくなったよ。


母は、私をいじめたいの?大切にしたいの?

どちらなのか、わからないよ。


どちらかわからないけれど、今、共にあることができている。

「共にあること」そのこと自体が、昔の私を救ってくれているような気がするんだ。

共にあっても、お互いにできないことはできないし、知らないことは知らない。


それでいい。

わからなかった時の私も、母も、両方を責めなくてもいい。


「共にあること」のそれだけで、私は母の娘であることが幸せだ。


母へ。

共にあってくれて、ありがとう。



💞

トップ画像は Aomy.様 からお借りしました!

ありがとうございました。


みなさんからのスキに、いつも癒され励まされています。

この記事にお時間をいただき、ありがとうございます。


それでは、今日はここまでです。

みなさん、いい夜をお過ごしください。



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