強迫性障害(不潔恐怖)の罹患~克服まで

はじめに

この体験談は、私個人が強迫性障害(不潔恐怖)に罹患してから克服(本人がそう思っているだけで通院は終わっていません)までをまとめたものです。
同じような症状に苦しんでいる方の参考になればと思い、そして自分自身の備忘のために書いています。


本人について

37歳男。東大卒の海外MBAホルダー。外資系コンサルを経て複数の事業会社で事業責任者として新規事業の立ち上げやグロースに従事。数字や論理に細かい左脳派。
在日外国人として幼少期を過ごし、特に小学校時代は、「言葉の分からない親に代わって自分が家を守らなくては」と思うことが多かった。今でいうアダルトチルドレンのようなニュアンスでしょうか。学校の先生や大家などと親の間の日本語のやり取りは大体自分が間に入った。
小学校では服をたくさん持っていなかったことから「あいつ毎日同じ服着てる、きたねー」とからかわれたり、「〇〇菌、エンピー(人に菌があるという遊び?でそれをタッチして他人に移し、エンピーと唱えるとバリアが張られて菌が移されなくなる謎の遊び)」の〇〇菌の対象にされたりしたこともあり、〇〇菌にされないように神経質になったり、汚れに間接的に触れることにも気になるようになった。
糞尿に対しては特に敏感だったが、潔癖症というほどでもなく日常生活を送れており、そのまま進学、就職と普通に生きていた。
ところが、2018年のある日を境に強迫的な洗浄行為をするようになった。

罹患

2018年の春ごろ。2017年に2年間のMBA留学を終えて日本に戻って転職し、住むところも変われば仕事も変わり、恋人も変わったなど大きな環境の変化があってちょうど落ち着きだした頃。仕事がひと段落して余裕ができ、たまたま外食していた対面の人がお手洗いに行った際に持っていたバッグからマフラーが垂れていて、それが男女共用のトイレの洋式便器に触れたのを目にしてしまい、洋式便器には尿がついている可能性が高いためそのマフラー=汚いと思うようになり、そのマフラーをまいたり触ったりしているその人も汚いと思うようになった。
翌日、オフィスのトイレの男性用小便器で用を足しているときにふとこのマフラーの一件が頭の中に浮かび、小便器から尿が跳ねているのではないか?と疑念を持つようになった。
以前からテレビCMで「尿はねに効果あり」とうたっているトイレ床用洗剤なども目にしており、「尿が便器の外にはねる」という不都合な真実が現実味を帯びるようになり、実際に跳ねているところを目にしたことから、特に男性の腰から下には尿がついていて、そこに触れた手で触れたものは全部汚いと思うようになった。そしてそれが触れたであろうと頃は全部ウェットティッシュで拭いたりして洗浄しないと気が済まなくなるようになった。
暇ができると余計なことを考えることになり、それが強迫を強化するということが本にも書かれていたが、まさにその通りのことが起きた。
いちいち汚れたかもしれないところを過去の行動の記憶をベースにリストアップしては、ウェットティッシュで拭いたり洗濯機を回したりといったことにしばらく時間を取られるようになったが、一回綺麗にすればあとは汚さずにすればよいので一過性のことではあった。

生活で困ったこと

男性が腰から下に触れたのを目にすると、その後触れたものは汚いと思うようになり、例えばその手で名刺を渡されるとそれはスマホにとってさっさと捨てて手を洗うように、汚れが広がらないようにしていた。
だんだんと「それは汚いか?」と気になるようになり、例えば仕事で客先訪問時に受付で首からかけるタイプの入館証を渡されると、首にかけた状態で椅子に座ると入館証が腰から下に触れてしまったことから、「不特定多数の人が使っているこの入館証は不特定多数の人の尿がついている可能性がある」と思うようになり、この入館証が触れたものやその入館証を触った手で触れたものはすべてウェットティッシュで拭かないと気が済まなくなった。
このようにして、だんだん汚いと思うものが増えてきて、汚れが広がる前に汚れをふき取る、もしくは汚れが広がってしまったらその範囲をすべてふき取るという洗浄行為が常態化してしまった。
ウェットティッシュで拭くのもだんだんしんどくなり、洗濯機で楽に洗えるように、着用する服装もユニクロなど簡単に洗えてすり減っても痛くもかゆくもないものを着るようになり、かつて好きだったジャケットなどは着れなくなった。
当然靴にも尿が飛んでると思えば、靴はすべてウェットティッシュできれいにし、男性用小便器を使わないようにしていた。
どうしても使わないといけない時用に、汚れてもいい靴を用意し、家に帰る際は必ず汚れ用のスリッパを履くことでフローリングなどに汚れを広げないようにするようになった。
そして尿が飛んでる靴から脱いだ足にも尿がついてるかもしれないと思うようになり、そんな足で触れているだろう場所(靴を脱いで上がる居酒屋や旅館、他人の家)も敬遠するようになった。
糞尿だけでなく他人から出たもの全てが汚いと思うようになってきて、歩いているときにランナーや自転車とすれ違うと、「今目に見えないレベルの汗が飛んできたのでは?」と思うようになり、その時に着用していたものはすべて洗濯機に入れない時が済まなくなった。これによって気軽に外出して散歩するとかもしづらくなった。とはいえ仕事や日常生活ができないようなことはなく、不自由さを感じながらも日々を過ごせていた。
そして2020年からコロナ禍のおかげで外出自体が制限されたり職場がリモートワークになったり外出先には必ずアルコール消毒スプレーがあったりと割と生きやすい環境にはなり、多少ウェットティッシュで拭いたりするだけで日常生活は送れていた。パートナーも洗浄行為に付き合ってくれていたこともあり、易きに流れてしまった。これが4年ほど続いた。

