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#85貧乏人が語る心の豊かさとほんとうの自由


めっちゃ貧乏になった

こんにちは、アークです。
実は今、かなりの金欠です。

というのも転職してから、

試用期間の給料が今までよりも
50,000円程下がってしまいました。

正直、生活していけるか不安です。

せっかく転職して休みが増えたのに
遊びに出かける金がありません。

それどころかこの先、
生活していけるかもわかりません。

不安が募りに募って、気分はどん底でした。

そんな私が今前を向けているのは、
心が豊かなおかげです。

破産目前の状況で、
どのように心の豊かさを保っているのか。

興味があれば続きをお読みください。

心の余裕は内側から生まれる

金って何のためにあると思いますか?
なんかの本に書いてありましたが、

金って心の余裕や安定源としての役割が
とても大きいそうです。

裏を返せば、

心の余裕を自前でなんとかすれば
大金を持つことのメリットってありますか?笑

そもそも大金持ちの中にも、
不安を抱えて生きている人はいますよね。

では、心の余裕って大金を持てば
手に入るのものでしょうか?

おそらく違います。

それはただの誤魔化しにすぎませんし、
単なる心理トリックのようなものです。

それに仮に金で心の余裕を保っているなら、
その金が無くなったらどうするんですかね?😂

本当の心の余裕とはどこから生まれるのか。
それは自分の外側ではなく内側です。

人格、考え方、マインドセットなど、
内面的なものこそ根本的な余裕の源泉です。

ちなみにヴィクトールフランクルという
心理学者がいます。

彼は強制収容施設の収容者として、
想像を絶するほど過酷な体験をしたそうです。

そんな彼はこう言っています。
“人間には誰しも絶対に奪えない自由がある”

※一般的に選択の自由と言われています。

どれほど醜悪な環境におかれても、
この世を去るまで他者を思いやり、

立派な振る舞いをした収容者を
近くで何人も目撃したそうです。

ヴィクトールフランクルの
言うことが正しければ、

私たちの内側には、
誰にも干渉することのできない自由があります。

そのような不可侵の内的な領域を
豊かに保つことを考えれば、

外的な豊かさなぞ取るに足りないでしょう。

鋳造された自由と、ほんとうの自由


とはいえ、とある哲学者は言いました。
“金とは鋳造された自由”であると。

確かに金があれば、
私たちのありとあらゆる欲求が満たせます。

金とは単なる手段なのですから、
あらゆる目的を成せるのは当然です。

私が金に困っていなければ、
コンビニで何も気にすることなく、

好きなスイーツやペットボトル飲料を
躊躇なく買うことでしょう。

でもね、私は疑問に感じます。

真の自由とはありとあらゆる欲求を、
満たすことなのでしょうか?

違いますよね。
先ほどの話によれば、

自由とは欲求や衝動に屈することなく、
自分の内面的な本質に従うことです。

偉大な心理学者アドラーの教えが書かれた名著『嫌われる勇気』には、

こんな一説が登場します。

“ほんとうの自由とは、転がる自分を下から押し上げていくような態度なのです”

そうそうこれこれ!!

私たちは欲望や衝動を満たすために生きているのではない。

寧ろ、そのような坂道を駆け上がっていくことが本懐でしょう。

そしてこのような生き方をするには、

私たちの内側にある不可侵の領域を
フルに活用していくしかありません。

結局のところ内的な概念である自由を、
物質として鋳造することなどできないのです。

自由になるための指針

ここまでくれば自由とは何なのか。
少しは輪郭が掴めたと思います。

では、お待ちかねの
どうやったら自由になれんねん!!
をお話ししていきます。

ズバリ結論を申し上げます。
それは、、、、
自分の人生を生きること』です。

、、、、
まあ、よくわからないですよね😅
でもこれが答えなんです。

というのも嫌われる勇気で紹介されている
ユダヤ教の教えにはこんな言葉があります。

“自分が自分のために自分の人生を生きていないのであれば、一体誰が自分のために生きてくれるだろうか”

これはつまり、

自分の人生を自分の代わりに
生きてくれる人はいないということです。

そして裏を返すとこうなります。

“自分の人生を生きろ”

この指針がどのように自由につながるのか。
一見、繋がりがないように感じますよね。

でもよく考えてみてください。

強制収容所を経験した
ヴィクトールフランクルは、

人の内面には決して侵害できない
自由があると言い残しましたよね。

では、私たちが自分の人生を生きることは
誰かに侵害することができるでしょうか?

もう一度言いますが、

自分の人生を生きることは
自分にしかできないのです。

つまり、外部に存在する全てのものは、
あなたの人生を生きることはできません。

あなたの人生はあなただけが生きられる。
それはある意味で不可侵と考えられますよね。

勿論、影響を受けることはあります。

生殺与奪の権利でさえ、
外部環境が握ることも然りです。

ですが、あなたに命がある限り、

あなたが自分の人生を生きることは、
何をもってしても侵害することができません。

要するに、この指針は私たちの内面にある
不可侵の自由を言葉に書き起こしたものです。


正直これが完全な表現ではないかもしれません。

ましてや、この言葉には定義すらありません。
それは人それぞれ自分で決めるものです。

ちなみに、、、
個人的な見解を述べると、、、

『自分の人生を生きること』

それは欲望や衝動に流されるのではなく、
自己の価値観に従って生きることだと思います。

私の自由と心の余裕の在処

ここまで話してみて、正直、
「とても抽象的な結論になってしまった」

という印象です😓

とは言っても、

自分の人生を生きるという指針を掲げてから、
貧乏なことで悩まされたことはありません。

何故なら私には不可侵の自由があるからです。

私は今とても貧乏で金がありません。
でも、だからといって

人生に有り難みや
幸福を感じながら、
日々生きることを、

一体何が邪魔できるのでしょうか?

ここまで読んでくださった皆さん、

最後になりますが、
せっかくなので覚えて帰ってください!

自由とは自分の人生を生きることである。

ps:貧乏は辛いです🥲

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