理想の自分を追い求めて。
「理想の自分」を思い描くとき、どんな気持ちになるだろうか?
胸は高鳴り、温まるだろうか?
それとも糖分が限りなく低い苦々しさが広がるだろうか?
自分のことを知らなさすぎた20代の頃、私は「理想の自分」を掲げる度に苦しさを抱えていた。
根底に強烈な自己否定があり、否定の延長線上に理想を掲げるものだから、全く本来の自分とは正反対の方向に向かおうとしていた。
今となっては笑えるのだけど、私は天然風味のふわふわした女子になろうとしたし(それどころか自分の目的のためにはめちゃくちゃしたたかで、仕事に関しては男よりも男らしいと同僚に評されるような女だ)、
ピンク色のニットやパステル調の花柄スカートを好んで身につけた(今来ているのはネイビーのシンプルなカットソーに、ブラックデニムだ)。
私は苦しみの中にあり、きっと他者にはチグハグな印象を与えていただろう。
もちろん、今の自分が100%自分らしいかと言われたら、そんなことはない。
まだまだ知らない自分がいるし、どんどん変化もしていく。
だけど1つだけ変わったことは、「理想の自分」を思い描くとき、私の心の中にはあたたかいものが広がるようになったということ。
ああならなきゃ、と焦る気持ちがなくなった。
そうなれない自分を否定することもなくなった。
私の胸にあるものは、そんな自分になれたらどんなに素敵だろう!という高揚感と、今の自分の延長線上にその自分はいて、しかるべき努力を怠らなければ手が届くイメージだという確信だ。
仕事は自分の強みを活かして、自分だからできるアウトプットを世に送り出していたい。
もちろん、私の強みの1つとして「書く」があるから、書くことがアウトプットの中に含まれていることは必須。
服装は、ブランド品ではなくてもいいけど質の良い自分に似合うものを厳選して毎日心地よく纏っていたい。
体型は、無駄のないすっきりとして筋力のある体でいたい。(これが一番難しいかも。笑)
家族や友人や職場の仲間はもちろん大事だけど、自分の1人の時間やペースを守っていたい。
自分中心の人間であることはもう変えようがないので、少なくとも大切な人たちには不義理をせず、家族には愛情を注げる自分でいたい。
他にもあるけど、「理想の自分」の大事な部分はこんなところ。
まだまだな部分はたくさんあるけど、そこそこ悪くない線に来てるんじゃない?という箇所もある。
きっと今掲げている理想に到達したときには、私の中には新しい理想が生まれているに違いない。
一生、追い続ける。
一生、求め続ける。
それこそが自分を生きる醍醐味だと、少しだけ自分らしくなれた私は思うのだ。
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