愛は当然のようにある。そこに氣づく。
子育てや夏休みが「楽しい!」と思えるお母さんを増やそう計画!!
ということで8月中は毎日子育てをテーマにnote更新しています。
(来月はどんなテーマにしようかなぁ)
困ったときに思い浮かぶ人って誰ですか?
唐突に質問しましたが
子どもの頃って「お母さん」な方が多いのではないでしょうか?
(お父さん、おばあちゃん、要は家族ってこと)
わたしは姉と弟がいて真ん中っ子あるあるで
わたしだけ愛されていないのでは?
と思いながら育ちました。
人を頼れない感じでこじらせていて
こじれにこじれ、集合意識を学びました。
親の愛を一身に受けて育ったという人もいるかもしれませんが
昭和生まれの方は褒められたことなんてあるかなぁ?
という方も少なくないと思います。
集合意識の講座では自己承認ができるようになると
今度は親を許す・親の愛を受け取るというフェーズに入ります。
親と向き合うようになると
「あんなこともしてもらった」
「こんなこともしてもらった」
が、出てきます。
今日ふと感じたのですが、
小さい頃に困った、ピンチのときに思い浮かぶのって
お母さんだったなぁ
ということは
自分でどうにかできるレベルのことしか起こってないから
親を頼らないで済んだだけで
それだけ大変な思いをしないで済んだ
んだなぁ~と。
十分お母さんの愛を受け取っていたから
お母さんは困ったら助けてくれるって知っていたから
顔が思い浮かぶ
あぁ、十分受け取っていたなぁ
受け取れていることに氣づいてなかっただけだわ
と、感じました。
「当然」と思っていると氣づけないことがたくさんある。
日常では氣づきづらいけど
家を出るとか
就職などで誰かの世話になる
そんなときに
親のありがたみ
愛を受けていたことを感じられるのではないでしょうか。
子育てがきっかけで「本当の自分ってなんだろう?」って向き合うきっかけになる方も多いと思います。
そう感じるのは
子どもへの愛があるから
子どもに愛を向けられるのは
自分が愛されて育ってきたから。
空気があるのを当然としか思わないのと一緒で
愛も当然にあるもの。
でも、その当然を氣づける感覚を持っていたいものですね。
インスタでも氣づきなどを発信しています。