第71回 第5逸話『食蓮人』その4
ブルームは角を曲がり、裏通りに入った。
誰もいない。遠くで子供がビー玉遊びをしている。
いよいよ文通相手からの手紙を開く。さっきなんかの毛かなと思ったものは押し花だった。
ヘンリー(ブルームの偽名)様へ
この間のお手紙どうもありがとう。(略)なぜ切手を同封なさったの? 私怒っちゃった。あなたをおいたさん(…って何? いたずらっ子の意味だそうです。なんか気になったので、原文でどうなっているか、調べてみました。
”I called you naughty boy” あなたをいたずら坊やと呼ぶわ。…そのままでした)
〜と呼んだのは、もう一つのworld(世界)が嫌だったからよ。あの言葉words(言葉。タイプミスでいらない「 l」 を打ってしまったおっちょこちょいマーサ)の本当の意味を教えてほしいわ。
あなたは家庭で幸せじゃないの?
(略)ねぇヘンリー、私たちいつ会えるのかしら?(略)今度はもっと長い手紙をください。もし、書いてくださらなかったら(書く=writeを、書いた=wroteにまたミスしてる)どんな目の合うか。愛しいおいたさん。
今日はなんだか頭痛がするの。お返事ください。
ps .あなたの奥さんは、どんな香水を使っているのかしら?
wordsをworldと間違う。これはとても象徴的だ。
言葉=世界=小説…。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~相変わらずわけわからん文章(手紙)。
なぜマーサはブルームのことを「オイタさん=イタズラ小僧」と呼んだのか?
これまで二人は2往復ほど手紙のやり取りをしてきたらしい。でも、それまでどんな内容の手紙のやり取りだったか、我々読者は教えてもらえない。
まず、マーサは前回の手紙でオイタさんという言葉を使っている。てことは、その前にブルーム宛の手紙の内容からマーサはそう感じたみたい。ではブルームは前々回、なんて書いたのか?
「妻がいる身で若い子とこんなこと…」みたいなことか?
じゃ、自分を「不貞者」とか「浮気者」みたいに卑下したのかな。
だからマーサは、自分もそれに加担していることで後ろめたくなり、茶目っ気ある言葉「オイタさん」という言葉を使った?
それとも単にエロネタ満載のセクハラ手紙に辟易して「イタタタ、この親父馬鹿だなあ」という意味なのかも。
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”これ、(こんな間違いだらけの文)本当にマーサが書いたのかなあ?”
マーサとブルームの出会いは、ブルームの出した新聞広告「求む、教養ある女性タイピスト、文筆に勤しむ紳士の助手」に応募してきた40人の中の勝ち抜いたのが(?)マーサ・クリフォード。
てことでブルームは、対価を払ってマーサと文通してる(今でいう援助交際の類? だいたい助手でもなんでもないと思うが…)。
ちなみにこの件にも元ネタがある。ジョイス本人がチューリッヒ駐在時の文通相手(!)、マーサ・フライッシュマンがそれらしい(文通が流行ってたのかなあ)。
読み終えると、それを胸のポケットにしまう。
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”会いたいだって? いやそれは結構。どうせ面倒が起きる。でもこの次はもう少し踏み込んでやろう。一度に少しずつ(接触せず、ただ妄想を楽しみたいだけらしい)”
ポケットに手を突っ込む。手紙を弄ると止めてあったピンを掴む。”あの娘の服にでもあったやつかな?”それを道に捨てる。
”あの晩クーム地方を歩いてた二人の娼婦〜あらメアリ、ズロースのピンがない。ずり落ちるのを止める〜頭痛か、ずっとタイプを打ってたから? 〜モリーの香水なんか聞いてどうするんだよ?”
”マーサ、メアリー、あの絵を見たのはどこでだったかな?”
マーサのことを考えていたブルームは、以前クーム地方で出会った二人の娼婦を〜そしてどこかで見た絵画のことを思い出す。
それはルーベンスが描いた、イエスがマルタ(マーサのヘブライ語読み)とマリア(でこちらはメアリ=モリー。つまり文通相手マーサと妻モリー、そしてイエスがブルーム。絵と自分を重ねている)
の家に訪問した時の絵
『Christ at the House of Martha and Mary』だ。
マルタとマリアはイエスの友達ナザロの妹たち。
”クームの娼婦もイエスに厚生してもらうのかな?”
ブルームは、ナザロの妹マリアとマグダラのマリア(イエスによって娼婦の身から救われた)とを混同している。だからクームの娼婦もイエスに会ったら厚生されるか、なんてぼんやり考えたブルーム。
手紙の封筒だけ取り出し、ビリビリ破いて道に捨てる(だめだよ)。
しばらくしてオール・ハロー教会の前に立つ。帽子を脱ぎ(教会の前だからお祈りするフリ)、ポケットから例のカードを出すと、帽子の内側に忍ばせた(この一連の動作がしたくて、わざわざ教会の前で足を止め帽子を脱ぐ周到なブルーム)。
”いけね、マッコイに会ったんだったら切符頼むんだった”
4話でブルームは、今度マッコイにあったらマリンガー行きの電車の切符を頼もうとしていたのを、今思い出してガックリ。
そんなこんなで、教会のドアの掲示を見る。
ジョン・コンミー神父による説教云々。
コンミー神父は『ユリシーズ』の前作『若き芸術家の肖像』にて、スティーブン・ディダラスが通うクロンコーズ・カレッジの校長先生として登場している。実在した人物でしかも当時現存している。『若き〜』では台詞もある。『ユリ』も『若き』も作者ジョイスの反自伝的要素が多分にあるが、事実と虚構がごちゃ混ぜになってる変わった小説。
で、そのコンミー神父はマーティ・カニンガムの知り合いらしい。カニンガムはこのあと第5話でブルームと一緒に故ディグナムの葬儀に参列する人。カニンガムにも元ネタの人物がいて、ジョイスの父の友人マット・ケインという法務局の役人だった人。この人は1904年7月心臓発作で亡くなっている。
そう、これはこれから訪れるディグナムの葬儀の元ネタ。つまりディグナムもマット・ケインが元ネタ。
じゃあ自分の葬式に参列してる(?)。
続く。