受診

2019年秋からパートナーの勧めで自宅近くの精神科を受診したものの、研修生上がりの医師だったのが、本をめくりながらマニュアル通りにパキシルを出され、数週間ごとに増量していった。事前に本を読んでおり、この手の強迫性障害は薬物療法では完治は難しく認知行動療法をしないことには意味がないとのことだったので、少し治療方針に疑問を持った。
数か月で当該医師が異動となり、どうせ新しい医師に代わるのであれば認知行動療法ができるクリニックを探そうと思い、ネットで探したところカウンセリングが保険適用のところをみつけ、2020年春にそちらへ転院。
同じ薬を出してもらいながら心理療法士のカウンセリングを受けるものの、いかんせんカウンセリングと認知行動療法はイコールではなく、行動を強制されるわけでもないし、日常生活は送れていたのでいわゆる曝露(エクスポージャー)は全くやるモチベーションがなく、4年ほど過ぎていった。
そして、だんだんと通院するのが面倒になり、2024年の年明けに勝手な判断で通院をやめ、パキシルも飲まなくなった。
薬の中断による離脱症状が心配だったか、特に何も起きなかった。

立ち向かおうと思ったきっかけ

先述の通り、日常生活は送れていて通院もやめたが、2024年夏に職場での大きなストレスによりうつ症状が出てしまい、急いで精神科を受診したところ、レクサプロを処方され、それによって症状が落ち着いた。
そして改めて今後の人生を考えたときに、いつまでも強迫性障害から逃げていてはQOLが著しく低いまま人生を終えることになるだろうし、そんなのは嫌だと強く思うようになった。
それと同時期に両親とドライブ旅行に行った時も、自分の車の中を洗浄したくないことからできるだけホテル内の備品含め触れないように気を付けていて、まったく旅が楽しめなかった。
おまけに、両親が触れたものすら汚いと思うようになったようで、自分の車に両親を乗せることも適当に理由を付けて拒否して親には親の車で来るようにしたうえ、両親の手が自分に当たると当該箇所を洗浄してしまったことに愕然とし、人間としてこのままではいけないと思うようになった。
病気を治し、何も余計なことを考えることなく外食やお出かけ・旅行といった普通の日常を楽しみたいと思うようになった。

暴露療法を受けてみて

原井クリニックの3日間の集中曝露治療プログラムについてはネット検索で見かけて興味を持ったものの、患者の体験談を読むと便器に手を突っ込むとかなかなかハードなことをするようで、少し二の足を踏むような思いもあったが、上述の通り、このまま惰性で生きていくのは嫌だったので、エイヤーと転院を決める。
そして初診の後、2週間後にプログラムの予定があるとのことで、その場で申し込みを決定。
初診の際に改めて状況を整理し、自分の場合は自宅が聖域で、自宅に汚れ(と思っているもの)を持ち込まないために洗浄行為を行っていた。
この聖域をなくす(自宅とそれ以外の境をなくす)ことで、強迫性障害がよくなりそうな希望をもち、2週間後の3日間集中治療プログラムに申し込んだ。
とはいえ便器に手を突っ込むのは嫌だなと思いつつ、自分を納得させる論理をいくつか用意した。

