「ジュウシマツとハンバートハンバート」
鬱屈した日々を過ごし、足元に目線を落とし、歩いていた。それに気が付き、少し多めに息を吸い込みながら前を見ると、横断する線路を照らす電灯が眩しい。ふと、左手に目線を感じる。雨に濡れた選挙ポスターが、それぞれの思惑をその写真に忍ばせている。
中学の時も、こんな風に足元ばかり見て歩いていた。個性を押さえつけられる教育に、全くもって面白味を感じなかったからだ。何冊もの教科書の入った通学鞄を肩に食い込ませ、補助バッグにバスケットシューズを詰めて、従わなければいけない規則に向かってレールの上を歩く。学校指定の真っ白な靴が、日に日にくたびれて汚れていく様に自身を重ねらがら。
家に着くと、父が洗面所で歯を磨いている音がする。かしゃ、かしゃ、とフローリングの上に爪をあてながら、せっちゃんがこちらへ寄ってくる。いつもの光景だ。二階のリビングに上がると、祖母はソファーの上で祈るように手を組み、仰向けになって目を瞑っている。母は空気を察するように、こちらを見ずにいてくれる。
のもので買った笹かまぼこを食べ、頭痛薬を水で流し込み、急いで風呂に入る。今日は観たいテレビ番組があるからだ。いつもと変わらない手順で入浴し、食事をしながら繋ぎでクイズ番組を観る。
毎週楽しみにしているネコメンタリー。番組表を見ると、今日はアメリカンショートヘアが出るらしい。いつも以上に期待しながらリビングにいると、その前のも観るんでしょ?と母が訊いてきた。
ネコメンタリーの前は、以前クラゲの話を書いた、又吉さんのヘウレーカという番組が放送されている。しかも今日は歌について。何ともタイムリーだった。正直、最近歌を歌う気分にすらなれていない程であった。そんな中促され、ヘウレーカも観る事にする。
人以外に歌を歌うのは、鳥とクジラだけらしい。ジュウシマツという鳥が歌を歌うという内容で、彼らは自分だけの歌を歌う。一年という短い寿命の中で、半分を練習に費やし、残りの半分、歌を歌う。求愛だ。
サプライズで登場したハンバートハンバートさん。数年前、又吉さんの番組がきっかけで知った。歌詞をのせずに歌を歌う事と、歌詞ありで歌う事の違いを聴かせてくれたが、歌詞のない状態でも十分に感動した。その後、歌詞ありでの歌唱で、終始涙目になりながら聴いていた。やはり言葉は素晴らしい。
時にはシンプルである事がいい。難しく無い方がいい時がある。ただ、難しいものを音楽に乗せる事で意味が伝わる事がある。これは又吉さんも言っていた。
ハンバートハンバートさんが歌っていたのは、「ぼくのお日さま」という曲。初めて聴いた時に歌っていた曲で、この曲のイメージが強い。サビの歌詞が、今の自分に重なって、情動が押し寄せる。
こみあげる気持ちで
ぼくの胸はもうつぶれそう
きらいなときはノーと
好きなら好きと言えたら
こんなにシンプルで心に突き刺さる歌詞は、僕にはきっと、書けない。それでも歌えと、そんな風に背中を押された気がする。
今夜は、ぼくのお日さまを聴いて、眠ろう。一人で聴いたら、きっと。
では、また明日。今日も最後までお読みくださり、ありがとうございました。