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誕生日に何を思う

今日は29歳の誕生日。

もう29なのか。

社会人になってからの歳月はあっという間に流れる。
ついこの間大学を卒業したと思ったら、気づけばこんな歳。


もうすぐ今日も終わる。

今の気分は、正直悪めだ。
最悪というレベルではないが、落ち込んでいる。
時折涙ぐんだりもしている。


良い区切りだし、今の思考を垂れ流してみるか。

そんな事を思いながらnoteを綴る、誕生日の夜。


この一年間は、激動の日々が続いていたように思う。

深い鬱と激しい希死念慮に襲われ、何度も◯を考えた。
29の誕生日まで生き永らえるなんて到底無理だと思った事もたくさんある。


noteを始めて、感情を書き殴って、色々な人の記事を読んで、色々な境遇を知って、励まし合って、時には直接人と会って、ボドゲ会を開いたりもして。

楽しい事がたくさんあった。
嬉しい事もたくさんあった。

苦しい事もたくさんあった。
辛い事もたくさんあった。


それでもトータルで見れば、良い事の方が多かったのだろう。
でなければ、こうして今日を迎えることなどできるはずもない。


人の優しさにたくさん触れた。
人のあたたかさにたくさん触れた。

色んな人と関わって、note上で、あるいは直接話して、仲良くなった人もいて。
そんな人達に支えられて、今日を迎えた。

関わってくれた人々には、感謝してもしきれない。


「生きていればいい事もある」と言う人がいる。
それを理由に、人の◯を止める人もいる。

確かに、それは事実なのかもしれない。



だが一方で。

「生きていればよくない事もある」
それもまた事実だ。

悲しいほどに、事実なのだ。

そして私のような心の弱い人間は、どうしてもよくない事に目を向けてしまう。

何となく安定したような日々を過ごしていても、一度嫌な事が起きるだけでガクンと落ち込む。

そうしてすり減った心は、簡単には治らない。
治ったように見せかけても、心の耐久値は永続的に弱く、脆くなっていく。


noteで色々な人と関わってきた。
ほとんどの人は他人の痛みがわかる、優しい人ばかりだ。

しかし、やはりたまに落ち込む出来事もある。
人と関わるという事は、常にそのリスクも孕んでいる。


信頼していた人に拒絶され、失意のどん底に落ちた時もあった。
ある程度立ち直るのにだいぶ時間がかかった。

しかし、完全に立ち直る日が来ることはもう無い。
トラウマになったし、似たような出来事がある度にフラッシュバックし、私の心を締めつける。

何度も会った人から突然ブロックされた経験もある。

むろん、相手からすれば何か理由があったのだろうが。
何も話してはくれなかったので、こちらとしては知る由もない。


「絶対に行く」と言った人から、ボドゲ会を当日ドタキャンされた事もあった。

絶対という言葉の、何と空疎な事か。
一度傷つくと、もうその言葉を信じる事はできなくなる。

人を信じる事も怖くなる。
ぞんざいな扱いをされる、自分に問題があるに違いない。
そう考え、自分を信じる事もできなくなる。

参加者の過半数が時間通りに来なかった回もあった気がする。

もちろん理由は人それぞれあるだろうし、体調不良などの正当な理由で遅刻やドタキャンせざるを得ないケースもある。

しかし、当日に遅れるとかキャンセルとかそんな連絡が相次ぐと、自分が軽んじられている気になる。

何をやってもうまくいかない。
何をやっても無駄なんだ。
そんな気持ちになる。

そんな気持ちになるような、繊細な性格に生まれた私はつくづく生きるのに向いていない。


最近、心を揺さぶられるような嬉しい出来事もあった。

とても尊敬していて信頼している友人から、◯なないでほしいと言われた。

その人は今までは一貫して◯があなたにとって最も幸福なら、止めることはしないというスタンスだった。
それも優しさだ。

しかしある時、そう言い続けていた友人が初めて本音で、やっぱり◯んでほしくないと言ってくれた。
ものすごく感情のこもった言葉だった。

私の心は打ち震えた。
一言ではとても言い表せられないような複雑な感情が渦巻いた。
だが何より嬉しかった。


けれど、そんな嬉しい出来事があっても、やはり前向きに生きようという気持ちにはなれていない。

何か辛い事を考えたり、嫌な事が起きたりすると希死念慮が顔を覗かせる。

どうせダメなんだ。
これから先うまくいくはずがない。

そんな諦めの思考に囚われる。


前向きに生きたいと、継続的に思えるようになる事はもうないのかもしれない。
もう手遅れかもしれない。
そう思えるようになるには、あまりにも傷つきすぎてしまった。

もうダメなんだ、と思うための材料が整いすぎてしまった。


人に期待するのが怖い。
自分に期待するのが怖い。

裏切られた時、地獄のような苦しみを味わうのが分かっているから。


でも何にも期待できないような人生なら、それこそ生きている意味がない。


今の私は、生死が不安定な状態だ。

友達に、親に、何かに堰き止められ、◯を思いとどまる。

かと思えば妄執に取り憑かれ、生きる事を諦める。

そんな思考をぐるぐると繰り返す日々。
何がしたいのか、何故生きているのかわからない。


宙ぶらりんな日々を過ごしている。

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