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死にたい理由

一言で表すなら、「生きづらいから」となる。


理由をまとめるのは大変だが、残された者のためにも記しておく。
思考を整理するという自分のためでもある。


生きづらさについて、主に5つの観点から記す。


①極度のネガティブ思考

繊細で傷つきやすく、ちょっとした出来事でも深く落ち込んでしまう。

そんな日々は苦しいし疲れる。

特に、仕事なんてストレス要因が無数に存在する。
私のようなネガティブ人間にとっては、針の上を裸足で歩き続けるようなものだ。


実際それで病んで4回も休職している。

①の理由について、詳しくは以前書いた↓の記事がわかりやすいかもしれない。
興味があれば参照されたし。


②老いへの嫌悪感

30歳までには死にたい。
物心ついた時から、そう思っていた。

鬱になるずっと前からだ。

人生の楽しみというのは、10代20代であらかた経験できると思っている。

社会人になってからは多くの時間を仕事が占める。
私のように仕事を「嫌なもの」としか認識していない人間にとっては、大半の時間は苦痛ということになる。

年齢を重ねると、心身ともに衰えていく。
見た目の劣化、傷の治りが遅い、性機能の低下、記憶力の低下、意欲の低下、体力の減少…etc.

昔はできたことができなくなる、寂れゆく自分を意識するのは嫌なのだ。

もちろん年齢を重ねても楽しめる人は楽しめるだろう。
仕事を通じた自己実現や、子どもを育てることに生きがいを感じる人であれば尚更だ。
しかし私はそのどちらにも興味がない。


今の年齢はついに29歳を迎えた。
タイムリミットだ。


繰り返すが、鬱になるずっと前から30歳までの死を望んでいた。

そのため、鬱でどうしようもなく苦しいから死を望んでいるわけではない。
仮に鬱が治っても、元来持っていた死への渇望は消えはしないのだ。


③生きる理由がない

「理由」を「意味」や「目標」と置き替えてもいいかもしれない。

漫然と過ごす日々に、意味を感じられない。

例えば結婚願望とか、将来猫と一緒に暮らしたいとか、何か目標があれば人生にハリも出るのだが。
どうしてもやりたい事は、特にないのだ。


生きる理由なんてなくていいんだよ!深く考えるな!という人もいる。
大半の人はそうなのかもしれない。


しかし、私の感性は違う。
生きる理由がない事自体がストレスだし、それが鬱の一因でもある。


「30歳までに死にたい」とも繋がると思うが、生きる事への欲求…いわば「生欲」が少ない人間なのだ。


生まれつき性欲が弱い人がいる。
食に興味がない人がいる。
それらと同様に、私は生欲が弱い。


④メリットとデメリットの問題

①でも挙げた通り、私のような人間にとって人生は苦痛となる要因が多い。

そこで生きるメリットと死ぬメリットを考えた時、後者の方が圧倒的に大きいのだ。

生きる事で得られる楽しさ、嬉しさ、幸せ。
それも多少は存在する。

しかし、それを苦痛の量が上回っている。


道徳的な観点から自死が認められないのは仕方がない。
ただ、合理的な観点から見るとどうか。
私の中の合理性は死を推奨しているのだ。


⑤生きづらさを助長する性質

HSP発達障害傾向といった性質。
枚挙に暇がない。
特に重要だと思われるものを、箇条書きする。

・直前の予定変更や臨機応変な対応に弱い
・自己肯定感が低い
・何事も真面目に考えすぎる
・ちょっとした事で気が逸れる(溜息や物音など)
・ニュアンスを読み取れず、言葉通りに受け取る
・空間認識能力が低い

発達障害傾向については比較的軽度なため、友人からはしっかりしている、優秀などと言われることも多い。

しかし、日常生活を送る上ではこれらの傾向は目に見えづらい部分であり、理解を得られにくいということでもある。
(例:空間認識能力の低さ)


より極端に障害の特性が強い人であれば、その人なりの悩みもあるだろう。
優秀な人であれば、優秀な人なりの悩みもあるだろう。

軽度の障害傾向持ちの私は、私なりの悩みを抱えている。



ざっとまとめるとこんなものだ。

この記事は私にとって非常に大きな意義があるので、適宜加除修正するかも。


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