  • 糞尿は口から入れた綺麗な食べ物が所定の化学反応を起こしてできた化合物であり、ラボで人工的に合成できるはず。

  • 自分の糞尿と他人の糞尿に本質的な違いはない

  • 大雑把に大腸菌=糞と思っていたが、食品工場ですら大腸菌はゼロではなく、ゼロかゼロじゃないかという考えではなく基準値未満か否かという考え方で運営されている

  • 自分の強迫は汚れがゼロかゼロじゃないかという基準で洗浄行為をしているが、そもそも99.9%除菌のウェットティッシュで拭いたところで、多少は大腸菌は残っているわけで、拭いていないそこら中にも大腸菌はあり、程度の差はあれど基準値に満たないからこそ健康被害が出ていない。基準値未満か否かに考えを切り替えても問題ないのでは?

  • そもそも聖域として守っている自宅って、本質的には旅先で借りているホテルと違いはなく、旅先のホテルでは洗浄行為は一切しないのに、自宅は汚れゼロを目指すのはおかしいのではないか?自分がマイホームとして所有しているから執着しているだけでは?自宅=1万泊くらいの連泊で借りているホテルと思えば、毎日の洗浄行為は非常にばかばかしいのでは?

そしてプログラム当日。
初日はオリエンテーションだけかと思いきや、帰宅後の課題としてシャワーを浴びない・トイレの後に手を洗わない・できる範囲で聖域を汚すというものがあり、少々面食らったものの、「聖域をなくして罹患前の生活に戻りたい、そのためにまとまったお金を払っている」と自分に言い聞かせ、汚れてもいい靴から脱いだ足で汚れ用のスリッパを履くことなくそのままフローリングに着地。そして洗っていない手で壁や家具やカーテン、ベッド等そこら中をべたべたさわり、外で用を足したジーンズも脱ぐことなくそのままの状態でベッドに横たわって左右にごろごろ。ソファにも座り、お気に入りのぬいぐるみも一体ずつタッチしていると、だんだんと汚れとかどうでもよくなってきた。まさに自宅=旅先のホテルに思えてきた。
2日目。初日でだいぶ吹っ切れて、汚れるのが嫌+洗浄しづらいレザーシューズやレザーバッグ・財布を5年ぶりに取り出し、クリニックに向かった。
詳細は省くが、便器を含む様々なものに触れては汚れを広げるようなエクスポージャを行った。前日にも思ったが、やはりある程度の強制力(お金を払った+できたかどうか翌日報告しないといけない)があったからこそ今までやろうとも思わなかったエクスポージャができたわけで、さらにこのプログラムは自分だけでなく他の患者もいて、彼女らが一生懸命取り組んでいるさまも刺激となり背中を押された。今までの6年間は何だったのか?と思うくらいあっけなく症状が消滅した。
3日目。引き続きプログラムを続行。改めて考えるに、自分の強迫とは、不潔そのものが怖いのではなく、不潔かもしれないと思ったものをそのまま放置することに不安を覚え洗浄せざるをえないことだったのではないかと思った。
実際に不潔と思える状況にしながら洗浄しないどころか聖域である家中に広げていく過程で、もはや洗浄なんかばかばかしくてどうでもよくなった。

強迫で苦しんでいる方へ

自分の場合、3日間集中治療プログラム直後から聖域がなくなり、あっけなく罹患前と同様の生活を取り戻せました。
もちろん、再発の可能性はゼロではないので、定期的に通院は続けて様子をみますが、憑物が落ちたのか心が軽く、街を歩いていても今まではランナーや自転車が近づいてこないか前後左右をきょろきょろしていたのが、今や前だけを見るようになり、「あの建物の上の方ってこんなデザインだったんだ」など新たな発見があったりと毎日がワクワクしています。聖域を汚したら洗うという概念が今やなくなり、何も余計なことを考えずに気になったカフェに立ち寄ったり外食もガンガンしています(おかげで短期間で体重が増えました。。)
ここでの体験談は万人にとって助けになるものではないと思いますが、多少なりとも参考になれば幸いです。
そして3日間集中治療プログラムを通して様々な患者さんとも交流しましたが、同じ人生が2つと無いように同じ症状も2つと無いので、1人で苦しまず受診して自分に合った治療法を医師と話し合うのが良いと思います。
そして強迫性障害は薬を飲めば治るというものではないので、認知行動療法にある程度の強制力を持って取り組むと良いかもしれません。自分の場合はそれを怠り、6年ほど現状維持でなあなあと生きてきた代わりに無駄に強迫に苦しんできたと今となっては思います。


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