第25回 第二逸話『ネストル』 その3
スティーブンが生徒の一人に詩を詠ませる(つまり暗唱させるが、生徒はこそこそカンニング)。
「泣くな、悲しむ羊飼いたちよ〜(中略)たとえ海底に深く沈んだにしても」
ジョン・ミルトンの詩だそうな。あの『失楽園』で有名な。
内容はリシダスという友人が海で溺死したことの鎮魂歌だそうな。第一逸話ラストの溺死事件への返答らしい。てか、あの溺死云々自体なんの意味があるのか解せない(後々効いてくるのか?)。
この後、また更にわけわからんスティーブンの独白が続く。
”可能なものとしての可能態が現実態になる事は、一つの運動でなければならない(そりゃそうだ)”
”思考とは、思考について思考する事である(ごもっとも)”
”魂とは、存在するもの全て。魂とは、形相の形相である(ん〜?)”
全部アリストテレスの言葉だそうな…。
とりあえず、同じページに出てくる”パリの聖ジュネヴィエーブ図書館で、毎晩読書に耽った”というのは、スティーブンのパリ留学時の思い出と思われる。そしてこれもやはり、ジョイスのパリ留学時の思い出が元ネタ。ここでジョイスはアリストテレスを読んでいます。遊びたくても貧しい彼はここで毎日読書に励んだとのこと。
”隣ではシャム(タイ)人が戦略教本を読み耽っていたっけ”
実際にジョイスはここでタイ人の友人得たらしい。
”僕の周りには養分を受け入れ、養分を与える頭脳たちがいた”
「養分」とは読書で得た知識のこと。それは周りにいた学生たちのことを揶揄した言い方。ただ利己的に知識を蓄える、ただ試験に合格するためだけの連中に対して。
スティーブンは、知識や知恵、機知をある種の武器みたいに考えてるみたい。第1逸話ではそれを「ランセット(手術のメス)」に例えていたし。
”〜波の上を歩かれた主の御力により…”
波の上を歩いたとは、イエスが弟子たちに見せた力。その力は、僕にも、マリガンにも、このアホなガキにもみんなに及んでいると、スティーブは思う。
なんかよく聞くセリフなので、今回改めて調べてみました。
誰かがイエスに聞きました。
「イエスさん、税金の取り立ては聖書(旧約の方)に反しますか?」
イエスは、そのカエサルの顔が描かれている銀貨を見、言われました、
「カエサル(=皇帝)のものはカエサルに返しなさい」、とさ。
さて、
授業の終わりにスティーブンは子供たちにせがまれ謎々を出す。
”雄鶏が鳴いた。空は青かった。天の鐘が、11時を打った。この哀れな魂が、天国へ行く時だ”
これなぁ〜んだ?
「わかんなぁい」「なんですか先生?」
答えは、狐がお婆さんを柊の下に埋めているところ、だそうな。
『アイルランド英語ありのまま』という本の中に出てくる謎々だそう。
スティーブンは元を少し変えてて、本当は「この哀れな魂が」は「私の魂」、「お婆さん」は「お母さん」らしい。
わかるわけねぇだろ⁉︎
狡賢さのたとえである狐はスティーブン自身のことを、母を埋葬したことを思い出している…らしい。
スティーブンに不可解な思いをさせられた生徒たちは、ホッケーの授業に参加するため、外へ飛び出す。
その時、サージャント(サージャントやらトールポッドやらアームストロングやらは、これみんな金持ち家によくある名前らしい)という名の生徒がスティーブンの元へ歩み寄る。
「算術」と書かれたノートをスティーブンに見せ「ディージー校長が、これを書き直せって…」
モジモジして、勉強ができないこの少年を、スティーブンは「醜くて空しい」とか言う。「でもどこかの女(この子の母親)がこの子を愛した」とか、随分人でなしなことを言っている。
スティーブンは、サージェントの出された問題を手伝ってあげる。問題は代数だった。ここでスティーブンは、さっきマリガンが言った「ハムレット論」を思い出す。
「シェイクスピアの亡霊がハムレットの祖父、だったっけ?」
いやマリガンは、「ハムレットの孫が、シェイクスピアの祖父」って言っていた。
スティーブンは、サージェントの無様な横顔に思う。
「僕もこんなだった…」
…続く。
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