新井紀子著|AI vs. 教科書が読めない子どもたち
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今回は東洋経済新報社さんから2018年2月15日に出版された、新井紀子さんの『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』をご紹介したいと思います。
本題に入る前にお知らせをさせてください。
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それでは本題です。
本書は、数学者でもあり、AIの第一人者でもある著者が、近年のAIブームに警鐘を鳴らし、今のAIブームは誤解だらけだと言ってるんです。
何も分からずに、騒ぎたてるのではなくて、正しく知って正しく恐れてくださいと言っている一冊です。
どういうことかと言うと、シンギュラリティと言う言葉を耳にしたことがあると思うんですけど、シンギュラリティというのは、「技術的特異点」と言って、AIが人間の知能を超えてしまうことのことをいいます。
要するに、AIがAIを作り出して、いずれ人間はAIに使われるようになる。
ですが、「そんな未来が実際に来るのか」と言う事なんですが、著者ははっきりと「そんな未来は絶対に来ない」と言っているんです。
だからといって、「じゃあAIに仕事をとられて失業するっていうのは嘘なんだ」と思って、安心してしまってはダメなんです。
残念なことに、シンギュラリティは来ないし、AIが人間の仕事を全て奪ってしまうような未来は来ませんが、人間の仕事の多くが、AIに代替される社会はすぐそこまで迫っているんです。
つまり、AIは神や征服者になる事はないんだけど、人間の強力なライバルになる実力は、もう十分に培ってきているんです。
要するに、私たちが想像しているような恐ろしい未来は来ないんですが、人間が追い詰められる事は間違いないんです。
まず、そもそも私たちが思っているAIの定義が既に間違っているんです。
AIはまだ存在しない
AIとは人工知能のことで、知能を持ったコンピューターのことなんです。
人工知能と言うからには、人間の一般的な知識と全く同じとまでは言わなかったとしても、それと同等レベルの能力のある知能でなければいけないんです。
要するに、そんな知能を持ったAIと言うのは、この世にまだ存在していないんです。
私たちがAIと言っているのは、実は「AI技術」のことなんです。
AI技術と言うのは、そのAIを実現するために開発された、いろいろな技術のことで、
例えば、「音声認識技術」「自然言語処理技術」「画像処理技術」他には、「音声合成技術」だったり、ネット検索でお馴染みの「情報検索技術」や「文字認識技術」などです。
要するに、これらの技術がもっと進化していけば、もしかしたらAIというものができるかもしれない、と言うパーツに過ぎないんです。
その技術のことを私たちはAIと呼んでいるんです。
AIの歴史
そんなAIが、どんな進化を遂げてきたのか、世界で最初にAIと言う言葉が登場したのは、1956年のことで、この時、AIにできたのは、複雑な迷路やパズルを解くことです。これが第一次AIブームです。
そして、1980年代に、エキスパートシステムと呼ばれる、実用的なシステムの第二次AIブームが到来するんです。
例えば、コンピューターに法律の知識を学習させた上で、あらかじめ決めておいたルールの下ならば、弁護士のように振る舞ことができるシステムのことです。
そして第三次AIブームと呼ばれているのが、今私たちが認識しているAIです。
第三次のAIは、インターネットの普及によって、いろんなデータが集まるようになったことで、そのデータをコンピューターに繰り返し学習させて、そのデータの中にある、パターンや経験則だったり、重要度を事実的に認識させることができるんです。
意味を理解できないAI
そんな中、著者も参加していた、「ロボットは東大に入れるのか」というのを実験する、人工知能プロジェクト「東ロボくん」が、2011年に始まったんです。これはAIには、何ができて、何ができないのかを解明するプロジェクトだったんです。
結果は、世界史や数学は東大に合格できるレベルだったんですけど、英語と国語が全く駄目だったんです。
ここで明らかになったのが、AIは全く言葉の「意味」を理解していないと言うことです。
例えば、「太郎が花子が好き」と言うのと、「花子は太郎が好き」という言葉に対して、AIは全く意味が理解できないので、この2つの違いがわからないんです。
私たちは、普段スマホでお店を検索したり、電車の乗り換え案内などをスマホで調べたりしますよね。
ですが、AIはそれらの意味を理解してるわけじゃないんです。
AIは、私たちが入力したものに応じて、計算して答えを出しているに過ぎないんです。
要するに、AIはコンピューターなので、コンピュータは計算しかできないんです。
つまり、計算できないこと、数字に翻訳できないことは、処理できないんです。
ここで、iPhoneを持っている皆さんに、少し試してみて欲しいんですけど、Siriに、「この近くのイタリア料理の店」と言って、検索してみてください。
その後に、「この近くのイタリア料理"以外"の店」と言って、検索してみてください。
驚くんですけど、この2つでは全く同じお店が出てくるんです。
これは、言葉を理解しているのではなくて、パーツごとに分解して、Siriがパターンに当てはめて、答えを出しているんです。
どういうことかと言うと、「この近くのイタリア料理の店」というのは、「近く」「イタリア料理」「店」と言うパーツに分解して、答えを出してるんです。
では、2つ目のイタリア料理「以外」のお店と言う、以外と言うのは、なぜ反映されないのか。
これは、「以外」と言う意味が、AIには認識できないんです。
なので、検索から除外されてしまうんですよ。
これが、計算できないこと、数字に翻訳できないことは処理できないという、AIの最大の弱点なんです。
数字と言うのは、4000年と言う時間をかけて、論理と確率と統計と言う、表現手段を獲得したんですが、これらには「意味」を記述する方法がないんです。
数字は、論理的に言えることや、確率的に言えること、統計的に言えることは、表現できるんですが、それ以外の事は表現できないんです。
人間なら簡単に理解できる言葉も、数字で表現するには非常にハードルが高いんです。
なので著者は、今のAIの延長や、今の数字ではシンギュラリティは来ないと言っているんです。
会話が成立しない
さて、ここまでAIについて長々と話してきましたが、本書のタイトルにもある「教科書が読めない子供たち」と言うのは、どういうことなのか。
先ほども言ったように、シンギュラリティが来ないのなら、私たち人間の出番は、まだまだたくさんあるように思われるんですが、ただの計算機にしか過ぎないAIに、代替されない人間が、今の社会の何割位を占めているんでしょうか。
世の中では、「AIに任せられる事は任せて、人間はAIにできない仕事だけをすればいい」とか、「AIに助けられて生産性は向上し、今までよりも長時間労働がなくなって、豊かな生活できるようになる」と言う、見通しを立てている人もいますが、AIの参入によって仕事が楽になって、私たちの生活が豊かになるためには、AIにはできない仕事を、大多数の人間が引き受けることが大前提なんです。
そこで著者は、私たちに聞いてくるんです。
「AIにできない仕事が、あなたたちにできますか」と。
AIが苦手とすることで、人間に簡単にできる事はたくさんあります。
例えば、「先日、岡山と広島に行ってきた」と言う言葉と、「先日、岡田と広島に行ってきた」この2つの違いは、人間には簡単に理解できるけど、AIには理解できません。
ですが、これを仕事として考えたときはどうでしょうか 。
AIにできない仕事は、多くの人間にとって簡単にできる仕事でしょうか。
何度も言いますが、AIの弱点は、応用が効かないこと、柔軟性がないこと、決められた枠組みの中でしか、計算処理ができないことです。
逆に言えば、応用力や柔軟性やフレームにとらわれない発想力など備えていれば、AIは恐るに足らないと言うことになります。
ですが、現代社会を生きる私たちの多くは、AIには肩代わりできない種類の仕事を、うまくやっていけるだけの読解力や常識、あるいは柔軟性や発想力を十分に備えているんでしょうか。
著者はそれを調べるために、大学生を対象に、簡単な数学のテストを作って実験したんです。
その問題のひとつが、
【問】偶数と奇数を足すと答えはどうなるでしょうか。次の選択肢のうち正しいものに◯をつけて、そうなる理由を説明してください。
A.いつも必ず偶数になる
B.いつも必ず奇数になる
C.奇数になることも偶数になることもある
答えはもちろんB.の「いつも必ず奇数になる」が正解なんですが、
この問題の採点基準になるのは、あくまでも「理由」の方なんです。
そして、採点を終えた著者は驚愕しました。
かなり甘めに採点しても、問題の正答率は34%にしか過ぎなかったんです。
回答した人たちの理由を見たら、
・全部やってみたらそうなった
・三角と三角を足したら四角になるのと同じ
など、誤答が多かったんです。
そこで著者は気づいたんです。
「これ会話になってないんじゃないかな」と。
著者は「証明せよ」と言っているのに、証明でも論理でもない答えを出してきたんです。
そこで著者は、読解力のテストをすることにしました。
その問題が、
【問】公園に子供たちが集まっています。男の子も女の子もいます。よく観察すると、帽子をかぶっていない子供はみんな女の子でした。そしてスニーカーを履いている男の子は1人もいませんでした。次の文章から正しいものを選びなさい。
1.男の子はみんな帽子をかぶっている
2.帽子をかぶっている女の子はいない
3.帽子をかぶっていてしかもスニーカーを履いている子供はいない
正解は1.なんですが、
驚くことに、この問題文を読み解く力がない子が、非常に多かったんです。
要するに、AIが最も苦手とする読解力は、私たち人間の多くも苦手としているんです。
近年、本を読めない子が多いと言われますが、それは本を読んでいても意味を理解できずに、ただ文字を追っているだけの人が多いと言うことです。
つまり本書の主張は、AIやテクノロジーの話ではなくて「AIに代替される未来で生き残るためには、読解力こそが全て」と言う話なんです。
ですが、残念なことに、読解力を明確に上げる方法というのは、まだ見つかっていないんです。
だからこそ、私たちにできるのは、AIがこの先の未来にどう入り込んでくるのかを、「正しく理解し、正しく恐れて、そこに向けて対策をとって、準備をしていくこと」なのではないかなと、私は思います。
先ほど挙げた例題の他にも、たくさんの問題が本書には載っているので、ぜひ本書を手に取って挑戦してみて下さい
今回は以上です
最後まで聞いていただき、ありがとうございます
それでは素敵な1日を
読書家のヒデした
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